第102話 4人の女たち

「竹簡の音読が鍵……か」


 厳島光世いつくしまみつよがこの世界に来た経緯を聞いた瀬崎宵せざきよいはそう結論付けた。

 光世は宵が渡した、祖父・瀬崎潤一郎せざきじゅんいちろうの竹簡を熱心に読み込んでいる。光世にはまっさらな竹簡に徐々に文字が浮かび上がって来た事だけ伝えてある。


 光世の話によれば、元の世界で宵は、自宅で急に倒れて病院へ搬送された。宵の母親はもちろん、出張中だった父親までもが駆け付けてくれたという。そして、宵の大学の教授である司馬勘助しばかんすけは光世や貴船桜史きふねおうしと共に宵が倒れていた祖父の部屋に散らばっていた竹簡を調査してくれた。

 そんな時、入院中の宵の身体が突如消えたと宵の母親から連絡があった。

 宵の失踪の原因究明を急ぐ為、光世が宵の失踪に関係があるのではと思われていた修復された竹簡の文章を口に出して読んだ時、その時から元の世界の記憶はないのだと言う。


 身体の消失や竹簡を音読した者の意識障害。

 異世界に転移してしまって長い宵にとって、光世の非科学的な話はすんなりと受け入れられた。

 よく分からない謎の力が働いている。瀬崎潤一郎が宵をこの世界に呼び寄せ、そして社会的にも人間としても未熟な宵に試練を与えている。これまで数々の試練を乗り越えて来た宵はそう思えるようになっていた。



「この5個目の何かを達成すると文章が完成して、その文章を声に出して読んだ時、元の世界へ帰れる……っぽいよね」


 竹簡を二三度読み返した光世は顔を上げると宵に言った。早くも頭のいい光世は宵と同様の解釈に辿り着いた。宵は「たぶん」と頷く。

『挑戦』『感謝』『覚悟』『自立』の4つの目標を達成したら、それぞれに対応する文字が竹簡に浮かび上がった。本来は驚くべき現象だが、光世の方もすっかり慣れてしまったのか、大して驚かずに竹簡に起きた魔法のような現象を受け入れていた。


「まあ、いずれにせよ、試してみる価値はあるね。今のところ他に帰る方法はなさそうだし」


「でも光世。私1つ不安な事が……」


「なに?」


「竹簡は1つしかないじゃない? これは私がここへ来た時に手に入れた竹簡だから、もしかしたら私にしか対応してない……なんてことないかな? 光世はこっちの世界に来た時、竹簡とか持ってなかったの?」


「え……気が付いたら朧軍に匿われてたからなぁ……覚えてない」


 光世は腕を組み溜息をついた。


「そっか……」


「でも大丈夫でしょ。こっちに来られたって事は帰る事も出来るよ」


「そう……だよね。そうだそうだ。きっとみんなで帰れるね!」


 ポジティブな光世に触発され、宵も明るく首肯した。


「でも、もし1人しか帰れなかったらまずは宵が帰りな。それで元の世界から私と貴船君が帰る方法を探してよ。私と貴船君はこの世界に来た時に竹簡を落としてなかったか探してみるからさ。さすがにもう見つかんないかもだけど」


「光世……そんな……3人で帰るんだよ……」


 宵がナヨナヨし始めると光世は宵の頬を指でつついた。


「今は、戦略報告書を書かないとでしょ? 帰る方法はまた後にしよ」


「はい……」


 光世が笑顔を見せたので宵も釣られて笑った。


「ところで光世。麒麟砦きりんさいへは1人で来たの?」


「そんなわけないでしょ。ちゃんと清華せいかちゃんと来たよ。あと宵の彼氏」


「そっか、清華ちゃんも来てるんだ。……え? 私の……何て?」


「宵の彼氏君だよ」


「居ないけど、そんな人」


「え? 違うの? だとしたらすっごい馴れ馴れしい片想い兵士じゃん鍾桂しょうけい君て」


「え!? 鍾桂君もここに!? どこ??」


 鍾桂の名を聞いて目の色を変えた宵を見て、光世はニヤニヤと笑った。


「何だよこの子。満更でもないんだ〜」


「ち、ちがっ……からかわないでよ! 鍾桂君にはすっごく、すっごく、お世話になったんだから」


「お世話にね〜」


 何を言ってもニヤニヤしている光世を宵は無視して部屋を出ようとした───その時だった。


「軍師殿。すみません、盗み聞きするつもりはなかったのですが」


 部屋の外から、後頭部で長い黒髪を束ねた寝巻き姿の姜美きょうめいが、胸の膨らみを隠すように右手で押さえて入って来た。


「姜美殿!? 動いて大丈夫なんですか!?」


「もう歩くくらいは大丈夫です。それより、そちらの方が朧軍から来た光世殿ですね。私は、この麒麟砦きりんさいの指揮官の姜美です」


 姜美は礼儀正しく拱手した。そして、部屋の外から1人の女をグイッと引っ張って宵と光世の前に立たせた。


「私よりも先に、この娘もお2人のお話を盗み聞きしていましたよ」


「違うんです! 私も盗み聞きではなくて……その……」


 突然引きずり出されたのは光世が連れて来た下女の清華。盗み聞きの現行犯として姜美に咎められあたふたとしている。


「問題ありません。清華ちゃんには既に私と宵の秘密は話してあります」


 光世のカミングアウトに宵は驚き、清華へ視線をやると、清華はコクリと頷いた。


「それより、姜美殿。貴女が徐畢じょひつ将軍の六花ろっかの陣を破った指揮官ですね。まさか、女性だったとは……」


「男です」


「え? いや、宵より胸大っきいのにそんな謎の嘘つかれても……」


 光世の言葉は、姜美はもちろん、宵までをもムッとさせた。清華はただそのピリついた空気を感じ取ったようで余計な口を挟まないように自らの口を押えている。


「光世、姜美殿は男性。あと私の胸の大きさは関係ないでしょ?」


「あ……そうですか」


 釈然としていないようだが、光世はムッとしている姜美の顔を見て察したのか、それ以上姜美の性別の事には突っ込まなかった。


「さて、光世殿。いきなりで恐縮ですが、貴女は私の麾下きかに加わってもらいます」


「え??」


 光世はもちろん、宵と清華も声を出して姜美の突然の人事通達に驚く。


「実を言うと、私は徐畢将軍に貴女を託されました」


「徐畢将軍に!?」


 目の色を変える光世に姜美は頷く。


「朧軍の女軍師が友を探している。もし閻軍が景庸関けいようかんを奪還し女軍師を捕らえたら、丁重に扱い、友を探すのを手伝って欲しいと。……まさか、その友が、うちの軍師殿だったとは何という運命か」


「徐畢将軍が……そんな事を……」


 光世は声を震わせ、胸元の襟をギュッと握った。


「友探しは私が手を貸すまでもありませんでしたが、貴女を守る事は徐畢将軍から受け継いだ私の使命。戦が終わるまで守らせてください。私は、徐畢将軍の人格に敬服しました。彼の意志を尊重したいのです」


 姜美が言うと、光世より先に宵が口を開いた。


「私は賛成! 私と一緒にいた方が、情報を共有しやすいし、今後の策も立てやすい。それに、元の世界に帰れるようになった時も、すぐに一緒に帰れるかもしれないから!」


 姜美は頷いた。だが、光世は答えずまだ思案しているようだ。


「何か、問題ありますか? 光世殿」


「いえ、問題ありません。でも、私と宵は朧軍と戦いこそしますが、閻の朝廷を倒そうとしているんですよ? それはいいんですか?」


 光世の問に、宵は苦い顔をして恐る恐る姜美の顔を見る。

 しかし、姜美は顔色を変えず口を開く。


「私は光世殿を見て思い出しました。徐畢将軍は、閻の民を心より案じてくれていました。董炎とうえんを放っておけば、いずれ閻は崩壊し、民を苦しめる事になる。そう言っていました。そして、軍師殿と光世殿も先程、董炎を倒そうと言った。それは徐畢将軍の意思と合致する。その決断が、閻の民を救う事になるのなら、私がそれを邪魔する理由はありません」


 姜美は拱手して言った。大きな瞳は真っ直ぐに宵と光世を交互に見つめた。その瞳には一切の曇りはない。

 すると、光世は姜美の前に跪いた。


「お役に立てる事は少ないかと思いますが、私は徐畢将軍の意志を尊重してくださる姜美殿に従います」


 拱手して頭を下げた光世。ポタポタと床には雫が垂れていた。

 そんな光世を姜美は両手を握って立たせる。


「頭を上げてください。私こそ、光世殿の政略に力をお貸しできる事はあまりないかもしれませんが、3人で力を合わせて戦いましょう」


「はい! 姜美殿」


 光世は頬を濡らしながらもニコリと笑った。光世の笑顔を見た宵と清華にも笑顔が戻る。


「これで軍師殿とまた一緒に戦えます」


 不意に姜美はそう言って宵の顔を見た。姜美は今までに見た事のないくらいの嬉しそうな笑みを浮かべたので、宵も笑顔で頷いた。


李聞りぶん殿には私から事情を説明した書簡を書いて送ります。光世殿と一緒に来たという鍾桂という兵に持って帰ってもらいましょう。鍾桂を私の部屋に呼んでください」


「あ、姜美殿」


 清華が慌てて手を挙げる。


「何でしょう?」


「鍾桂殿を呼ぶのはいいですが、あの人スケベなので、その格好では絶対会わないでください」


 清華に指摘され、寝巻き用の着物1枚を纏っただけのいやらしい自分の格好を見た姜美は頬を赤らめて襟を直した。


「武装しておきます」


 姜美の女の恥じらいを見た宵、光世、清華の3人は、密かに顔を見合わせてニヤリと笑った。

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