第123話 憎悪の徐檣

 夕食時。

 椻夏えんかを包囲中の黄旺こうおうの軍に配属された新人校尉の徐檣じょしょうは、ただ包囲を続けるだけの作戦方針にウンザリしていた。


ぜん将軍。このまま包囲を続けて私に手柄を立てる機会がありますか?」


 不機嫌そうに徐檣は目の前の卓に並べられた料理を眺めながら言った。


「正直難しいな。しかし、この包囲は大都督と楊良ようりょう殿がお決めになった事。黄旺将軍はそれに従っているまで。其方が騒いだところでどうにもならぬ事」


 向かいの席に座る全耀ぜんようは、呑気に酒を呷りながら料理をムシャムシャと美味しそうに食べていた。


「私の目的は、父を殺した姜美きょうめいを殺す事。軍に入ればそれが出来ると思ったから遥々えんまで来たのです。ここで待っている事でいずれ姜美を殺す機会が訪れるなら待ちます。ですが、その機会が訪れないのなら、私がここにいる意味はありません」


「こんな厚遇を受けておきながらよく言えるな、徐檣。普通なら、軍人でもない其方のような女子おなごをいきなり校尉として軍に入れる事など有り得ない事だ」


 他人事のように言い放つ全耀の態度に徐檣は歯軋りをした。


 素人である徐檣が軍に入れたのはかなり異例な事であった。

 徐檣の生家のある朧国の晋亭しんていという街の軍に、徐檣は刀を持って飛び込んで「軍に入れろ! 姜美を殺させろ!」と喚き散らし暴れ回った。もちろん、すぐに兵に取り押さえられたが、徐檣は晋亭では徐畢の娘だという事は有名な事だったので罰を与えられる事はなかった。

 ただ、数年前に母親を病で亡くして一人暮らしの徐檣をそのまま家に帰せば何をしでかすか分からなかったので、とりあえず晋亭の軍に保護される事となった。

 徐檣が暴れたその日の内に、晋亭太守の唐登とうとうが面会に来て徐檣を軍に入れてくれた。

 徐檣の武芸の腕前は晋亭では知らぬ者はいない程に優れており、晋亭の兵如きは容易く倒してしまう程だった。その為なのか、あっさりと軍に入隊出来た徐檣は一兵卒として閻帝国攻撃中の大都督周殷しゅういんの軍に派遣される予定だったが、突如、軍師の楊良から校尉として前線に加わるようにと通達があり、徐檣は晋亭の将軍だった全耀ぜんように連れられ閻帝国に入ったのだ。

 そして、大都督周殷の直下の軍である黄旺のもとに加わる事となった。


「まだ22だろう? 徐檣」


「そうですが、それが何か?」


「余計なお世話だとは思うがな、まだ若いのだから命を無駄にする事もないだろう。徐畢将軍は、其方が戦に出る事を望んではおらぬだろう」


「貴方に何が解るのですか!!」


 烈火の如く怒った徐檣は卓を叩くと立ち上がった。


 しかし、全耀は動じずにそのまま食事を続ける。


「私が女だからって馬鹿にしているのでしょう!?」


「そんな事はない。俺は徐畢将軍とは同郷で同期、戦友だ。将軍の事を他の者よりは解っているつもりだ。其方の事も、幼き頃より知っている」


「だったら! 私のこの怒りも理解してくださるのでしょ? 友人ならば貴方も苦しいはず! 私は父上の仇を取らねば気が済まないのです!」


「俺は徐畢将軍の事を良く知っているから其方を止めている。将軍なら今の其方を見たら張り倒しているだろうな」


「なら、貴方が父上の代わりにやってみたらどうですか? 貴方が私に勝てるというのなら!」


「いや、其方の強さも良く知っている。若い頃の徐畢将軍に勝るとも劣らない。俺なんかでは到底勝てないさ」


「何で……そんなに冷静でいられるのですか!? 貴方より強い者が怒り狂っているのですよ? やはり、女だから馬鹿にしてるんだ!!」


「やれやれ。いいか、徐檣。徐畢将軍が何故この戦に参加したか知っているか?」


「知ってます! 董炎を討つ為です!」


「半分正解だ」


「半分??」


「徐畢将軍の目的は、董炎を討ち、閻帝国の民をその悪政から救う事。閻の民を救う為に戦に参加した」


「……そんなの……そんなのおかしい!! 何で敵国の民を救う為に……父上は殺されなきゃいけないの……」


 怒り心頭に発していた徐檣だったが、急に肩を竦め、瞳を潤ませ声を震わせた。


「それが戦なのだ。徐檣」


 全耀は大人しくなった徐檣を見ながらまた酒を呷る。

 しばらく俯いて身体を震わせていた徐檣だったが、涙を拭く仕草をしたかと思うと急に全耀の背後に回り、その大きな背中に覆い被さるように抱きついた。お互いに鎧は脱いでいた為、徐檣の育った胸の感触は全耀の背中に伝わる。


「何のつもりだ。離れなさい、徐檣」


「全将軍。私の言う事を聞いてくれたら、私、何でも言う事聞いて差し上げます。若い娘の身体は興味がおありではないですか?」


 全耀の耳元で甘い言葉を囁く徐檣。しかし──


「見損なったぞ! 徐檣! 男に色仕掛けをしてまで言う事を聞かせようとするとは!」


 穏やかだった全耀が突然怒鳴り声を上げた為、徐檣は驚いて全耀から離れた。


「俺は徐畢将軍の友人だと言っただろう! 其方の事も幼き頃から知っているとも言った! その俺に色仕掛けが通じると思ったのか! 愚か者め! 少し頭を冷やせ!」


「もういいです! 貴方には頼みません! わからず屋!!」


 駄々をこねる幼子のように、徐檣は部屋から飛び出して雨の降る暗い外へと消えてしまった。

 全耀は酒と料理の乗った卓を右の拳で思い切り叩いた。


「誰か!」


 全耀が人を呼ぶとすぐに兵士が入って来た。


「徐檣を見張っていろ。馬鹿な事をしないようにな」


「御意!」


 兵士はすぐに徐檣の後を追って行った。


「徐将軍。お前の娘は良く育ったが、まだ幼いようだ」


 独り呟くと、全耀は亡き戦友とも徐畢と乾杯するように杯を掲げ、そして一息に飲み干した。



 ♢


 翌早朝。

 昨日徐檣を追わせた兵士とは別の兵士が、まだ眠っていた全耀の幕舎へと報告にやって来た。


「何だ、どうした」


 寝ぼけ眼を擦り全耀はすぐに寝台から起き上がった。


おう将軍がお呼びです。緊急の軍議だそうで」


「緊急の? 何かあったのか?」


「じょ、徐檣殿が……その……」


「徐檣が? 何だ、はっきり申せ!」


「閻軍に寝返りました……」


「何だと!? どういう事だ!?」


「詳しくは私は何も……。とにかくすぐに黄将軍のもとへお願いします」


 兵士はそれだけ言うと部屋から出て行った。


「俺の所為……なのか……」


 全耀は急いで寝巻きから軍服に着替え鎧を着けるとすぐに黄旺の幕舎へと走った。

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