第93話 大切な人の死を悼む暇もなく

 詳しい損害の状況を確認する為に、瀬崎宵と李聞りぶん、そして現場責任者である成虎せいこは、投降した朧軍軍師の厳島光世いつくしまみつよと間諜だった清華せいかを連れ景庸関けいようかんの角楼へ上がった。

 光世は特に拘束される事もなく、幕賓ばくひんのように丁寧に扱われた。


 階段を昇った先の角楼には大きな窓のある広い部屋があった。そこからは馬寧ばねい陳軫ちんしんの軍や張雄ちょうゆう楽衛がくえい、さらには麒麟砦きりんさいといった閻軍の陣営が一望出来る。

 部屋の中央には四角い大きな卓があり、その周りには8つ程の丸椅子の席が用意されていた。

 李聞が全員に席に着くように指示を出したので宵は光世の隣に座り、その2人の後ろに清華はちょこんと立った。席は空いているのだから座るようにと促したが清華は下女だから立っていると聞かなかった。


「まずは光世殿。其方が我が軍へ投降してくれて嬉しい限りだ。我々は快く其方を受け入れる」


 李聞は拱手して光世に礼を示した。

 ところが、光世は微かに眉間に皺を寄せて首を傾げた。


「……え?」


 その反応に場の空気は一瞬固まった。


「其方のような有能な人材が我が陣営に加わってくれた事は素直に喜ばしい事だ。宵のお陰で、兵法というものがどれほど戦において重要なものなのか身をもって知る事が出来たからな。光世殿のように兵法を知る人材は今後重用したい」


「……ありがとうございます」


 李聞が光世を捕虜のように扱わずにこの場に同席させた理由を説明しても、何故か光世は冷たく答えるだけで笑顔も見せず、李聞と目を合わそうとしない。

 普段の社交的な光世からは考えられない塩対応。

 李聞はそんな光世の態度に困惑しながらも話を次へ進める。


「さて、改めて整理しよう。まず、こちらの損害。指揮官では姜美きょうめい殿が胸を深く斬られて重傷。現在治療中であり、その間の指揮は副官の田燦でんさんが執っている」


「如何にも」


 成虎が頷いた。


「そして、間諜として朧軍に潜り込んでいた歩瞱ほようという男は敵陣に火を放ち、こちらの奇襲を助けた後に敵の矢に当たり戦死した。間違いないな? 清華」


「はい、間違いありません」


 沈痛な面持ちで答えた清華だが、取り乱している様子はなくとても落ち着いていた。


 一方の宵は、姜美の負傷と歩瞱の死という身近な人間の不幸に顔を上げる事が出来ず俯いたまま李聞の話を聞いていた。


「兵の損害ですが、私の奇襲部隊は死者46名。負傷者185名。姜美殿の部隊の死者は23名。負傷者52名。朧軍の死者は正確には分かりませんが数千。投降した者が1万余り。後は邵山しょうざん琳山りんざん、或いは朧国方面へ逃れたようです」


 成虎の報告に李聞が腕を組んでうむと頷く。

 両軍の死者と負傷者の数を聞いた宵は悔しさのあまり膝の上で拳をぎゅっと握り締めた。また大勢が犠牲になってしまった。


「敵将ですが、夏侯譲かこうじょうという校尉を龐勝ほうしょうが討ち取り、徐畢じょひつは姜美殿の兵が討ち取りました」


「え!?」


 成虎の報告に黙って耳を傾けていた光世が驚いた顔をして声を上げた。


「討ち取った? 死んだのですか? 死んだのですか?? 徐畢将軍は!?」


「ええ。負傷した姜美殿を抱えていた所を姜美殿の兵が数人槍で突き刺したと言っていました」


「ちょ、ちょっと待ってください、成虎殿! 姜美殿を抱えていたのですか? 徐畢は」


 あまりにも不自然な状況の報告に俯いていた宵は思わず立ち上がった。


「え、ええ。私もそれがどういう状況だったのか分かりませんでしたが、徐畢は傷付いた姜美殿をこちらに託し死にました。遺体は焼けてしまって見付からず、得物の偃月刀だけが発見されました」


 女2人に問い詰められながら、成虎は当時の状況を丁寧に説明した。

 宵は何故そのような状況に至ったのか理解出来なかったが、成虎はそれ以上の事は知らなそうなのでひとまず腰を下ろした。

 ふと隣の光世を見ると、唇を噛み締め、必死に涙を堪えていた。


「光世……?」


「戦だからね! ……仕方ないよね」


 悲しみと怒りを孕んだような声色。徐畢とは朧軍ではかなり親しかったのだろう。宵とて親しい姜美が重傷を負い、自らが任務を与えた部下の歩瞱が死んだのだ。光世の気持ちは良く分かる。分かるが、今光世に掛けてやれる言葉は宵にはない。


「あの、陸秀りくしゅう将軍は?」


 光世は顔を上げるとまた成虎に問う。


「陸秀は交戦中に火の手に呑まれ瓦解する建物の下敷きになったのを最後に見ました。しかし、遺体は見付かりませんでした。こちらも焼けてしまったのかと」


 成虎の報告を聞いた光世は、また悔しそうに目を瞑ると俯いてしまった。


「成虎、後は2人で話そう。宵。お前は光世殿と部屋で休んでいろ。落ち着いたら呼ぶ。清華もついて行け」


 光世の精神状態が宵よりも危ういと見た李聞は、すぐに戦況報告を打ち切り、休息を命じた。


「失礼します」


 宵は立ち上がると清華と共に拱手したが、光世はそのまま挨拶もせずに先に部屋を出て行ってしまった。



 ♢


 1人で1階の物置のような狭い空き部屋に入って行った光世の後に宵と清華が続く。


「みつよー、大丈夫?」


 宵が光世の背中に声を掛けると、光世は微笑みを浮かべて振り向いた。その顔はいつもの明るい光世だった。


「大丈夫だよ? なになに〜? 宵がこの私を心配してくれてるの〜? 宵こそ大丈夫なの?」


「私は……うん、大丈夫。それより光世があんな風になるなんて初めて見たから……その、やっぱ、朧国に居た間色々あったよね」


「あったよ」


 それ以上話すつもりはないと言わんばかりの短い返答に、宵は思わず光世から視線を逸らし清華に助けを求める視線を投げ掛けたが、清華は目を閉じていて宵を助けてくれる気はなさそうだった。


「あ……うん、そうだよね……えっと、ごめん、何から話せばいいのか……」


 うじうじとしている宵を見た光世は、茶色の髪をかき上げ、宵に微笑む。


「変わってないなぁ、もっとシャキッとしなきゃ。軍師として指揮を執ってた時はこんなんじゃなかったんでしょ?」


「だって……」


「だってじゃない。ほら、泣くな」


「だってだよ……! 私、ずっと1人だと思ってたんだよぉ?? こんな知らない場所で……わけも分からず戦に巻き込まれて……成り行きで軍師になって……帰れないかもしれないって思ってたんだよ。もう二度と、お母さんにも、お父さんにも、光世にだって会えないかもしれないって……怖かったの……怖かったんだよぉ……」


 ようやく感情を解放出来ると思った途端、これまでピンと張っていた緊張の糸がプツンと切れた。すると、ダムが決壊するが如く、宵の中に抑え込まれていた感情が溢れ出した。

 きっと光世とて同じ気持ちだろうに、宵は同様の境遇である光世の前で、自分の感情を抑え切れずに涙を流した。


 そして、宵はようやく光世の身体をぎゅっと抱き締めた。清華はその様子を黙って見つめている。


「宵……頑張ったね。宵は頑張ったよ。大丈夫、これからは私が一緒にいるから」


 抱き締めた宵を受け入れ、優しい言葉と共に宵の頭を撫でてくれる光世。元の世界での宵と光世の関係と一緒。ダメダメな宵をしっかり者で社交的な光世がいつも助けてくれた。

 ここに来て心強い味方を得た。涙を流しながらも、宵は戦い続ける力を取り戻していった。


「ありがとう、光世。光世が居ればもっと完璧な策が練れて、閻軍の力になれる。一緒に朧軍を倒そう。そして私たちの戻るべき場所へ帰ろう」


 宵がそう言った瞬間、光世は突然宵を突き放した。


「ごめん。それは出来ない」


 光世の答えに、3人の空間は深い静寂に包まれた。

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