第124話 投降してきた女

 明け方になって椻夏えんか閻軍えんぐんに1人の朧軍の者が投降して来た。

 徐檣じょしょうと名乗る若い女将校だった。

 宵や光世くらいの年頃の娘が兵も連れずにたった1人、棒を1本担いだだけの身軽な格好で馬に乗ってやって来たのだ。雨は小降りとはいえ笠さえ被っていない。相当慌てて飛び出して来たのだろう。

 敵将の投降も珍しかったが、何より女の指揮官というのが閻軍では前代未聞の事だった。宵や光世といった軍師の前例はあるが、女武将は聞いた事がない。

 椻夏太守の王礼おうれい李聞りぶんも、初めは敵の罠かと疑っていた。しかし、徐檣が来る直前に戻って来た李聞の部下の間諜が「徐檣が将軍の全耀ぜんようと何か言い争っていたようだ」と報告に来ていたので、一旦事実確認として本人の口から投降の理由を聞く為に、城壁の上から徐檣と面会する事にした。

 数里先には朧軍の包囲網があるので気付かれないように細心の注意を払った。

 宵からは5日前に水攻めをするという連絡を受けていたので、徐檣を受け入れた事で策が失敗するような事があってはならない。


「徐檣とやら。投降しに来たと聞いたが、理由を聞かせてもらおうか」


 李聞が問うと、城壁の下の徐檣は馬上で答えた。


「私は見ての通り女です。校尉にはなれましたが、朧軍では女の校尉を軽視し、戦場に出してくれません。それどころか、朧軍の男共は、私を性欲を満たす為の道具としか見ていない。だから怖くなって逃げて来ました。あんな所にはいられません! 私は祖国の為に戦う為に軍人になったのに、まさか軍の連中があんな卑しい輩らだとはとても残念です。もう朧国には失望しました。どうか私を閻軍に入れてください! 武芸には自信がありますが、受け入れてくださるなら兵卒でも構いません」


「なるほど」


 間諜が聞いた口論の原因はこれか。確かに辻褄は合う。

 宵や光世と同じ年頃の女が朧軍で酷い扱いを受けている。それが事実なら放っておけない。例え偽りの投降だったとしても、徐檣1人であれば監視を常に付けていれば問題にはならないだろう。


「しかし、何故わざわざ朧軍に包囲されている我が軍に投降を? 我々が敗北すれば其方も殺されるのだぞ?」


「私は奴らと戦いたいのです! それに、この包囲の弱点も知っています! 勝算があるから投降しに来たのです!」


 徐檣の必死の訴えに李聞と王礼は互いに顔を見合わせて頷いた。


「よし。いいだろう。入れ。静かに門を開けろ!」


 李聞の命令で城の門が静かに開いた。


 ♢


「私を受け入れてくださったこと、感謝いたします。何なりとご命令ください」


 城内へ入ると、徐檣はすぐに李聞と王礼のもとへ行き深々と頭を下げ拱手した。近くで見ると、背格好も顔立ちも光世に似ている。華奢な体型故、見た目では武芸に秀でているようには見えない。


「良く来てくれた。徐檣殿。朧軍では辛い思いをしたのだな。閻軍には其方を女だからといって差別したり手を出す人間はおらぬ」


「それを聞いて安心しました」


「其方からは朧軍の情報を聞きたいところだが、その前に一度身体を休めなさい。雨に濡れたままでは風邪をひく。部屋を用意しよう。おい! 鍾桂しょうけい!」


 李聞は背後に連れていた兵士の鍾桂を呼ぶと、鍾桂は姿勢を正した。


「は! ここに!」


「朧軍から投降して来た徐檣という校尉を受け入れた。すまぬがこの者に空き部屋を探してやってくれ。身体も濡れている。温かい湯も用意してやれ」


「御意!」


 鍾桂が返事をすると、李聞は鍾桂の耳元に顔を寄せた。


「まだ完全に信用は出来ない。お前が監視しろ。厠へ行く時も1人では行動させるな」


「はい」


「よし。行け」


 李聞の指示に従い、鍾桂は徐檣の前に出た。チラリと徐檣の顔を見ると、鍾桂は一瞬怪訝そうな顔をしたが、特に何も言わず、そのまま徐檣を内城へと導いて行った。



 ♢


「こちらです」


 鍾桂は薄暗い内城を徐檣を連れ黙々と進んだ。


「ねえ、貴方若いのね。幾つ?」


「22です」


「あら、同い歳ね」


 鍾桂は歩みを止め、徐檣の顔をよく見た。笠も被っていない為顔はびしょびしょに濡れている。だがそれが妙な美しさを醸し出していた。


「そうですか。それは奇遇ですね。お若いのに校尉だなんて尊敬しますよ。さ、こちらです」


 鍾桂が進もうとすると、徐檣は鍾桂の腕を掴んで引き止めた。


「な、何ですか?」


「貴方さ、さっき私の顔みた時、何か不思議なものでも見るような目で見てたわよね? 女の校尉が珍しかったから? 私の事下に見てる? 女のくせに校尉かよとか思った?」


「え……な、何です急に? そんな事思いませんよ。閻には女の子の軍師もいるんですから。今更女の子の校尉がいたって別に何とも思いませんよ」


「女の子の軍師……へぇ。じゃあ、何でさっき不思議そうな顔したのよ?」


 面倒くさそうな女に捕まった。鍾桂はそう思ったが顔には出さず徐檣の問に返答する。


「ああ……貴女に似た人をどっかで見たなぁと思ったんですよ。結構最近見た気がしたんですが思い出せなくて……だからそんな顔したのかも」


「私に似てる人? それって誰? 思い出した?」


 鍾桂の腕を掴む徐檣の手に急に力が込められた。


「え……まぁ、思い出しましたけど……」


「言ってよ。教えて」


 益々力が込められ鍾桂の腕はミシミシと音を立てる。ただの女とは思えない握力だ。


「光世ですよ、光世! 朧軍から投降して来た軍師の光世! いいから放してくださいよ、腕が折れる!」


 鍾桂が腕を無理やり引っ張ると、ようやく徐檣は手を放した。


「チッ……やっぱ光世か」


 分かりやすい舌打ちをする徐檣に鍾桂は顔をしかめた。まるで素行の悪い光世を見ているようだ。


「朧軍でも言われた。光世に似てるって。裏切り者の軍師でしょ? いい気しないわよ」


「失礼ですが、光世は別に朧軍を裏切ったわけじゃなく、投降する以外に道がなく、仕方なく閻軍に投降したんです。それに、徐檣殿も閻軍に投降してるんだから人の事言えないのでは?」


「はあ? 何で光世を擁護してんの? ……ああ、そっか。貴方、光世の事好きなのね?」


「好き嫌いかで言ったら好きですよ。友達として、ですが」


「ふーん」


 不敵な笑みを浮かべると徐檣はそれからは大人しく鍾桂の後について来た。

 鍾桂は何故か得体の知れない女の世話役を任される星のもとにあるようだが、それは別に構わない。しかし、宵のような謙虚さのない徐檣には早速苦手意識が芽生えていた。それに徐檣は何を考えているのか分からない。絶対に何かある。

 鍾桂は徐檣という女校尉を警戒する事にした。




 ***



 閻帝国~麒麟砦きりんさい


「軍師殿! 葛州全郡から掻き集め、露橈ろうとう(中型船)、走舸そうか(小型船)計千隻の準備が整いました!」


 議場に来た兵士はハキハキとそう報告した。


「よし」


 宵は報告を聞くと羽扇を振って兵士を下がらせる。


「報告します!」


 次の兵士が立て続けに議場に駆け込んで来る。


田燦でんさん軍、高台への布陣を完了しました!」


「よし!」


 再び宵の羽扇が振られると兵士は下がり、また新たな兵士が報告に入って来た。


「報告します! 葛州水没予定地域の民の避難も完了との事!」


「よーしっ!」


 宵は全ての報告を聞くと一安心しほっと胸をなでおろした。姜美きょうめいも光世も頷いている。姜美の体調はすっかり回復し、またいつも通り軍議には出席していた。


 宵が献策した水計は、気持ち悪いくらいに緻密に計画されていた為、光世も姜美もダメ出しをする余地はなかった。

 過去の洪水の資料を引っ張り出して調べたであろう水没予定地域。水が完全に引くまでの日数。葛州軍が所有している戦艦の数。朧軍を孤立させる場所、その場所への誘導の段取り。孤立後の朧軍へのアプローチ。そして降伏勧告。

 これら初めから終わりまで、まるで簡単な論文のようにまとめあげていた宵の兵法・軍略オタクっぷりには、元の世界ではほぼ役に立たないだろうが、この戦乱の世界ではまさに天才的な才能と言わざるを得ない。プレゼン能力も光世が知る大学時代の宵に比べ格段に上がっており、説得力もあった。


「椻夏への連絡は朧軍包囲前に済ませてあるのですよね。ならば、こちらの準備は万全ですね、軍師殿」


「はい、手配済みです。あとは朧軍へ水攻めをすると間諜を使って連絡を取り、頃合いを見て荒水こうすいの堰を切ります」


 宵が言うと姜美は頷き、そして報告に来た最後の兵士にめいを出す。


「前線の朧軍の間諜に伝令! 明日の正午に荒水の堰を切り洪水を起こします。椻夏包囲中の朧軍は鶏陵けいりょうの丘に布陣するように、威峰山いほうざんの朧軍はその場で待機するように誘導してください!」


「心得ました!」


 姜美の命を聞くと、兵士はすぐに部屋から出て行った。


桜史おうし殿は大丈夫だとして、楊良がどう動くかだね、宵」


「うん。楊良が水計を見抜いて洪州まで軍を撤退させてしまったら彼らを捕える事は出来ない。けど、桜史殿は捕まえられる。私の策を見破った上でわざと捕まってくれるはず。そしたら──」


「宵と私と桜史殿。3人がやっと揃うね!」


「うん!」


 宵と光世は笑顔で頷いた。

 ようやく近づいて来た3人の合流。3人が揃えば戦をより早期に終わらせる策を考え出せる。そして戦が終わり、閻も朧も平和になった暁には、3人揃って元の世界に帰る事が出来るだろう。


 鬱々とした雰囲気のない自信と希望に満ちた2人の女子大生軍師を、姜美は静かに見守った。

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