第129話 再会と死線

 威峰山いほうざんの山頂から駆け下りて来た数騎の中に見知った男の顔があった。

 男なのにまげを結わないというこの世界では珍しい髪型だが、それは宵の世界ではごく普通にに見るありふれた髪型。それがこの世界の髪型の文化に慣れてしまった宵の目にはとても懐かしく、新鮮に映った。

 そして何より、その男は日本人顔で、顔のパーツがくっきりとして整ったいわゆるイケメン顔。紛れもなく学友の貴船桜史きふねおうしだった。急いで出て来たのか雨が降っているのに笠を被っていない。


 宵の視線と桜史の視線は交わった。

 桜史も宵を認識している。馬上で宵だけを見て硬直してしまったかのように動かない。それは宵も同じだった。

 本当に、光世の言った通りこの世界に貴船桜史もいたのだ。

 信じていなかったわけではないが、こうして自らの目で桜史を見ると、初めてこの世界で光世を見た時のように衝撃と感動が同時に押し寄せて来て何も考えられなくなる。


「軍師殿! あれは敵の指揮官と軍師ではありませんか?」


 桜史に気付いた鄧平とうへいが大きな声で指をさす。桜史しか見ていなかった宵が、鄧平の指摘を受け桜史の隣へと視線をやると、確かにその隣には指揮官らしき男がいて、馬上からこちらをじっと見ていた。



 ***


 朧軍・威峰山軍


「桜史よ。あの女が、閻の女軍師だな」


 逢隆ほうりゅうからそう言われた桜史は「恐らく」と応じた。

 雨で視界は悪いが、中型の露橈ろうとうに乗っているのは間違いない、桜史が探し求めていた瀬崎宵だ。

 宵が桜史に渡した『七歩の詩』の通り、争う気はないらしい。静かに朧軍の降伏を待っている。


「こちらの降伏勧告を蹴っておきながら、奴らは軍を率いて逆に我々に降伏を迫って来た。我々が降伏を拒めば皆殺しにするだろう」


「そう……でしょうか? 閻軍に敵意は感じません。降伏を断ってもこちらが降伏するまで待つのではないかと思います」


「何故そんな事が言い切れる? 水軍まで用意してきて我々を攻撃しないはずかなかろう。良いか? 我々に降伏はない。閻軍は閻の民を苦しめる董炎とうえんの手先。奴らは殺しても構わん。奴らがいる限り、この戦は終わらない。桜史よ、この水軍を蹴散らす策を申せ!」


 閻軍に囲まれても強気な逢隆から交戦の意思は消えていない。

 桜史は雨で濡れて額に張り付いた前髪を右手で後ろへかき上げた。


「こちらに水軍はありません。倒すならば、閻軍を陸に誘き寄せて叩くしかないでしょう。ですが、あの女軍師がいる限り、わざわざここへ上陸し制圧してくる事はありません。持久戦に持ち込み、我々の体力と士気を落とし、降伏するように仕向けるはず。一度、私にあの女軍師と話しをさせてください。穏便に事が済むよう交渉してみましょう」


「なるほど。だが、貴様だけを行かせるわけにはいかぬ。交渉ならば俺も同行する。俺にいい考えがある」


 逢隆はそう言うと桜史の返事も待たずにすぐに閻軍の水軍に戦慄している兵士達の前へ躍り出た。


「閻軍の指揮官よ! 俺はこの威峰山の軍の指揮官逢隆と申す! 少し話がしたい! 俺とこちらの軍師だけでそちらへ行く! 小舟を1艘回してくれぬか!」


 逢隆が大声で叫ぶと、閻軍の方から承諾の返答があり、その後すぐに1艘の走舸そうかがこちらへ迎えに来た。


 厄介な事になった。

 宵と2人切りでお互いの軍を上手く攻撃しないよう仕向けようと思ったが、逢隆が一緒となるとそういうわけにはいかないだろう。

 その気になってしまった頑固な逢隆を止める事はもう出来そうもない。

 朧軍の兵達はほとんどが戦意を失い逢隆が降伏すると言えば簡単に降伏しそうだ。逢隆がいなければ、次点の指揮官は桜史になる。逢隆さえいなければ……。

 一瞬、恐ろしい事が頭に過ぎったが、その考えは頭を振って振り払った。

 こうなってしまったら宵との交渉の場で何とかするしかない。


 だが、その「何とか」が桜史には何も思い浮かばなかった。



 ***


 貴船桜史。そして指揮官の逢隆という男。その2人が走舸に乗って宵のいる舟へとやって来た。

 話とは何の話だろう。降伏するならば、勧告した通り水際に武器を捨てて集まればいいだけなのだが、それをしないと言う事は降伏はしないと言う事なのだろう。

 宵は近付いて来る走舸を見ながら手に汗を握った。


「宵殿、でしたかな? 先日は朱勤しゅきんが失礼を致しました」


 舟の中央にある部屋に通された逢隆という男は、礼儀正しく挨拶をした。

 その逢隆の隣には、びしょ濡れの朧服ろうふくを着た貴船桜史がいた。正真正銘の貴船桜史。今すぐにでも2人切りで話がしたい。風邪をひかないように新しい服を着させてやりたい。だがそういうわけにはいかない。何故なら、最初こそ礼儀正しかった逢隆は、宵に向かって何やら嫌味たらしくグチグチと言葉を並べ初めたからだ。とても宵が口を挟む隙はない。

 逢隆の嫌味を聞いた桜史は申し訳なさそうな顔で宵を見た。

 宵も同じく申し訳なさそうに桜史を見つめる。

 早く喋りたいのに……。

 宵の背後には鄧平がいるが、逢隆が一方的な嫌味に対して何も言い返してくれない。ただ、物凄い殺気だけはヒシヒシと伝わってくる。


「さて、宵殿。失礼ながら見たところこの辺りの生まれではなさそうですね。まだお若い上に他国の人間では、閻帝国の民の実情を知らないかと思いますので、私が閻帝国という国がどういう国なのか、そして、宰相の董炎とうえんがどのような人物なのか、お教え致しましょうか」


 そう言った逢隆の顔を、隣の桜史が眉間に皺を寄せて見上げた。

 逢隆が何の話をしに来たのか、桜史も知らなかったと見える。だが、今ので逢隆の目的が分かった。閻帝国と董炎の闇を暴き、宵に閻を裏切るように説得するつもりなのだろう。


「逢隆殿。結構です。私は余所者ですが、閻帝国の事も、董丞相の事も知っています。知った上で私は軍を率い、戦っています」


「何と……!! それは……正気とは思えん」


「朱勤殿にも申し上げましたが、我々閻軍は、外交交渉を放棄し、戦争という手段に出た貴方達侵略者には屈しません。例えその目的が、我々閻の民達の為であっても、開戦に踏み切った時点でそれは侵略なのです」


 そこまで言って宵は桜史がずっとこちらを見つめているのに気が付いた。その表情から桜史が何を考えているのか、どんな気持ちなのかは読み取れない。ただじっと、宵を見ているだけだ。


「これは驚いたな。こんな小娘に侵略者だのと言われるとは。なあ、桜史よ」


 宵を嘲笑いながら急に桜史に話を振る逢隆。まだ一言も発していない桜史は宵へ拱手した。


「軍師の桜史と申します。宵殿。貴女は閻の腐敗を知りながら、苦しむ民を放置し、助けようとしている我々を追い払うのですか」


 宵は桜史の目を見た。真っ直ぐに、宵を見つめている。その質問は、宵への敵意からではなく、純粋な疑問から来ているものだと宵は悟った。

 宵は白い羽扇をゆっくりと胸の前でパタパタと動かす。


「少し違いますね。桜史殿。私は国を守る為に貴方達を追い払おうとしていますが、決して民を見捨てているわけではありません。民を苦しめるのがこの国の人間ならば、民を救うのもまた、この国の人間なのですよ」


「……ほう……余計なお世話だと」


「戦を仕掛ければ互いの国は疲弊します。それは、貴方達が救おうとしている閻の民も苦しめるに他ならないのです。私達は、まず貴方達朧軍を退けた後、自国の民を救います。お国へ帰られるというのならば、貴方達の兵を捕虜にはしません。水が引いたらどうぞお帰りください」


「自国の民は自国で救う……ですか」


「はい」


 気の所為だろうか、桜史はホッとしたようにほんの僅かだが微笑んだように見えた。


 しかし、逢隆は納得していない。


「それが出来ぬ脆弱な国だから我々朧軍が来たのだろう! 無駄な抵抗をしなければ国が疲弊する事もない! そんな事も分からぬのか! 民の為に大人しく我々に従う方が賢明だと何故わからぬ!」


「閻の民を救いたいのなら戦など仕掛けません。朧軍の目的は閻帝国の侵略。綺麗事を並べても、戦は戦です!」


 何を言っても反論する宵を逢隆は怒りの形相で睨みつける。

 今にも胸ぐらを捕まれ殴られそうな雰囲気に宵は身体をプルプルと振るわせる。手に持つ羽扇も微かに震えている。

 しかし、宵は逢隆から目を逸らさなかった。


「中々、肝が据わった軍師だ。若いのに大したものだ。宵殿。負けました。降伏しましょう」


「え!?」


 まさかの逢隆の発言に、宵は驚き目を見開いた。降伏を認めるような雰囲気ではなかったのに、逢隆は急に手のひらを返したように意見を変えた。

 桜史も言葉を失う程に驚いている。


「降伏するのは良いのですが、軍師殿こちらへ来て見てください。我が本陣は威峰山の山頂なのですがね……」


 言いながら逢隆は雨の降る甲板へと宵を誘った。

 宵は雨に濡れながらも逢隆の後へ続いた。その後を鄧平と桜史が追う。

 鎧兜を身に付けている逢隆や鄧平は平気かもしれないが、絹の服を着ただけの宵は桜史同様にびしょ濡れだ。


「高い場所に陣を張るのは兵法では有利です。何か問題がございましたか? 逢隆殿?」


 逢隆の隣でその顔を見上げて問う宵。

 だが、逢隆の返事はない。宵は不意に殺気を感じた。


「貴様さえ殺せば……!!」


 突然の怒声と共に逢隆は腰の刀を引き抜き無防備な宵へと振りかざした。

 あまりに唐突な出来事に、宵は身体が動かず声さえも出せずただ眼前に迫り来る刃を見た。


 その時──

 何者かの刀が逢隆の刀を弾き、その身体を蹴飛ばした。逢隆はバランスを崩し船縁の手すりに背中を打ち付けたがすぐに立ち上がり、宵を守った者へと襲い掛かる。


「朧の賊めが! 本性を現しおって! 誰か! 軍師殿を中へお連れしろ! 朧の軍師は捕らえて斬れ!」


 放心状態の宵には状況が理解出来なかった。その声の主が鄧平の声だという事は解った。その横で自分の身体を2人の兵士が抱き起こし船内へと連れて行かれている。

 全てがスローモーションのように時間が遅く流れているように感じる。

 鄧平が逢隆と刀で打ち合いをしている。5合程で鄧平の刀が逢隆の身体を袈裟懸けに斬った。真っ赤な血を噴き上げて逢隆の身体は舟からへりを乗り越えて水の中へと飛沫を上げて落ちていった。

 その後ろの方で取り押さえられた貴船桜史。

 ……桜史が数人の閻兵に押さえ付けられている。何故? そして桜史の頭上で振り上げられる刀。何故?


 ──駄目……何してるの? 駄目だよ。駄目……


「駄目ぇぇぇぇ!!! やめてぇぇぇ!!!」


 我を取り戻してた宵は叫びながら振り下ろされる刀へと飛び込み、桜史の身体を抱き締めるとそのまま甲板を転がった。


「殺しちゃ駄目! 何で殺すの!? 馬鹿!!!」


 桜史は目を開けたまま、言葉を発さずに仰向けに倒れたまま。だが死んではいない。ドクドクと速い心臓の鼓動が、覆い被さった宵の薄い胸を伝わってしっかりと感じ取る事が出来た。


「瀬崎……さん……」


 微かに名前を呼ぶ声が聞こえた。


「きふ……貴船……くん……」


 嗚咽混じりに宵は桜史の名を呼んだ。


 咄嗟にとった桜史を助けたこの行動が、宵の立場で何を意味するのか。

 頭が真っ白になっていた宵はそんな事考える余裕はなかった。


 ただ降りしきる雨が、とても冷たい。

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