第143話 悲しき暗殺者

 威峰山いほうざん出立の朝。

 宵と桜史が荷物をまとめ山を下りる準備をすると、楊良ようりょう田燦でんさん鄧平とうへいの3人は見送ると言って馬に乗り一緒に付いて来た。


 麓の水際には、すでに宵達を麒麟砦きりんさい送る為の小舟が用意されており、船頭兼護衛の兵士5人が待機していた。

 宵と桜史が馬から荷物を下ろそうとすると、すかさず田燦と鄧平が手を貸す。

 例に漏れず、宵の荷物は鄧平が率先して馬から下ろし、舟にいる兵士へと渡してくれた。


「軍師殿、やはりここに残ってはくれませんか? 私は軍師殿がいないこの軍では、生きる喜びがありません」


 大きな身体に似合わず、悲しそうにしょんぼりした鄧平はボソリと宵の耳元で言った。


「何言ってるんですか? これからきょう将軍がここに来るじゃないですか。貴方の次の役目は姜将軍をお守りし、そして威峰山を朧軍から守り抜く事。それを生きる喜びにしてください」


「それは勿論承知しておりますが……目の保養……と言いますか、耳の保養と言いますか……やはり私は軍師殿の容姿とお声が好きなので、ずっとそばにいて欲しかった……」


「うわぁ……!? な、何そんな恥ずかしい事はっきり言ってるんですか?? み、皆が聞いてますよ!? ってか、どうせなら中身を褒めて欲しかったなぁ」


 突然のプロポーズめいたセリフを吐く鄧平に、宵は顔を紅潮させそっぽを向く。向いた先に真顔の桜史がいたので堪らずまたそっぽを向いた。


「中身は姜将軍の方が好きです。あの凛々しくはっきりとした性格には憧れます」


「あ……そうですか。姜将軍も美人だし目の保養にしたらいいですよ」


「ん? 美人? 確かに美形ではありますが、男を目の保養にする趣味は……」


 不貞腐れて思わず放った一言が、あまりにも際どい発言であった事に気付いた宵は、あたふたしながら誤魔化そうとするが、田燦の咳払いと鋭い眼光を浴びて気の利いた誤魔化し方が思い浮かばない。


「鄧平。そういう話は戦が終わった後にしろ。そもそも、女性を褒めるなら内面も褒めろ。軍師殿に失礼だろ」


「あ、そうか。大変失礼いたしました。軍師殿。どうかお許しを」


 田燦に叱られて鄧平は素直に謝った。ストレートにものを言い過ぎな所もあるが、鄧平が悪い人間ではないと言う事は宵はよく知っている。酒癖が悪いのは直して欲しいが。


「若い者は元気でいいのぉ。見ていてこちらも元気が湧いてくる」


 若人の様子を見ていた楊良が楽しそうに笑いながら言った。


「さて、宵殿、桜史殿。遅くならない内に出立されよ。威峰山の守りは心配するでない。達者でな」


「ありがとうございます。楊先生。貴方と出会えて本当に良かったです」


「儂もだ、宵殿。其方に会えて、恩師の現在いまを知る事ができた。礼を言う」


 互いに拝礼する宵と楊良。

 もし、楊良に出会わなければ、異国創始演義の事も、瀬崎潤一郎がこの国に来ていた事も知る事はできなかっただろう。まさに、運命の出会いであった。このまま楊良と共にいたい気持ちは勿論あるが、それは情勢が許さない。


「皆さん、短い間でしたが、お世話になりました。戦が終わったら、またお会いしましょう」


 桜史は礼儀正しくそう言うと、拱手し、深々と頭を下げた。

 それに楊良、田燦、鄧平の3人が応じる。


「桜史殿、お元気で」


「軍師殿に手を出したら許さんからな!」


「さあ、行きなさい。麒麟砦まで、その舟だとここから2日は掛かるぞ」


 「了解」と返事をしながら、宵と桜史は兵士の待つ舟に乗り込む。


「行ってきます。楊先生、田燦殿、鄧平殿。ご武運を」


 宵はそう言ってまた拝礼した。桜史も倣って頭を下げる。

 そして、船頭の兵士が岸の尖った岩に括り付けていた縄を解くと、岸壁を蹴り、舟を出した。

 濁った水の上に宵と桜史、そして護衛の兵士達を乗せた舟が浮かぶ。


 離れ行く3人。宵と桜史は立ったまま、3人が見えなくなるまで拱手を続けた。

 やがて木々に隠れ、3人の顔は見えなくなった。



 ***


 閻軍・椻夏えんか


 鶏陵けいりょうを包囲していた朧軍が洪州に撤退した。

 大都督の周殷しゅういんが、鶏陵で囲まれていた黄旺こうおう全耀ぜんようの軍を救出したのだそうだ。

 撤退した朧軍の中に、楊良はいなかったらしい。彼の行方については兵達は誰も知らないようだった。


 徐檣じょしょうは、軟禁されている王礼おうれいの屋敷内を鍾桂に監視されながらうろついている内に、屋敷の警備の兵士達の会話から閻軍の情報を自然に手に入れていた。

 監視役の鍾桂とはかなり打ち解けたと思っていたが、軍の情報は一切、徐檣には漏らさない。同じ閻軍だというのに、いつまでも朧軍から投降して来た徐檣を疑っているようだ。

 楊良はどこに行ってしまったのか。いつまで閻軍に潜んでいればいいのか。先の見えない潜入生活に徐檣は日に日に苛立ちを募らせていた。


「私が軍を率いて出ていれば、朧軍を殲滅できたかもしれないのに、愚かですね、閻軍の指揮官方は。ねぇ、鍾桂」


 王礼の屋敷の中庭の池の鯉を眺めながら、徐檣は嫌味ったらしく言った。


「まあ、そう腹を立てずに。いつか君の力を頼る時が来るよ。それまで大人しくしてるしかないんだから」


「本当にそんな日が来るかしら? 王礼将軍には鎧は脱げって言われてしまったから、見てよ、この格好。その辺の町娘と変わらないじゃない。これで本当に戦に呼ばれるかしら?」


 鎧を脱いだ徐檣の格好は、荒々しい武将の風体はなく、鮮やかな黄色い襦裙じゅくんを身にまとった麗しい町娘。王礼は徐檣を戦から遠ざけようとしているとしか思えなかった。


「俺はそっちの方が似合ってると思うけどな」


「え? そう? そうかなぁ……あ、ねぇ鍾桂。鯉の餌持ってない? この子達お腹空いてそうよ。口をパクパクさせて集まって来たもの」


 紅潮する顔を隠す為、目の前の池に集まった鯉を指さし鍾桂の意識を逸らす。何故そんな事をしているのか、自分でも分からない。

 ただ、褒められて嬉しいという感情だけは理解できた。


「あー……持ってないや。欲しいなら一緒に貰いに行こう」


 鍾桂が言うと、徐檣は笑顔でピョンと、鍾桂の隣に跳ねて戻った。そして自然に鍾桂の手を握る。


 ──その時、鍾桂の目の前に人が立った。

 鯉に気を取られてその者の気配に全く気付かなかった。

 徐檣には、それが誰だか分からなかったが、鍾桂は顔見知りだったのか、驚いた顔をして徐檣の手を離し、その者に拱手した。


「姜将軍!」


 その名を聞いた徐檣は目を見開いた。

 姜将軍。それは憎き『姜美きょうめい』の事ではないのか。父徐畢じょひつを殺した『姜美』ではないのか。


「鍾桂。久しぶりですね。何ですか。新しい女を連れて楽しそうですね。軍師殿が見たら泣きますよ?」


「あ、いやこれは、その……そう言うんじゃなくて、一応監視です。ってか、別によい……軍師殿は泣かないですよ」


「何? 監視……という事は、その娘が朧軍から投降して来た徐檣殿ですか?」


「はい。その通りです」


「驚きました。よもやこんなに若くて可愛らしい娘だとは」


 姜美は鳩が豆鉄砲を食らったような顔で固まっている徐檣をしげしげと見つめる。


「あの、もしかして、姜将軍て、姜美将軍……ですか? 景庸関けいようかんで武功を挙げた、あの……」


「そうです」


 今は戦闘はないはずなのに、何故か鎧兜で武装している姜美。ついに見付けた。想像より若く美形で小柄だが、父の仇に違いはない。

 徐檣は仇敵の顔をしっかりと目に焼き付けた。


「実は徐檣殿。貴女に話したい事がありまして、少しお時間宜しいでしょうか? 私は今王礼将軍の屋敷の一室をお借りしているので、移動にお時間は取らせません。すぐそこですよ」


「え……?」


 姜美の誘いに、徐檣はすぐに返事を返せなかった。話とは何の話か。もしや内通者だという事が露見して処刑されるのではないか。

 様々な憶測が頭を駆け巡り、返事を濁していると、鍾桂が心配そうにこちらを見た。


「徐檣? どうし──」


「私は……お話する事なんて……ありません!」


 そう吐き捨てて、逃げるように徐檣は自室へと駆け去った。それを急いで鍾桂が追う。何度も姜美に謝りながら。



 ♢


「徐檣! あの態度はまずいって。せっかく姜将軍とお話できる絶好の機会だったのに。戦に出してもらえるように頼めば良かったじゃないか」


 部屋に戻り膝を抱えて蹲ってしまった徐檣を、鍾桂は必死に宥める。しかし、徐檣は顔を上げない。


「ほっといてよ! きっと私の事、偽装投降して来た内通者だと思って殺すつもりなのよ!」


「そ、そんな……。何も怪しい事してないんだから、殺すって事ないだろ。あ、分かった。じゃあ、俺が何の用だったのか聞いて来てあげるよ」


「いらないわよ! 余計な事しないで!」


「徐檣……1回落ち着こう。そうだ、鯉。鯉に餌あげに行こう?」


「私を殺せるものならやってみなさいよ。例え素手でも返り討ちにしてやるんだから」


「そんな事言っちゃダメだよ。なぁ、徐檣、俺どうしたらいい? キミが機嫌直してくれるなら何でもするからさ」


「うるさいなぁ!! 私はもう寝る!! 私を殺しに来る奴がいたらすぐに起こして!! いいわね!!」


 そう怒鳴り散らすと、徐檣は寝台に飛び込み、布団を被ってしまった。

 鍾桂は仕方なく、部屋から出て扉の前で見張りにつく事にした。



 ♢


 日が沈み、月が出始めた頃、徐檣が起きて来て扉から顔を覗かせた。


「鍾桂……かわや


「おう」


 徐檣は真っ赤に充血した目を擦りながら気だるそうに部屋から出て来て鍾桂の隣に並んで廊下を歩いた。


「さっきはごめん」


 素直に徐檣が謝ったので、鍾桂は優しく微笑んだ。


「いいよ」


 鍾桂が答えると、徐檣はニコリと笑った。


 徐檣が用を足している間、厠の前で鍾桂は空の月を眺めた。心地よい風が吹き、雲を緩やかに流しているのが分かる。月明かりだけなのにとても明るい夜だ。

 徐檣はかなり心を病んでいるに違いない。きっと朧軍にいた頃、相当辛い目にあったのだろう。


「鍾桂大変! ちょっと来て!」


 突然背後から徐檣の助けを求める声が聞こえ、鍾桂は振り向いた。


「どうした? 来てって、入っていいの?」


「うん、鍵空いてるから入って来て。大変なの」


 不審に思いながらも、鍾桂は厠の扉を開けた──が、厠から飛び出して来た徐檣に一瞬の隙を突かれ、鍾桂は後頭部に手刀を食らい、厠の中へと倒れ込んだ。


「ごめんね、鍾桂。私、貴方は殺さない。でも、殺さなきゃならない奴がいるの。許してね。今まで優しくしてくれてありがとう」


 薄れゆく意識の中、徐檣の言葉が何とか聞こえたが、鍾桂はそれに答える事は出来なかった。



 ♢


 鎧兜を脱ぎ、じゅを脱げば身にまとうものは何もない。

 姜美は裸になり、長い黒髪を下ろすと、ひのきの湯船に浸かった。王礼の屋敷の浴場は大変立派だが、広くはなく、こじんまりとしていた。だが、それが逆に落ち着くので、姜美はすぐに気に入った。

 久しぶりの湯浴みに、戦場で疲弊した姜美の身体は芯から癒されていく。

 姜美は自らの左胸の傷痕に触れた。痛々しい傷痕は残っているが、もうしっかりと塞がっている。暴れても傷が開く事はないだろう。


「はぁ……気持ちいい……」


 至福のひとときを堪能し、ウトウトとし始めた頃、外から微かに呻き声が聞こえ、姜美はカッと目を見開き湯船から飛び出した。

 何かただならぬ気配を感じ、一糸まとわぬ姿のまま、姜美は体術の構えで様子を窺う。


「父上の仇!!」


 そう叫びながら、浴場の入口から、剣を持った黄色い襦裙の徐檣が鬼の形相で飛び込んで来た。

 ──だが、徐檣は姜美の姿を見て明らかに困惑していた。


「……え? あれ? 女……??」


 その隙を姜美は逃さなかった。

 剣を持つ徐檣に臆する事なく飛び込み、剣を持つ手を掴む。──が、徐檣もすぐに反応し、その手を振り解こうと腕を振る。

 すると、大きく剣を振ったせいで刃が湯船のへりに食い込んでしまった。

 すぐさま抜けないと判断した徐檣は剣を放棄。姜美に殴り掛かる。

 それを軽い身のこなしで躱し、姜美も拳を繰り出す。

 しかし、姜美の拳は徐檣に簡単にいなされ、2人の拳の応酬は平行線を辿る。


「姜美……まさか女だったとは」


「徐檣。馬鹿な真似はやめなさい。もしここで私を殺せたとしても、すぐに兵達に捕まり斬られるでしょう。それでもいいのですか?」


「裸の女が何を言おうが格好つかないわね」


 姜美の説得に聞く耳を持たずに徐檣は再び姜美へと襲い掛かる。動きやすいように事前に破いていたくんから覗かせた細い脚を下段・中段・上段と華麗に放つ。姜美は何とか蹴りを腕で捌くが、蹴りの威力は凄まじく、ましてや布1枚まとわぬその防御力では腕が折れそうになる程の痛みを感じてしまう。

 徐々に姜美の反応速度も鈍くなっていく。

 対する徐檣の蹴りの速さは遅くなるどころか、さらに速度を増していった。

 下段・上段・中段・上段・下段・上段・中段・下段・上段……狙う場所を変えつつ、さらには回し蹴り、正拳や肘打ちを混ぜるなどして姜美を翻弄する。


「お前が父上を殺した? この弱さで? 笑わせないでよ! 舐めてるの!? 本気出しなさいよ!」


「……くっ……悪いですが、これでも全力ですよ……」


 喋る余裕もない姜美は、ついに腹に蹴りをもらい、バランスを崩したところへ胸への前蹴りを食らい壁に叩き付けられて崩れ落ちた。


「弱い。すっごく弱い。私に一撃も入れられないなんて、将軍やめなさいよ、ざぁこ」


 倒れた姜美の髪を掴み、引きづり起こすと、その首を湯船のへりに食い込んでいる剣の上に吊るした。


「ほーら。私が手を離したらお前の首は斬り落とされる。私の勝ち。私の勝ち! 姜美。悔しい? 怖い? 死にたくない?」


 凶悪な笑みを浮かべ、徐檣は言う。


「私は……徐畢じょひつ将軍には二度一騎打ちを挑みましたが、二度とも敗れました。ほら、私の胸を見なさい……こ、この胸の傷が、貴女のお父上に貰った傷です」


 息も絶え絶えに、姜美は自らの左胸にある痛々しい傷痕を指さす。


「お前……私が徐畢の娘だと知っていたのか?」


 姜美の胸の傷を見た徐檣の顔色が変わった。


「とある情報筋から、徐檣という徐畢の娘が椻夏にいると聞いていたのでね……だから、昼間貴女を訪ねたのです。徐畢将軍の事について話そうと……」


「そ、そう……負けたんだ。2回も。で、でも、お前が景庸関けいようかんで父上と戦い、父上が命を落とした事には変わりない。この期に及んで、殺したのは自分ではないと責任逃れをするつもりなの!?」


「違います。真実を伝えたいのです。徐畢将軍は私を庇って死んだ。私が女だと知るとトドメを刺さず、瀕死の私を火の海から救い出してくれた。『光世の面倒を見てやってくれ……』と」


「光世……」


「ふっ……どうやら光世の事は知っているようですね。大方、鍾桂辺りに聞いたのでしょう。貴女の容姿は光世にそっくりですからね」


「また光世光世って!! 私は光世じゃない!!」


「私は、貴女を一目見て、徐畢将軍の死ぬ間際の言葉の意味を理解しました。光世を私に託したのは、光世自身の身の安全もそうですが、瓜二つの貴女が、万が一閻軍に捕まるような事があれば、その時は面倒を見てやってくれ……と、そういう意味だったのかな、と。いや、もしかしたら、徐畢将軍は初めから貴女が私の元へ復讐しに行ってしまう事を予測していたのかもしれませんね」


「そんな事……信じられるわけ……」


「私を殺さず助けてくれたのも、今思えば鎧兜を着て戦う姿が、貴女と重なったからだったのかも……。徐畢将軍は片時も、貴女の事を忘れた事がなかったんです。もし、そうであれば、私は貴女に助けられた事になりますね」


「……」


 徐檣は何か呟いたが、姜美には聞こえなかった。


「さあ、私が話したかった事は全て伝えました。いずれにせよ、貴女のお父上を殺したのは私ですから、殺すのなら……殺しなさい」


 姜美の呼吸は整っている。いつでも反撃しようと思えばできる筈なのに、それをせず、ただじっと首を斬られるのを待っている。これが武人の覚悟なのだろうか。ただ武力があるだけの自分とは超えて来た死線の数が違うという事なのか。徐檣は姜美の綺麗な黒髪を握り締めながら劣等感を感じた。

 手を離せばこの女は死ぬ。殺す事は簡単だ。だが、徐畢ちちはこの女を生かした。それを自分が殺す事を徐畢ちちは望むだろうか。


「もう……私は……この世界で一人ぼっちだから……どうなってもいい……私が……そっちに行くね……父上」


 震える声でそう言うと、徐檣は姜美を後ろへ投げ捨て、湯船の緣の剣へ自らの首を添えた。


「待て! 早まるな!」


 投げ飛ばされ床に倒れた姜美は、徐檣の強行に声を上げる事しかできない。


「徐檣!!」


 そこへ1人の兵士が徐檣の名を叫びながら飛び込み、徐檣の身体を床に押し倒した。


「……鍾桂」


 咄嗟の出来事に、放心状態の徐檣は、自らを押し倒した男の名を呟く──が、鍾桂は徐檣の頬を平手で容赦なく叩いた。


「何馬鹿な事やってるんだよ!! お前!! 死ぬなよ……徐畢将軍は、お前に生きていて欲しいから姜美将軍を生かしたんだろ!? なら、姜美将軍を殺すのも、お前が死ぬのもどっちも違う!! 生きろ!! 戦え!! 戦いは必ずしも景庸関や鶏陵のように目に見えるところにあるわけじゃない!! 今を生き抜く事、それも戦いだろ!!」


「う”っ……鍾桂……」


 徐檣にもう言葉を紡げるだけの力はなかった。ただ溢れ出す涙を手で拭い、号泣する、まるで子供のようだ。


「キミは1人じゃないよ、徐檣。俺達、もう友達じゃん。朧軍には、おじさんもいるんだろ?」


「う”ん”……」


 嗚咽を漏らす徐檣の髪を鍾桂は優しく撫でてやる。


「明日こそ、鯉に餌やろうな」


「うん……! 約束……!」


 鍾桂は徐檣に肩を貸しながら立たせると、背後から感じる視線の主を顧みた。そしてすぐに顔を元に戻す。いつの間にか立ち上がり、腕を組んで毅然とした態度をしているが、全裸の姜美を直視するわけにはいかない。


「……助かりました。話を聞いていたのですね」


「あ、はい。すみません。貴女を助ける機会を窺っておりました。聞いていただけで、の、覗いていたわけではありません」


「構いません」


「あ、あの、人は呼ばない方がいいですよね」


「はい。それより鍾桂、耳を貸しなさい」


 鍾桂が耳を貸すと、姜美の柔らかな胸が二の腕に当たった。初めての感触に鳥肌が立つ。そしてそのまま姜美は耳元で囁いた。


「徐檣を部屋に閉じ込めておきなさい。残念ですが、明日、鯉の餌やりはできません。信賞必罰」


「……はい」


 鍾桂が弱々しい返事をすると、姜美の柔らかな胸の感触が消えた。


「行きなさい」


 姜美に言われるがまま、鍾桂は徐檣を支えながら浴場の出口へと向かう。


「ああ、あと、私が女である事は絶対他に言わないでください。これ軍令です」


「御意」


 背を向けたまま、鍾桂は返事をすると、そのまま浴場を後にした。

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