第111話 指揮官が足りない!

十面埋伏じゅうめんまいふくかぁ……ロマンだねぇ」


 さすがに学友の厳島光世いつくしまみつよ。十面埋伏という言葉を聞いただけで宵の思考を理解したようにウンウンと頷いている。


「十面埋伏……? その碁石のように伏兵を10部隊も配置するのですか?」


 地図の上の黒い碁石を指揮棒で指しながら姜美きょうめいが問う。


「如何にも。通常の伏兵ならせいぜい1~2部隊でしょうが、十面埋伏は10部隊を潜ませ、山道を通る敵部隊に道の左右から1部隊ずつ挟撃。動揺し逃げ始めた敵をさらに残りの伏兵部隊が順番に波状攻撃を仕掛けていき敵を混乱させるだけでなく、その戦意をも喪失させます。上手くいけば、朧軍ろうぐんの将兵、馬や武具まで鹵獲出来るでしょう」


「なるほど。それは素晴らしい策です!」


「問題は、兵と指揮官です。私達の軍は先に布陣する2千を除くと残りは3千。この麒麟砦きりんさいにも多少は兵を残さなければなりませんので、そうなるといささか兵が足りません。指揮官もです」


「そうですね。兵も指揮官も、どこかから借りる事になりますね。嗚呼……馬寧ばねい将軍と陳軫ちんしん将軍がいれば……」


「あの御二方は景庸関けいようかんから外せません。2万の兵もです。景庸関の防備を弱めたと朧軍に知れたらまたしても景庸関を狙われます」


 嘆く姜美に、宵は冷静に状況を説明する。


「如何にも……」


「将兵を借りるなら、胡翻こほん費叡ひえい将軍か、椻夏えんか李聞りぶん殿、もしくは王礼おうれい将軍からでしょう。ただ、費叡将軍から借りるとなると、3日はかかります。ですから、私としては、李聞殿より兵3千程をお借り出来れば良いかと思っております」


「よし。ではそうしましょう。指揮官は?」


「本当なら、楽衛がくえい殿、張雄ちょうゆう殿、成虎せいこ殿、龐勝ほうしょう殿を引き抜きたいのですが、さすがに最前線から有能な指揮官全員を引き抜くわけにはいきません。姜美将軍。貴女の軍の隊長格の指揮官で伏兵の指揮を任せられる者8名を選んで頂けますか?」


「8名ですか。残り2名は鄧平とうへい田燦でんさんという事で決定ですね?」


「はい」


「承知しました。では8名の指揮官を選んでおきます。鄧平、田燦手伝いなさい」


「「御意!!」」


「ありがとうございます。それでは私は李聞殿へ兵3千を貸していただけるように書簡をしたためます」


 宵はテキパキと姜美と将兵の補充の段取りを決めた……が、光世がスっと手を挙げる。


「宵。もし山道を進軍して来る敵が、朧軍ろうぐんではなく、朧軍に降伏した閻軍えんぐんだった場合も全員捕まえるの?」


 光世の指摘に宵は目を伏せる。


「もちろん。敵も元身内も、殺したくはないから……」


 小さな声で発言した宵の隣で鄧平が鼻で笑った。


「敵に降った腰抜け共など生かしておく価値はありません! 山道を通るのが朧軍だったとしても同じ事! 侵略者の奴ら賊軍を何故生かしておきましょうか!? 私は反対です! 軍師殿!」


 急に噛み付いてきた鄧平に宵はビクッと身体を震わせる。

 見兼ねた姜美が口を挟む。


「よしなさい、鄧平。洪州こうしゅうの閻軍が降伏したのには事情があったのでしょう。軍師殿の見立てでは、朧軍の侵攻を防ぐだけの力はあった。しかし、彼らはほとんど戦わずに降伏した」


「それは、戦を忘れ平和ボケした腰抜けしか軍にいなかったからでしょう!」


「決め付けるのは早計です。洪州軍が戦わずして朧軍に投降した理由を、目下、軍師殿の間諜が調べています。腰抜けかどうかは間諜の報告があってから決めれば良いでしょう。今は、軍師殿の言う通り、敵が朧軍だろうが閻軍だろうが迎え撃ち、全員可能な限り捕らえる。いいですね? 鄧平。嫌なら指揮を外れてもらって結構!」


 鄧平は1つ頷くと拱手した。


「姜将軍と軍師殿に従います」


 姜美の言葉は力強かった。兵法や謀略には疎い姜美だが、将兵の統率という面に関しては宵では到底敵わない。まさに将軍の器である。

 珍しく宵の意見に歯向かおうとした鄧平も、姜美の言葉には反論出来なかった。


「あと、宵。もう1つ」


「何? 光世」


「朧軍の間諜。姜美将軍の軍にも混ざってるでしょう。私は、朧軍にいた頃、その間諜のせいで大敗したんだから。気を付けなきゃ」


「そうだね。分かった」


 宵が頷くと、光世も頷いた。


「では、一旦軍議はお開きという事で、各々の仕事に戻られよ。指揮官選出の後再度集まりましょう」


「「「「御意!!!!」」」」


 4人の軍師と武将は同時に拱手した。



「ああ、光世先生。少々お話が」


 帰ろうとして部屋を出た光世を田燦が呼び止めた。


「何でしょうか?」


「実は先生にお願い事がありまして」


 光世が首を傾げると、田燦は光世の耳元で囁く。

 話を聞いた光世は笑顔で頷いた。



 ♢


 光世が田燦に何を言われていたのか。

 自室に戻った宵は李聞りぶんへの兵の援助依頼を竹簡に認めながら考えていた。

 嬉しそうな光世の顔。もしかして、田燦は光世に気がありデートにでも誘ったのか。確かに田燦は鄧平に比べれば誠実で下心のないような男だ。

 年齢も鄧平同様に20代後半くらいの若者。付き合うならありだろう。

 光世は元の世界で男と付き合っていた様子はなかった。宵の記憶では貴船桜史きふねおうし以外の男と2人でいるところを見た事はない。

 見た目は美人でスタイルも良く明るく優しい。そして頭も良い。こんな欠点の特に見当たらない光世を、男が放っておく方がおかしい。

 女性が苦手だった桜史だが、光世とは普通に話していた。もしかしたら、桜史は光世の事が好きだった可能性は大いにある。実は宵が知らないだけで2人は付き合っていたかもしれない。だとしたら、桜史と離れ離れになった今、光世は明るく振舞ってこそいるが、実はとても寂しい思いをしているかもしれない。

 だが、そこに田燦という新たな男が現れた。光世の寂しさを埋めてくれるのだろうか。


「まさか……今頃2人は……エッチなことしてるんじゃ……」


 宵は独り言を言いながら、筆を止めた。

 光世とて人間、性欲は溜まるだろう。誘われたら断らないかもしれない。

 宵は親友の光世と田燦の良からぬ行為を勝手に妄想し頬を染める。


「宵様?」


 何故かいやらしい笑みを浮かべ頬を染めている宵を、下女の清華せいかが怪訝そうに覗き込む。


「ん? な、何?」


「いえ、あまり根詰めるとお身体に触りますよ?」


 言いながら清華は卓に茶を出した。


「大丈夫だよ、李聞殿へのお手紙書いてるだけだし」


 そう言って竹簡を書き上げた宵は一通り読み直すと、墨が乾いたのを確認してからくるくると巻いた。


「誰かいますか?」


「ここに!」


 宵が呼ぶと部屋の外から兵士が入って来て片膝を突き拱手した。


「この書状を椻夏えんかにいる李聞殿へ届けてください」


 宵が差し出した竹簡を清華が受け取り、兵士へと渡した。


「御意!」


 兵士は返事をしてすぐに部屋を飛び出して行った。


「ふぅ」


 宵は清華の出してくれたお茶を一口飲むと強ばった身体をグッと伸ばした。

 すでに日は落ちた。外は相変わらず雨。閻帝国の雨季はあと1ヶ月は続くらしい。

 窓から見える哨戒の兵達は雨に打たれ続け気の毒だ。


「宵様、この後の夕食ですが、広間で姜美将軍の昇進の祝宴を開くようですよ」


「え、祝宴? そうなんだ」


「はい。私達は湯を浴びて息抜き出来ましたが、姜美将軍や他の殿方は常に警戒をしてくださっていましたからね。今度は皆さんを労う番ですよ」


 楽しそうにニコッと微笑む清華。

 宵は立ち上がると清華の両手を握る。


「清華ちゃん、貴女本当に良い子だね! ヨシヨシ」


 自らの妹を可愛がるように、清華の頭を撫でてやると、清華は鼻の下を伸ばしたが、すぐに申し訳なさそうな表情を見せる。


「あたしの発案じゃありません。田燦でんさん殿が言い出したのですよ」


「田燦殿が?」


「はい。とにかく、宵様も絶対参加してくださいね?」


「もちろん!」


 宵が返事をすると、清華はまた微笑んで部屋を出て行った。

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