第69話 劉飛麗、悲しき過去
父親は劉飛麗が産まれる前に病でこの世を去っており、母が1人で農作業の傍ら大切に育ててくれた。
3年後、劉飛麗には
姓が異なるのは父親が違ったからだ。劉飛麗の実の父親が亡くなってすぐ、母は新しい男と結婚し荀麗姫を産んだのだ。
当時3歳の劉飛麗には、「父親が違う妹」という認識などなかった。故に荀麗姫の事を実の妹として可愛がった。それは2人に物心が付き、2人の父親が違う事を知った後も変わらなかった。
年頃になった劉飛麗は母親に似て美人に育った。妹の荀麗姫はさらに美しかった。
家族4人で幸せな生活を送っていたが、荀麗姫の実の父親は、ある日突然蒸発してしまった。またしても父親の愛を受けられなくなった劉飛麗は、それから母親と妹の3人で過ごす事になった。
母は先祖から受け継いだ田畑を耕して米や野菜を作る事を生き甲斐にして過ごし、劉飛麗と荀麗姫は荒陽の飯店で働き銭を稼いだ。
ある日の夜。仕事から帰ると、荀麗姫は嬉しそうに言った。
「お姉ちゃん、今日は私10人の男の人に声掛けられたよ。お姉ちゃんは?」
「3人かな。麗姫ちゃんは美人だし愛想もいいからね」
「お姉ちゃんももっと愛想良くしたらいいのに。どうして冷たい態度をとるの?」
「結婚したら家を出て嫁に行かないといけないでしょ? 母上ももうお歳だし長くは働けない。長女であるあたしが面倒見ないといけないから」
「そっか。私全然そんな事考えてなかった……」
「麗姫ちゃんはいいのよ。気に入った男の人がいたら一緒になりなさい。貴女の幸せは家族の幸せよ?」
「ううん。私は家族と一緒の方が幸せ。ずっと母上とお姉ちゃんと3人でいる!」
良く出来た妹だった。美しく、優しく、愛想も良く、家族想いで仕事も出来る。
決して裕福ではない家庭だったが家族との生活は楽しかった。
ところが、数ヶ月後、劉飛麗の家に朝廷から偉そうな役人が豪華な馬車に乗ってやって来た。
役人の男は馬車から降りると開口一番にこう言った。
「
あまりにも唐突な出来事だったので、もちろん家族は反対したが役人の男は聞く耳を持たない。抵抗したところでどうにかなるものではないし、逆らえば逮捕されるだけ。
結局、家族は土地と家を奪われ、国が用意した荒陽の南の外れの貧民街に移動する事になった。
先祖から受け継いだ田畑を失った母は生き甲斐を失くし、次第に塞ぎ込み体調を崩すようになった。
劉飛麗はそんな母親の看病をしながら家事をせざるを得なくなり、飯店の仕事には行けなくなった。収入は一気になくなり、突然の貧困生活に陥った。
そんな中、荀麗姫だけが1人街で働き続けた。しかし、その稼ぎだけで家族3人が食べていくのは難しかった。
ある日、荀麗姫は仕事から戻ると嬉しそうに劉飛麗に言った。
「聞いてお姉ちゃん! お金がいっぱい稼げる仕事があったよ!」
「そんなに嬉しそうに。一体どんな仕事よ?」
「
「廖班将軍……て、荒陽太守の
「凄いでしょ? 噂によるとね、家が貧しい下女には特別に家族が生活出来るよう保障してくれるんだって」
「……なんか、怪しくない? 麗姫ちゃん、変な事させられない? 大丈夫?」
「変な事って?」
「いや、ほら、廖班将軍の夜の相手とか……さ」
「夜の相手? よく分かんないけど、まあ大丈夫だよ! 家族の為なら平気平気」
「そう……嫌な事は嫌って言うのよ?」
「大丈夫だよ、お姉ちゃん心配し過ぎ」
「母上の許可はちゃんと取りなさいよ?」
「もちろん!」
劉飛麗の心配を他所に、母は荀麗姫が廖班の下女になる事を快諾した。太守の廖英は荒陽では名の知れた潔白な君主。その息子の廖班に仕えられるならそんなに良い事はない、と、嬉しそうに荀麗姫を送り出した。
「気を付けてね、麗姫ちゃん」
「お姉ちゃん心配し過ぎだってば。あ、分かった。私と別れるのが寂しいんだね〜。泊まり込みだからしばらく帰って来られないけど泣かないでね」
「泣くわけないでしょ」
「あは、もう泣いてるじゃん〜。仕方ないな〜、はいこれ。私だと思っていつも持ってて」
荀麗姫は自分の髪に刺していた桃色の
「じゃ、お姉ちゃん。母上をお願いね」
「うん。行ってらっしゃい。元気でね」
劉飛麗はその時から嫌な予感がしていたのだが、結局、母の事を考えたら止める事は出来なかった。
♢
荀麗姫が廖班に仕えてから半年が過ぎた。
月に1回荒陽から家族2人が一月食べられるだけの米と銅銭が役人によって送られて来るが、荀麗姫本人は一度も家には戻らなかった。
そんな状況に不信感を抱いた劉飛麗は、毎月来る役人に荀麗姫の所在を問い質したが、「仕事が忙しくて戻れないが元気にやっている」の一点張りで会わせてくれる事はなかった。
母も荀麗姫に会えない不安からか食事も摂らなくなり、やがて衰弱していった。
「麗姫はまだ来ないのかい、飛麗」
母はうわ言のように毎日荀麗姫の帰りを待ち続けた。
「きっともうすぐ戻りますよ。だから、ちゃんとご飯食べましょう、母上」
いつ戻るか分からないが、母を安心させる為にはそう言い続けるしかなかった。
その言葉が早く本当の事になる事を日々願って。
♢
それからさらに一月が経った月の綺麗な夜。荒陽から荷車に米俵ではないものを載せた役人達が家を訪ねて来た。いつも米を運んで来るのは昼間だったので、劉飛麗はそれを不審に思った。
「こんな時間に何の用でしょうか?」
劉飛麗の問い掛けに、役人達は俯いた。
その挙動に劉飛麗は猛烈な不安に襲われた。
「言いにくいのですが……荀麗姫は亡くなりました」
「え……」
役人の言葉に、劉飛麗の目の前は真っ暗になった。荀麗姫が亡くなった。確かにそう言った。では、その荷車の上の箱は……
劉飛麗は役人を突き飛ばし、荷台の長方形の箱の蓋を開けた。
箱の中には変わり果てた姿の劉飛麗の妹、荀麗姫が月明かりに青白く照らされ眠っていた。
「麗姫ちゃん……起きて……起きなさい。あたしよ? お姉ちゃんよ?」
いくら声を掛けても、いくら揺すっても返事はない。その肌は氷のように冷たく、とても人間とは思えなかった。
「嘘よ……麗姫ちゃんが死ぬなんて……まだ19よ? 死ぬ筈ないわよ……ねぇ? そうでしょ?」
役人達に問い掛けても答えは返って来ない。何故死んだのか。病気だったのか。いや、そんな筈はない。荀麗姫が家を出た時は元気だった。半年くらいで死ぬ病に罹ったというのか。それとも……
「事故です」
ふと、役人の1人が呟くように答えた。
「事故? どんな?」
「仕事中に頭を打ったと聞いております」
「頭を打って……?」
それ以上役人達は何も答えず、荀麗姫の遺体と、補償と言って金や絹をたくさん置いてそそくさと帰っていった。
気持ちの整理がつかぬまま、地面に下ろされた棺の中の妹の安らかな顔を、地べたに座り込んだ劉飛麗は優しく撫でた。氷のように冷たい以外は特に変わらぬその姿。ただ眠っているだけのようにも見える。
「麗姫ちゃん……可哀想に……こんな目に遭わされて、辛かったね、悔しいよね」
月明かりの下、返事のない妹へ、劉飛麗は1人語り掛ける。荀麗姫の顔にはポタポタと涙の粒が落ちた。
「母上に何て言えばいいのよ……こんな……」
劉飛麗は日が昇る頃まで、荀麗姫の遺体と共にその場で泣き続けた。
♢
だが、負の連鎖は止まらなかった。
荀麗姫の死を知った母は大いに悲しみ、体調が悪化。数日後、母は亡くなった。
残されたのは劉飛麗ただ1人。そして多額の銭と絹。
「こんな物が……何の役に立つのよ!!」
1人になった
荒い呼吸を整え、劉飛麗は目を瞑る。
荀麗姫は事故で死んだ。詳細は教えてはもらえなかった。これは明らかに何かを隠している。
そう思った劉飛麗は、自ら廖班の屋敷に下女として仕えに赴いた。廖班の屋敷の人間なら、荀麗姫の死の真相を知っていると思ったからだ。
劉飛麗の美貌が拒まれる筈がなく、何の苦労もせずに、廖班の下女になれた。
幸い父親が違った劉飛麗と荀麗姫は姓が違う為、荀麗姫の姉だとは気付かれなかった。
廖班という男は、父親である廖英とは似ても似つかない、権力と女が好きなクズだった。
劉飛麗は廖班に仕える事は不本意ながらも下女の仕事をすぐに覚え、僅か半月で廖班の屋敷の中を自由に動き回れるくらいの地位にまで上り詰めた。
劉飛麗は毎日のように廖班に夜の相手を求められたが、やんわりと断り続けた。僅かに抱ける可能性だけはチラつかせ、完全に捨てられないよう上手いこと距離を取り続けた。
そんな不愉快な日々を過ごす中、ついに劉飛麗は古参の下女に荀麗姫の話を切り出した。
「あら、劉さん。よく荀ちゃんの事知ってるね。あの子はアンタが入った頃には居なかったのに」
「荀麗姫は事故で死んだと聞きました。一体どんな事故だったのかご存知ですか?」
「なんだ、そんな事まで知ってんだ。あたしは実際に現場を見たわけじゃなく、部屋の中から聞こえてきた声を聞いただけなんだけど……絶対誰にも言わないでよ?」
「はい。言いません」
「荀ちゃんはね、廖班将軍に交合を求められたけど、それを受け入れなかったんだ。そしたら、廖班将軍は無理やり荀ちゃんを襲ったんだよ。縺れ合ってるうちに、荀ちゃんは棚の角かなんかに頭をぶつけちゃってね……可哀想だったよ……ほんと、いい子だったからね」
その下女は言いながら零れる涙を袖で拭った。
「教えて頂き、ありがとうございます」
荀麗姫の死の真相を知った劉飛麗は、その時誓った。必ず廖班を殺すと。だが、ただでは殺さない。恐怖と苦しみを与えてから殺してやると。
~~~
「それからわたくしは、廖班を殺す絶好の機会が来るまで、あの男のそばに仕え、その日が来るのを待っていました」
壮絶な過去を語った劉飛麗は、悲しい表情でそう続けた。
目の前の宵には目を合わせず、終始床へと視線を落としている。
「そんなに辛い過去があったなんて……私、全然知りませんでした……」
「当然です。この話は誰にもした事はありません。本当は宵様にもするつもりはありませんでした」
「……でも、飛麗さんは廖班将軍に手を掛けてはいなかったんですよね?」
「確かに、手は掛けていません。でも、わたくしは言葉を掛けました」
「……どんな」
「ごめんなさい。とても口に出来ません。でも、わたくしの言葉で廖班が取り乱したのは事実。口や胸から血を噴き出し、わたくしから逃げるように新台から落ち、頭を打った。……わたくしが殺したのです」
劉飛麗の告白に宵はもちろん、
きっと劉飛麗は、荀麗姫が妹だった事を明かし、彼女の無念、恨みつらみを廖班にぶつけたのだろう。
「……飛麗さん……」
宵は適切な言葉を見付けられなかった。何と言ってあげればいいのか分からない。廖班が悪いのは確か。だとしても、それが人を殺していい理由にはならない。
「本当は、直接殺してやろうと思ったんです。でも、宵様を見ていたら、麗姫ちゃんを思い出してしまって……宵様は廖班に恨みは抱かないと言いました。きっと麗姫ちゃんも復讐は望んでいなかったかもしれない……そう思ったら、あの男を殺す事を躊躇いました。……だから、せめて言いたい事だけは言ってやろうと……そしたら……」
劉飛麗は嗚咽を漏らして泣いた。
宵は堪らず劉飛麗を抱き締めた。言葉は見付からない、ただ抱き締めた。
「そういう事だったか」
李聞は力なくそう言うと、許瞻の方を見た。
「劉飛麗は直接廖班将軍を殺したわけではなさそうだ。しかし、死に追いやる原因を作った。殺意もあった。如何にすべきか、許瞻殿」
「うむ。劉飛麗が軍人であれば間違いなく死罪だが、この女は軍師に仕えているとはいえ民間人だ。軍法では捌けまい」
「ならば
「如何にも。ともかく今は劉飛麗を牢に入れ、機を見て荒陽まで護送しましょう。その後、荒陽で正式に裁けば宜しいでしょう」
「そうだな。軍師よ。悪いがもう劉飛麗とは共に居られぬ。それとも、何か劉飛麗を助ける策でもあるか?」
李聞の問に宵は弱々しく首を横に振った。
「ありません。罪は罪。“
言いながら宵は慟哭した。
もう少し劉飛麗の事を知っていれば、こんな復讐なんて止められたかもしれない。劉飛麗は完璧だから大丈夫だと勝手に思い込んでしまった自分にも罪はあるだろう。それが法に触れない事であっても、劉飛麗を罪人にしてしまった罪は、劉飛麗の主人としてとても重いものだ。
宵と劉飛麗はお互い抱き締め合い、涙が枯れるまで泣き続けた。
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