第120話 詩で通ずる心
太守の
朧軍の指揮官、
「城を包囲されて丸1日。敵が攻撃して来る気配はないな、李将軍よ」
将軍。李聞はこれまで
「はい。恐らく、朧軍は城を包囲し、こちらの兵糧が尽きるのを待つつもりです。朧軍にはあの
「我らの兵糧は補給無しであと
王礼は悔しそうに腰に挿した刀の柄を握った。
王礼は齢60を超える老将。髪も眉も髭も真っ白に染まっている。将軍ではあるが、その身体は歳のせいか、鍛錬をしていなかったからなのかとても貧弱で細い。本来なら椻夏という都市は敵に攻められる心配の薄い場所だった。だが、洪州が落ちた事でいきなり葛州防衛の要衝となってしまった。
普段兵を動かさない老将軍がこの有事に耐えうるはずがない。
対する朧軍の指揮官は黄旺と言い、斥候の話によると王礼と同じ白髪頭の老将との事だ。違うのは筋骨隆々で覇気があり、2本の
「儂は貴殿がいなければ洪州の太守達と同じくすでに投降していた」
不意に王礼は弱気な言葉を漏らす。
「儂には椻夏を守り抜く事は出来ない。20年前の戦でも儂は軍を率いて戦った事はなかった。ただずっと安全な場所で戦を静観していたのだ。李将軍のような英雄ではない」
「何を仰いますか、王将軍。貴方は長い間この椻夏を平和に治め、国の為、民の為に職務を全うされてきた。そして今、まだ貴方は朧軍に投降していません。私と椻夏を守る為に戦場にいます。まだ負けたわけではありません。共に椻夏を守りましょう!」
李聞の激励で、消え入りそうだった王礼の瞳に光が戻った。
「そうだな。李将軍。共に戦おう!」
王礼は覇気を取り戻すと城壁の上の衛兵達を励まして回り始めたので李聞もそれに同行する事にした。
宵からは城を固く守る事と命じられていた。城が囲まれてしまった今、王礼も李聞も兵や武具の調子を見る事くらいしか出来る事がない。
2人とも笠も蓑も付けていないので鎧兜は雨でびしょ濡れだ。しかし、王礼は構うことなく、兵士1人1人の肩を叩いて回った。
***
「麒麟砦には桜史殿の探していた光世殿がおりました。捕虜ではなく客人のように扱われておりました。
光世と清春華は無事。それがようやく確認出来て桜史の不安の種が1つ消えた。
「そうですか。光世も春華さんも無事でしたか。良かった……で、女軍師の情報は? 会いましたか?」
「ええ。会いました。酒を振る舞われ歓待して頂きました……」
朱勤は女軍師の事を聞かれると急に俯いた。大方投降させるのに失敗したのだろう。だが、桜史の目的はそこではない。瀬崎宵が閻軍の軍師なのではないかという確認こそが真の目的だった。
瀬崎宵が閻軍の軍師としてこの世界にいるのではないかと疑い始めたのは、光世が
だが、ようやく真実が分かる。
「女軍師の名前は?」
「“宵”と名乗っていました」
その名を聞いた桜史は一瞬目を見開いたが、すぐに元の冷静な顔に戻し、何事もなかったかのように振る舞った。
瀬崎宵はやはり閻にいた。しかも軍師として戦場にいる。今まで朧軍との戦いで見せた策は宵が提案したものだったのだ。宵ならそれが出来ても不思議はない。自分のようなただの大学生に軍師としての役目が果たせているのだから、兵法に一途な宵が軍師としてやっていけないはずはない。
「なるほど、女軍師の名は宵ですか。珍しい名前だ」
桜史はその名を聞いて動揺すると色々と勘繰られる。何故閻の女軍師の名が宵だという事でそれ程驚いているのかと。特に指揮官の
「珍しいといえば、宵は髪が肩までしかありませんでしたな。髪も結ってはおらず、この辺りの国の者ではなさそうでした。光世殿も髪は同じくらいの長さで、しかもとても明るかったです。そう言えば、桜史殿も珍しい髪型を──」
「そんな事より、降伏勧告はどうなりましたか? その感じだと、断られたように見受けられますが」
「あ……申し訳ございません。あの宵という軍師、『外交交渉で戦を選ぶような国には負けない。徹底的に応戦する』と申しておりました。兵法を学んだ桜史殿ならこの道理が分かるはずだと。小娘のくせに生意気な事を……」
朱勤は悔しそうに歯軋りして言った。
それを聞いた桜史は無意識に顎を触る。宵は貴船桜史が朧軍にいる事を認識している。
にもかかわらず、互いの合流を考えず、朧軍と戦う姿勢を示してきた。貴船桜史と戦うと宣言してきた。
そんなはずはない。少なくとも光世は朧軍が何故閻帝国に戦を仕掛けたのか知っているはず。その光世がいて、何故宵が朧軍と戦おうとするのを止めないのか。
考えれば考える程、宵の選択は不可解だ。確かに、朧軍が戦という手段を選んだ事が、極力戦は避けるようにと説く孫子の教えに反するのは分かる。朧が戦を仕掛ける前ならば間違いなく桜史は止めていた。
だからと言って、学友である貴船桜史と戦うという選択肢に至るだろうか。
「光世はこちらに戻る意思はなかったのですか?」
「はい。朧軍の義も分かるが重用してくれた閻軍を裏切る事も出来ない……と」
「……なるほど。光世はそんな事を」
「光世殿はあの女軍師に唆されているのかもしれましせん。おの女軍師を除かねば、光世殿を取り戻す事は出来ませんぞ?」
「……宵の方は他に何か言っていましたか?」
宵が応戦を主張する真意が読めない桜史は、宵の対応に苛立っている朱勤に問うた。
「ああ。そう言えばあの女、詩を作るのが得意だそうで、桜史殿に渡すようにと詩の書かれた書簡を預かっています」
「詩?」
宵が詩を作るのが得意だという話は聞いた事がない。だからこそ、桜史はその詩に答えがあると考えた。
朱勤から受け取った絹の書簡をすぐに開いてみる。
そこには、可愛らしい宵の字で詩が書かれていた。その内容に桜史は目を疑ったが、宵からのメッセージに違いないと確信した。
「投降を断っておきながら、敵国に詩を送るとは何を考えているのでしょうか。桜史殿、どのような内容なのですか?」
詩の内容を隠せば怪しまれるだろう。そう考えた桜史は、宵の詩を読んでも特に問題ないと判断し、記載された内容をそのまま読み上げた。
「『豆を煮て持って
改めて読んだ桜史はようやく理解した。宵の意図を。
この詩は宵が書いたものだが、考えたのは宵ではない。
三国志の登場人物の1人、
ある日、曹植の兄である
この詩の意味としては「スープを作る時、豆は鍋の中で煮るが、豆の殻は鍋の下で燃料として燃やす。元は同じ根っこから生まれたのに何故こうも違うのか」と、豆の話をしている。しかし、曹植の真意は「同じ母から生まれた仲なのに、何故貴方は私を憎み苦しめるのか」というもの。
つまり、宵がこの七歩の詩を桜史に渡したという事は「同じ大学で学んだ仲なのに、何故争わなくてはならないのか」という事。
故に、徹底的に応戦するというのは建前で、本当は戦わずに済む方法を望んでいるよ、という事なのだ。
それを直接伝えず、このように回りくどい伝え方をしたのは、周りに宵との関係がバレないように気を遣ってくれたのか、或いはすでに密かに合流出来る計略を巡らせての事なのかどちらかだろう。
いずれにせよ、宵が桜史と合流する気持ちがある事は伝わった。
ならばこちらもそのつもりで動こうではないか。
桜史は宵と光世を投降させるのも、無理やり捕まえるのもやめた。
「豆の詩ですか? 私には詩の良さは分かりません。良い出来なのですか? 桜史殿」
「ええ。とても良い出来です。素晴らしい」
「その詩の真意は?」
「豆の事など普段考えますか? 他の者が見ないところも私は見ているぞ。才能のある私に勝てるのか? と、宵はそう言いたいのです」
「何と傲慢な女だ! 引っ捕まえて酷い辱めを与えてやりましょう!」
「落ち着いてください。挑発に乗れば宵の思う壷。私は少し策を練ります。外してください。ご苦労様でした」
朱勤は怒りの収まらないままに桜史の幕舎から退出して行った。
何と短気で頭の悪い男だろう。おまけに負けず嫌いときた。逢隆の部下で最もまともそうな男だと思って主簿の朱勤を使者に立てたが、無能な男であった。
酒を振る舞われたと言っていたが、宵の事だから早々に朱勤の人柄や能力を見抜き恩を売る事で書簡を確実に届けさせる事にしたのかもしれない。
朱勤はまんまと利用されたというわけだ。
桜史は椅子に腰を下ろすと、宵が存在している痕跡をしばらくの間ぼーっと眺めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます