第112話 祝宴でハラスメント

「それでは、今宵は姜美きょうめい将軍の将軍昇格を祝し、皆存分に飲んで欲しい!」


 広間に設けられた宴席に着席した文官武将達の前で、田燦でんさんが盃を手に音頭をとった。

 田燦の他に集まったのは主役の姜美以下、鄧平とうへい、光世に宵。そして、8名の部曲将達。皆が盃を掲げた。


「良いか、諸君! 乾杯!」


「「「姜美将軍! おめでとうございます!!」」」


 宵も皆と共に姜美を祝うと、盃の酒を一息に飲み干した。


「うぉぉお……」


 実は宵は未だに閻帝国えんていこくの酒に慣れていない。度数が高くてあまり得意ではないのだ。だが、姜美の祝いという事もあり、一息に飲み干してしまい、焼けるような喉の熱さに思わず唸る。


「あはは、宵は弱いお酒しか飲めないからね〜。カシスオレンジ貰おっか?」


 隣の光世は平気そうな顔で酒をごくごく呷っている。


「か、カシオレなんてないでしょ……てかさ〜、光世、もしかして田燦殿といい関係なの?」


「は? 何が?」


「だって、昼間の軍議の後、田燦殿にこっそり何か言われてたじゃん? 口説かれてたんじゃないの?」


 ニヤニヤしながら聞くと、光世は鼻で笑った。


「馬鹿。あれはこの宴を開きたいって相談されただけだよ。田燦殿は8名の指揮官探しとかで準備してる余裕ないって言うから、私が準備したの」


「え?? 光世がこの席を準備してくれたの??」


「そうだよ。私は今回の椻夏えんか防衛戦では特に役目がなかったから」


「いや、でも、光世も校尉に昇格したんだし、祝ってもらっても良かったんじゃ……」


「“将軍昇格”と“校尉昇格”じゃ格が違うでしょ? 私なんかの事はいいよ。それよりも、見て、田燦殿」


 光世は宵の肩が触れる位置まで近付き田燦へと視線を向ける。


「姜美将軍の隣でお酌しちゃってるでしょ? アレ、多分姜美将軍に気があるよ。うん」


「え!? 嘘? だって田燦殿は姜美将軍の性別の事……あ!」


「そう、田燦殿は景庸関けいようかんの戦いの時、瀕死の姜美将軍を救い手当をしている。つまり、姜美将軍が女性だって知ってるのよ。姜美将軍も嫌そうな素振りはないし、もしかしたら……もしかするかもよ」


 楽しそうにニヤニヤして話す光世に釣られ、宵の顔もニヤニヤといやらしい笑みに変わる。


「軍師殿と先生! 女同士で何を楽しそうに話しておられます??」


 宵の向かいの席の鄧平が大声で声を掛け立ち上がった。

「うわ……」と宵が引き攣った顔で目を逸らすと、上座の姜美が立ち上がった。


「皆、今日は私の為にこのような宴を設けてくれてありがとう! 素直に嬉しい!」


 姜美の言葉が始まった為、鄧平は宵に絡む機会を逃し残念そうにまた腰を下ろす。


「だが、今回昇格したのは私だけではない! 光世先生も校尉に昇格した! 思い返せば、軍師殿も中郎将ちゅうろうしょうへ昇格の折に祝いの宴を行っていなかった」


「あ、いや、私達のことは……」


 宵と光世はてれくさそうに両手を振る。


「そうはいかない。昇格した者は全員祝う! 新たに校尉に昇格した8名の部曲将達もだ!」


 姜美が言うと、下座の方に座っていた8名の男達が襟を正した。


張成ちょうせい郝性かくせい臧遼ぞうりょう曹萌そうぼう成覇せいは魏憲ぎけん宋続そうぞく侯廉こうれん! 貴殿らは、本日より校尉となった。故に、明日より各々一部隊を率い、朧軍ろうぐんの侵攻を阻止せよ!」


「「「「「「「「御意!!!」」」」」」」」


 8名の校尉達の声が広間を揺らした。見たところ良い面構えの男達で確かに伏兵の部隊を任せられそうな雰囲気はある。


「はい、もう一杯飲む流れだよ。清華せいかちゃーん、宵にお酒注いであげてー」


「はーい!」


「え! 光世、もう私このお酒は……」


 宵が断る暇もなく、男達にお酌をして回っていた清華がそばにやって来て、宵の空の盃に卓の端の小さな酒甕から酒を注ぎ足す。


「どうぞ!」


 清華の清々しい笑顔には宵もありがとうと言うしかなかった。


「さあ、飲みましょう!」


 姜美の勧めでまた皆が盃を口に運び一息に飲み干した。宵も一拍遅れてグビっと飲み干す。


「おおぉ……」


 宵が喉の熱さに悶絶していると、他の新人校尉達が笑い声を上げた。


「軍師殿、何ですか、酒が苦手なのですか? これはいい。もっと飲ませて酔わせよう!」


「え!? やだ、何?? アルハラ……」


 顔を赤くした新人校尉達のハラスメントに宵が涙目になっていると、さらにタチの悪い男が割り込んで来た。


「新人の癖にお前ら俺の軍師殿にちょっかい出そうとはいい度胸だなぁ、ええ!?」


 すでに顔を赤くして出来上がっている鄧平がフラフラと宵の隣に座り込み校尉達に説教を始めた。

 宵は身の危険を感じ、自分の卓を持ち上げると光世の方へ移動する。


「どしたの? 宵」


「いや〜ちょっと、隣に酔っ払いが」


「俺の軍師殿にぃ〜手を出した奴はぁ〜斬るからなぁ〜」


 相当酒が弱いのか、もはや宵への好意を隠す事もせず、堂々とセクハラ発言を始める鄧平。


「はぁ、だから私こういう飲み会とか嫌いなんだよね〜」


 溜息をつきながら宵はパクパクと目の前の食事に手を付ける。


「宵は見た目可愛いからね〜。モテる女は大変だね。私には分からない世界だ」


 他人事のように言いながら、光世は美味しそうに食事を貪る。


「軍師殿〜可愛いなぁ〜俺の嫁になってくれよ〜」


 すると、突然宵に抱き着いてきた鄧平がプロポーズを始めた。光世は箸を止め、完全にドン引きしている。離れたところで校尉達の接待をしていた清華の顔も引き攣っていた。


「お、お断りします」


「何故ですか冷たいですねぇ、俺の子供を産んで欲しい。お願いですよ」


 意識が朦朧としているのか、はたまたわざとなのか分からないが、鄧平の大きな手は宵の平らな胸にしっかりと触れている。


「もぉ! セクハラ! 向こうにいかないと棒叩きを命じますよ!!」


「うぐ……そんな……」


 軍師である宵には罰を命じる権限がある。その気になれば、セクハラ男など簡単に排除出来るのだが、それをしないのは鄧平がただ酒に酔っているだけだから。それに──


「鄧平! 酒癖の悪さは治っていないようですね! 貴方は今夜は禁酒です! 愚か者!」


 姜美が直々に鄧平の元へ来て追い払った。

 こんな公の場でふざけた事をすれば、当然姜美が助けてくれる。宵が直接罰を与える必要はない。シュンとして自席に戻る鄧平の背中を見ながら、姜美は宵の隣に腰を下ろした。


「すみませんね、鄧平は見ての通り酒を飲むと感情を抑えきれなくなってしまうのです。以前も禁酒を命じて反省したかと思ったのですが駄目でしたね。それにしても、まさか普段から軍師殿にあのような感情を抱いていたとは。何かご迷惑をお掛けしていませんでしたか?」


「あ、いえ、大丈夫です。お酒さえ飲ませなければ彼は優秀な指揮官ですから」


 普段の鄧平の行為は言うまい。自分を好いてくれる気持ちはありがたい事である。ただ、それに答えられない事が非常に申し訳ない。その想いは、鍾桂しょうけいに対しても同じである。


「軍師殿、光世先生。今日は私の為にわざわざこんな宴を開いていただき感謝致します」


「発案は田燦殿だそうですよ」


「そうそう、あの人は良い人です」


 宵が答えると、光世が酒を飲みながら言う。


「田燦が……」


「それより姜美将軍。念願の将軍になれたのですから、そろそろ女だと言う事を打ち明けるのですか?」


 宵が耳元で囁くと、姜美は首を横に振った。


「まだその時ではないでしょう。今私が女だと打ち明けた事が士気に悪い影響を及ぼすかもしれません。打ち明けるのは、閻に平和が戻ったその時でも良いでしょう」


「なるほど。確かに、そうですね。なら、早く閻が平和になるように、私達も頑張らなくちゃ、ね! 光世」


「そうだね!」


 相変わらず光世は酒を飲みながら答える。度数の強い酒を平気で飲みまくる光世に、まるで飲めない宵は尊敬の念を抱いた。

 元の世界でも光世は酒は強い方だったが、まさかここまでとは。


「さ、軍師殿、光世先生。今夜はもっと飲んでください。今夜は酔わなければダメです」


「あ、いや、私は本当にもう飲めませんので……」


 姜美の誘いを申し訳なさそうに断っていたその時、どこからともなく声が聞こえてきた。


「報告します! 報告します!」


 それは慌てた兵士の声だった。

 祝宴の真っ最中だというのに遠慮なくその兵士は広間に飛び込んで来た。


「無礼者! 見て分からぬか! 姜美将軍の祝賀の場だぞ!」


 真っ先に立ち上がった田燦がその駆け込んで来た兵士の元へと出て来て怒鳴り散らす。


「申し訳ございません! し、しかし……」


「何だ! 早く申せ!」


洪州こうしゅうの朧軍に“閻仙えんせん楊良ようりょう”が仕官したとの情報が……」


「何だと!?」


 “閻仙・楊良”。その名を聞いた広間の全然が目を丸くして驚いた。


 ただ1人、その名を知らぬ宵を除いて。

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