第140話 強敵が去った後、吉報は届かず
閻軍・
小鳥の囀りが耳に入る。
「ねぇ、起きて。朝だよ」
すると桜史の瞼がゆっくりと開く。
「あ、瀬崎さん、おはよう」
目を擦りながら桜史はゆっくりと上体を起こすと、薄い桃色の寝衣を纏った宵が、自分の寝台に上がり込んでいる事に気付き目を擦る手を止め固まった。
「え、瀬崎さん、あれ? ……俺、昨日は1人で寝た……よね?」
「うん、そうだよ? 何で? ……あー、違うよ、私、今ベッドに上がったの。貴船君を起こす為に。何変な事考えてるの?」
あはは、と笑いながら宵は桜史に背を向けて寝台から下りた。
さすがに同じ寝台で同い歳の男女が寝るのはマズイだろうという事で、数日前、桜史が頼んで寝台をもう1つ用意してもらったので、昨夜はそれぞれの寝台で眠った。だから、桜史の心配する過ちは犯していない。まあ、違う寝台に寝たとは言え、同じ屋根の下で寝る事は当たり前になっているのだが。
「貴船君が変な事考えるようになっちゃうなら、そろそろ部屋を分ける必要があるかな〜」
「俺はそうしてって初めから頼んでたんだけど」
「冗談だよ〜! 貴船君紳士だから私心配してないから」
「そっちがそうでも、俺が良くはないんだよな」
「何でよ?」
「何でって、普通、恋人同士でもない男女は2人きりで同じ部屋で寝ないんじゃないかな?」
「ん〜、普通はそうかもしれないけど、今の状況は普通じゃないし、細かい事は気にしなくていいよ。それとも、私と一緒じゃ嫌なの?」
「嫌じゃないけど」
「そ、なら問題なし! 私は紳士な貴船君ならオッケー! はい、じゃあちょっと着替えるからあっち向いててね」
宵はそう言うと、桜史がまだ向こうをむく前から躊躇う事なく服を脱ぎ始めた。
桜史は慌てて身体ごと壁側に向けた。
こんな他愛のない会話ができるのは今だけだ。また敵が攻めて来ればお互いそれどころではなくなるし、攻めて来なくても、軍議が続けばそんな余裕はなくなる。桜史との会話は、宵にとって大切な息抜きなのだ。
「貴船君、一度
「麒麟砦? ああ、
背中を向けたまま桜史は訊ねる。
「そう。この世界でようやく3人が合流できる。元の世界に戻れる時がいつ来るか分からないけど、私の竹簡がゲートになるなら、常に3人一緒の方がいいと思うし。貴船君も光世に会いたいでしょ?」
「そうだね。厳島さんを1人にしておくのは心配だ。俺が厳島さんのもとを離れる時、凄く不安そうだったし」
「貴船君てさ、光世の事好きだよね? 付き合ってるの?」
「はぁ!?」
普段冷静な桜史だが、宵の突拍子もない質問に思わず困惑の声を出し振り向いた。
桜史の視界にはちょうど新しい閻服を着たばかりの宵の際どい姿が飛び込む。
「あ、ごめん」
「いいよ、もうほぼ着替え終わってるから」
宵は気にした素振りも見せず、手際良く帯を締めていく。
「でも、その反応はやっぱり光世の事好きなんだね〜。どうなのよ〜、付き合ってるの? 貴船君、光世とだけは良く喋ってるじゃん」
「付き合ってないし。恋愛感情はないよ。ただの友達。厳島さんは何かと俺に世話を焼いてくれるけど、それは俺が暗くてコミュ障だからだろうな」
「へぇ。そっか。でも貴船君が暗くてコミュ障だなんて、私思った事ないよ? この世界の貴船君はむしろ仕事も上手くこなすし頼りになる男の人って感じ」
照れ臭そうに、桜史は頭をポリポリと掻く。
「いいよ、そんなお世辞は。ともかく、麒麟砦に瀬崎さんと俺が行くなら、威峰山は
「うん、そのつも──」
宵が答えようとしたその時、急に幕舎の外が騒がしくなった。
1人の兵士が、入口の前で入室の許可を求めて来たので、宵が許可を出すと、すぐにその兵士は幕舎の中へと入って来て跪いた。
「軍師殿、
「え!?」
あまりの衝撃的な報告に、宵も桜史も目を見開いて言葉を失う。
「あ……えっと、李聞殿と姜将軍は無事ですか?? 校尉達は!?」
「戦死者の報告は受けておりません……」
兵士は拱手したまま俯いて言った。
「周大都督は……椻夏を包囲したのですか?」
今度は桜史が訊く。
「報告します!」
すると、そこへ別の兵士が報告に駆け込んで来て跪いた。
「周殷は鶏陵の朧軍を救出した後、洪州へと撤退しました! 敵の損害は千人余り、我が方の損害は5百足らず。指揮官に死者はありません!」
宵と桜史は2人目の伝令の報告にホッと胸を撫で下ろした。
「分かりました。下がってください」
宵は伝令の2人を下がらせると、身体から力が抜けたかのように、ぽすんと自分の寝台に腰を落とす。
「こっちは戦に勝てたけど、椻夏は負けたんだね。私が殺すなって言ったから、
肩を落とす宵の隣に桜史は歩み寄る。
「椻夏は負けたわけじゃない。予想外の敵を前に不利と判断して迅速に撤退した。朧軍も船での城攻めは難しいと判断して、味方の救出だけして洪州へ撤退した。引き分けだよ」
「そうだね。でも、朧軍の厄介な武将を2人も残してしまった。それは私がうじうじして判断を遅らせたから」
「ダメだよ、瀬崎さん。また全部自分のせいにしちゃ……」
桜史が落ち込む宵を慰めようと肩に手を置こうとしたその時──宵は急に立ち上がった。
「もう次は負けない! こんないつもメソメソしてる軍師いないよ! そう、私は閻軍の軍師!! こんなところで挫けてたらいつまで経っても閻帝国を平和にできないし、閻帝国を平和にできなかったら3人で元の世界へ戻る事もできない! そうだよね! 貴船君!」
「え、あ、うん。そうだね」
突然闘志に満ちた宵の様子に、驚きながらも首肯する桜史。
宵は寝台に置いてあった
「ほら! 貴船君! 早く着替えて! お仕事行くよ!」
「お仕事って……」
「軍議だよ! 軍議! 私達は軍師なんだから! 次の戦略を話し合うんでしょ! 多分もう楊先生達待ってるよ!」
やる気満々の宵のテンションについていけていない桜史は戸惑いながら自らの寝衣の帯に手を掛けた。
「手伝おっか?」
顔を羽扇で隠した宵は、羽扇の羽根先の隙間から片目だけ覗かせて言った。
「瀬崎さんもそう言う冗談言うんだね。先行っててよ。すぐ行くから」
桜史の冷静で大人な返しに、宵は何も答えず、羽扇の間から片目を覗かせたままゆっくり後退りして部屋を出て行った。
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