第6.5章 夢の中で

第108話 お母さん

 目の前は一面真っ白な世界だった。

 雪が積もっているわけではない。とにかく何もなく、空も地面も地平線も何もない。ただ、不思議と地面を歩く事は出来る。


 瀬崎宵はそんな不思議な世界を歩いていた。

 お気に入りの水色の閻服えんふくに身を包み、劉飛麗りゅうひれいに貰った綸巾かんきんをかぶり、手には謝響しゃきょうから貰った白い羽扇を手にしている。いつもと変わりない格好。

 しかし、何故自分がここに居るのか、どうやって来たの、全く思い当たる節がない。

 気が付いたらこの白い世界で歩いていたのだ。


「誰もいない……光世みつよ清華せいかちゃん……姜美きょうめい殿? みんなどこいっちゃったの?」


 もちろん返事などはない。

 宵が閻帝国のある不思議な世界に来た時以上に何が何だか分からない。

 もしかしたら、ここは天国? 私は死んでしまったのでは?

 そんな事を考えながら、宵はあてどなく歩き続けたが、ついにその場に立ち止まりしゃがみ込んだ。

 歩き疲れたのではない。それは孤独から来る恐怖。恐怖に打ちひしがれた宵は頭を抱えて俯く。


「みんなぁ……どこにいるの? 出て来てよ……怖いよ……」


 そんな時だった。


「宵」


 それは優しく、どこか懐かしい声。宵が生まれてからこれまで最も良く聞いた声。


「お母さん!!??」


 振り向けばそこには宵の母、都子みやこが立っていた。

 宵は立ち上がり、母の姿を良く確認するが、どこからどう見てもそれは宵の母であった。


「……お母さん! お母さん!」


 目の前に突如現れた母へ、宵はいても立ってもいられず駆け出していた。

 だが、母に抱き着こうとしても、何故だかその身体をすり抜けてしまった。幻影? とにかく母の身体には触れる事が出来ず、その温もりを感じられない。


「お母さん……あのね、あのね……」


 口を動かそうとしても、言葉が出て来ない。伝えたい事は山程あるというのに。何一つ、宵は母に言葉を投げ掛けられなかった。まるで、夢の中でやりたい事が思うように出来ないような、そんな歯がゆい感覚だ。


「宵、そっちの世界の方が、居心地がいいの?」


「え? いや……その、そんな事は……」


 宵が言葉を濁したその時、突然白い世界はその白さを増して、視界は眩さに覆われ、母の姿も見えなくなっていく。


「私もお父さんも……宵がいなくなってしまって……辛いんだよ?」


 言いながら、母は光に飲み込まれていく。


「お母さん……! 待って! 行かないで!」


 宵がいくら叫んでもそれは無意味。


 やがて世界は光に飲み込まれた。




 ***



 はっと目覚めた。目の前は一転して暗闇。寝台の隣の机に置いてある1つの蝋燭に灯りが点っているだけ。麒麟砦きりんさいの自分の部屋のようだ。

 雨の音が絶え間なく鳴り響いている。

 宵は寝台から上体を起こした。


「……お母さん……」


 自分の身体を抱き締めるように、宵は嗚咽を漏らして今見た夢の中の母を呼んだ。


 この世界では、人の死が身近にあり、辛い事もたくさんあるが、憧れの軍師としての生活が出来て宵はこの世界に生き甲斐を感じていた。

 しかし、夢にまで出て来て自分を心配してくれる母の存在を改めて実感すると、やはり自分は帰らなくてはならないのだと思った。少しでも元の世界へ帰るかどうか悩んだ自分はどうかしていた。


 帰るんだ。光世と桜史と共に。閻と朧を平和にしたその後で。

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