第70話 前を向いて、今やるべき事を

 廖班りょうはんが死んだ。

 その衝撃的な報せは陣内を駆け巡り、兵達を浮足立たせた。

 そんな中、隣の陣営から姜美きょうめいも召集され今後の方針を話し合う事になった。

 劉飛麗りゅうひれいと離れる事になった瀬崎宵せざきよいは、李聞りぶんに休んで良いと言われたが、軍師が軍議に出ないなど有り得ないと言ってその提案を拒んだ。宵の事を気遣っての事だっただろうが、劉飛麗はきっと宵が自分の事で塞ぎ込む事を良しとはしないだろう。劉飛麗という心の支えがなくなった今、自分がしっかりしなくてはならない。宵はそう思い自らに鞭を打った。



 軍議が行われる幕舎の中には李聞、姜美の他、軍監の許瞻きょせん、校尉の張雄ちょうゆう成虎せいこ龐勝ほうしょう、そして宵の7人が集まった。


「廖班将軍の死は敵には知られないようにせねばならぬが、陣営内の兵士達があれだけ騒ぎ回っていたらもう手遅れだろうな」


 李聞は神妙な面持ちで言った。すると、張雄が1歩前に出た。


「廖班将軍の死後に許可なく陣営を抜けようとした兵6名を捕らえ尋問したところ、内1名が朧国ろうこくの間諜でしたが何も吐かなかったので斬りました。他5名は脱走兵だったのでこちらも斬りました」


「そうか。張雄ちょうゆうご苦労であった」


「敵の間諜と脱走兵……」


 宵はボソリと言った。

 手に持った羽扇に目を落とし、閻と朧の準備と意識の格差に溜息をつく。兵が多ければ敵の間諜の侵入を防ぐのはより難しい。

 脱走兵が出てしまった事もあまり芳しい状況ではない。脱走兵を許せば軍律は乱れ次の脱走兵を出す事になる。辛いが処断は軍令に照らし合わせても妥当な事だ。


「間諜を処断したからと言って、廖班将軍の死が伝わっていないとは限りません。既にその間諜よりも先に陣を抜けた間諜がいたかもしれませんし」


「如何にも。今は士気も下がっている。無闇に動かず防御に徹する。廖班将軍の葬儀も速やかに執り行いたいところだが、しばらくはそれも叶わん。廖班将軍のご遺体だけでも先に荒陽こうようの廖英将軍のもとへ返したい。次に戴進たいしんが兵糧を運んで来た時に、ご遺体の搬送を頼もうと思う。廖英将軍には先行してふみを送った」


 劉飛麗が廖班を殺した事が廖英の耳に入れば、如何に名君と呼ばれる廖英であってもきっと厳罰を下すだろう。いや、名君だからこそ厳正なる裁きを下してくれるのだ。宵は厳正なる裁きを望んだが、死罪になるような事だけは避けたいと思っている。閻の法律を隅から隅まで読んだわけではないのでどんな罰が下されるか分からないが、死ぬ以外にも罪を償うすべはある筈なのだから。


「大丈夫か、軍師」


 一際深刻な顔をしていた宵を気遣って李聞が声を掛けた。


「……はい、大丈夫です……あの、1つ、提案があります」


「劉飛麗の件か?」


「いえ……軍事戦略についてです。今はその話をしているのでは?」


「ああ。そうだな。何だ? 言ってみろ」


 宵が劉飛麗の事を議題に上げなかったからなのか、李聞は意外そうな顔で宵を見ている。


楽衛がくえい殿を高柴こうしからここへ呼びたいのですが」


「楽衛を? 何故だ?」


「楽衛殿には私の考案した陣形を伝授致しておきました。高柴に駐屯している今も、きっと調練に励んでいる事でしょう。彼の陣形を使えば、朧軍がいくら攻めて来ようと敗れる事はありません。その陣形は、敵が使用した八門金鎖はちもんきんさのような欠点のあるまやかしの陣形とは比べものにならない完璧な陣形です」


 宵の強気な発言に、将校達は顔を見合せザワつく。


「そのような陣形をご存知でしたら、是非私に教えて頂きたいところですが、なるほど。既に調練を重ねているその楽衛殿という方をここへ呼んだ方が早いですね。私は良いと思いますよ、軍師殿」


 すぐに賛同してくれたのは姜美きょうめいだった。姜美はニコリと微笑み宵へウインクをした。

 だが、上座の李聞は難しい顔を崩さない。


「高柴には楽衛と安恢あんかいしかいない。楽衛をこちらへ呼び寄せれば、高柴の守りは安恢1人になってしまうぞ」


 李聞の言い分は尤もだ。

 しかし、宵にも考えがある。


「安恢殿には籠城する際の兵の動かし方を教えました。1人でも籠城なら出来る筈です。それに、地図を見る限り、私達がいる麒麟浦きりんほが抜かれなければ直接高柴へ向かう道はありません。必ず他の城塞を通過しなければなりません。最悪、別の朧軍の部隊が他を抜けて高柴へ向かったのなら、その時こちらから援軍を向かわせても十分間に合います」


 しっかりと根拠を持って説明された宵の計画を聴いた李聞はうーむと唸り顎髭を撫でる。

 宵は胸の前で羽扇を握り締め李聞の目を見つめる。

 すると、姜美がまた口を開いた。


「李聞殿。北からは費叡ひえい将軍が兵を出陣させております。そうなれば北方の道を敵の別働隊が通るのは至難の業。今は高柴の心配はしなくて良いでしょう」


 ことごとく宵の意見を擁護する姜美。彼女は中郎将という立場且つ、葛州刺史・費叡の直属の部下故に他の将校達は口を挟まない。李聞も納得して頷いている。


「分かった。軍師の策を採用し高柴の楽衛をここへ呼ぶ。兵は如何程連れて来させよう?」


「あまり多くは要りません。一応、高柴の守りも必要ですので3千程で十分です。高柴には7千も残せば大丈夫でしょう。それと、兵糧も自国の領土内ですからさほど心配しなくて良いかと」


「よし、決まりだ。誰か! すぐに高柴の楽衛へ伝令を! 兵3千を連れ麒麟浦まで出てくるように!」


 李聞の命令を外にいた兵士が受けてすぐに駆け去っていった。


「ありがとうございます」


 宵は李聞と姜美へ拱手すると深々と頭を下げた。

 腕を組んで横目で宵を見ていた姜美は、まさか自分が礼を言われるとは思っていなかったのか、慌てて拱手を返した。



 ♢



 軍議はその後細かな動き方などを決めると解散となった。

 部屋からは許瞻が忙しそうに一目散に出て行った。自分の監督していた軍で指揮官が死んだ為に朝廷へ報告するなどの仕事が出来たのだろう。軍監の仕事については宵は詳しくは分からないが、彼の尋常ではなさそうな顔を見るとその事態の重さを察せずにはいられない。


「軍師殿」


「あ、姜美殿」


 背後から呼び止められ宵は振り向く。

 幕舎の前のちょっとした木の階段をゆっくりと下りて来た姜美が宵の隣で足を止めた。


「移動の準備、手伝いましょうか?」


「ああ、それなら大丈夫です。荷物は纏めてあるし、あとは李聞殿の兵士に馬で運んでもらうだけなので。お気遣い頂きありがとうございます」


「そうでしたか。なら今夜には我々の陣営へ?」


「そうですね。その前に、寄りたいところが」


「劉飛麗、ですね」


「はい」


 宵が頷くと、姜美は何も言わずに肩をポンと叩いた。そして、黒いマントを靡かせながら何処かへと歩いて行ってしまった。


 どんよりとした雲の間に日が傾く中、宵は姜美の後ろ姿を見送ると、小走りで劉飛麗が囚われている牢へと向かった。



 ♢



 陣営の端にある小さな幕舎の中。小さな木製の檻の中に劉飛麗は大人しく座っていた。その檻は、この世界に宵が初めて来た時に囚われた檻と同じ形をしていた。手足は縛られておらず、低い天井のせいで立ち上がれない以外は特に不自由そうではない。

 そばには牢番の兵士が1人。さすがに鍾桂しょうけいではない。


「飛麗さん」


 宵は檻の前に膝を突き劉飛麗に笑みを見せた。


「宵様……罪人のわたくしに、わざわざ会いに来てくださったのですか」


 その言葉に、宵はムッとして劉飛麗を睨む。

 何故睨まれたのか分からない劉飛麗は困惑して首を傾げた。


「貴女との主従関係は解消です。もう“宵様”と呼ばないでください」


 すると劉飛麗は寂しそうに俯いた。


「そうですよね。わたくしなど」


「もうさ、そういうのなしで、本音で話そう。お姉ちゃん・・・・・


 目を見開く劉飛麗。宵の笑顔に涙を流す。


「……宵ちゃん・・・・


 初めて聞けたその呼び方。宵の目頭も熱くなる。


「すみません、牢番さん。少し外してもらえますか?」


 宵が言うと牢番の兵士は素直に幕舎の外へと出て行った。


 2人きりの幕舎の中。宵は口を開く。


「お姉ちゃんにさ、聞きたい事があるの」

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