第50話 尊く、儚い

 程燐戒ていりんかいを見送ってすぐ、瀬崎宵せざきよいは自室で筆を持ち、敵の砦を落とす策を考えていた。

 巴谷道はこくどうを突破した報告を受けてから、度々斥候が情報を持って来てくれた。その報告の中で、敵の砦内の兵力がおよそ千だという事が分かった。

 余計な犠牲を出す必要はないので、包囲して兵糧攻めにするのが安全だろう。だが、それだと長期戦になり、景庸関けいようかんに駐屯中の敵軍が援軍に駆け付け包囲を突破してくるだろう。景庸関と砦の距離はたった2里 (1.6km)しか離れていないのだ。

 それを抑えるには廖班りょうはんの軍だけでは兵力が足りない。近くの青陵せいりょうから援軍を要請する必要がある。しかし、青陵の軍の実力は恐らく大した事はないだろう。それに援軍を要請した所ですぐに動いてくれるか分からない。

 そんな事を心配するのであれば、初めから兵糧攻めではなく、敵を砦から誘き出し直接叩く方が早い。

 そう考えた宵は、敵を砦から誘き出す作戦を1つ竹簡に記した。


 とは言え、この策が通るかどうかは廖班次第。手柄を第一に考える廖班は宵の策を却下して勝手に砦を力ずくで攻め落とそうとするかもしれない。そうなったら高柴こうしにいる宵には止める事は出来ない。

 遠隔地から指示をする難しさに宵は頭を抱えた。やはり自ら戦場に赴くべきではないのか。

 

 だが悩んでも仕方がない。今は高柴の城を守るのが自分の任務だ。そう自分に言い聞かせ、宵は書き上げた作戦提案書を丸めて立ち上がった。


「誰か」


 宵が部屋の外に声を掛けると、すぐに下男が入って来た。


「これを兵舎の斥候に届けてください。重要な物です。すぐに出発し、必ず廖班将軍に届けるように」


「かしこまりました」


 下男は作戦提案書を受け取るとすぐに部屋から出ていった。


 下男を見届けた宵は、ふと、部屋を出て行ったきりの劉飛麗が戻っていない事に気が付いた。

 15分程前に御手洗に行くと言っていたが、未だに戻らないのはおかしい。体調が悪いのではないか。そう思った宵は、卓の上に置いていた羽扇うせんを持ち、劉飛麗を探す為部屋の外へと出た。


 ──が、劉飛麗はすぐに見付かった。

 中庭で空の満月を見上げ、1人佇んでいたのだ。

 いつも束ねている長い黒髪は下ろされ、夜風に吹かれサラサラと揺れている。その後ろ姿はあまりにも尊く、そして儚く見えた。


「飛麗さん?」


 宵の呼び掛けに、劉飛麗は驚き振り返る。


「あ! 宵様……」


 珍しく動揺している劉飛麗の頬に、一瞬月明かりが水滴を煌めかせた。


「え……飛麗さん? どうしたんですか?」


 すぐに顔を背けた劉飛麗に、宵は問い掛ける。


「ああ、月があまりにも美しく心を打たれておりました。すぐに戻らず申し訳ございません」


 劉飛麗は袖で涙を拭うと、再び振り返り、ニコリと笑った。手にはいつも髪に刺している桃色の簪が大切そうに握られていた。


「あの、飛麗さん、私でよければ──」


「さ、宵様、お身体を冷やしてしまいます。戻りましょう」


 劉飛麗は答えなかった。まるで聞くなと言わんばかりに宵の問い掛けを遮った。


「私、飛麗さんの力になりたいです……余計なお世話なら黙ります」


 羽扇の羽根を指先で触りながら、しゅんとして宵が言うと、劉飛麗は小さく息を吐いた。


「今話しても、どうしようもありませんわ。でも、いずれその時・・・が来たらお話致しましょう。宵様の秘密も、その時お話頂ければ結構です」


「え……?」


 何故だか分からないが、宵は劉飛麗の言葉に背筋に寒気が走るのを感じた。劉飛麗から度々感じるこの感覚は何なのだろう。宵にはその答えがどうしても分からなかった。


「さ、宵様。参りましょうか」


 いつも通りの笑みを浮かべた劉飛麗は、宵を部屋へと導いた。

 宵は何も言えず、そのまま2人で部屋へと戻った。



 ***


「軍師殿からの書簡です!」


 斥候の兵が持って来た竹簡を李聞が受け取った。

 澄み渡る青空の下、麒麟浦きりんほの幕舎には廖班以下将校達が皆集まっていた。


李聞りぶん、読め」


 廖班の指示を受け、李聞は竹簡を開き内容を読み上げる。


「『景庸関からの敵の援軍のおそれがある以上、砦を包囲しての兵糧攻め、所謂長期戦は避けるべし。敵の援軍の数によっては、以下の策は実行せず、麒麟浦に後退し様子を見る事。その場合、早急に青陵から援軍を要請し別の策を講じる必要あり』」


 そこまで読むと、李聞はチラリと廖班の方を見た。


「続けろ」


 特に顔色を変えない廖班が続きを促す。


「『頂いた図面によると、敵の砦は東西にのみ入口がある。そこでまず、廖班将軍の本隊1万と8千で東門の前に布陣。これは景庸関からの援軍を防ぐ役目も担う。敵の援軍が同数かそれ以下なら応戦。深追いは無用。援軍が同数以上なら作戦を中止して退却』」


 廖班を含めた武将達は皆真剣に宵の提案した策を聴いている。


「『そして、西門前には龐勝ほうしょう殿が歩兵千を率いて布陣。少し離れた位置に成虎せいこ殿が遊軍として精鋭の騎兵千騎を率いて待機。初めは東西どちらの門も本気で攻める必要はない。敵にはあたかも東門から破る姿勢だけを見せ、砦内の守備を東門に集中させる。敵の兵力が東門に集中した段階で一気に西門を強襲。その機に乗じて成虎殿も西門より攻撃。西門を突破したら速やかに砦内の敵を攻撃せよ。その間に東門を内から開き、敗走する敵兵に逃げ道を作るべし・・・・・・・・。その後、廖班将軍は、砦の外にて敗走して来た兵を討つこと。これ即ち、“東に声して西を撃つ”の計なり』」


「成程。敵を東側に集めて西側から突破するのか。良かろう。だが、“敵兵に逃げ道を作るべし”とはどういう事だ? 砦内で一網打尽にした方が早いだろう」


 廖班の疑問に成虎が何か思い付いたように、腰の帯に吊るした雑嚢ざつのうの中から竹簡を取り出して開くと1歩前に出た。


「恐らく、“囲師いしには必ずひらく”という兵法の教えがあるので、それに倣っての指示なのかと。囲まれて逃げ場を失った敵は死に物狂いで戦います。故に敵には逃げ場がある事を敢えて認識させ、死力を尽くさせないようにするのです」


「そういう事か。成虎。その竹簡は軍師の兵法が書いてあるのか?」


 成虎の持っている竹簡に興味を抱いた廖班は指をさして訊く。


「如何にも」


「ならば俺に寄越せ」


「勿論です。兵に書き写させて複製しました故、李聞殿と張雄ちょうゆう殿の分もございます」


 成虎はそう言って外から部下の兵士を呼び寄せると、3巻の竹簡を受け取り廖班、李聞、張雄の3人に配布した。


「これさえあれば……」


 ボソリと呟いた廖班は悪人面で微笑んだ。


「恐れながら申し上げます、廖班将軍。この兵法書は完全ではありません。一部が記されていないそうです。故に、これがあるからと言って軍師殿の力が不要なわけではありません」


 成虎は今にも“軍師は不要”と言い出しそうな廖班に拱手して忠言した。廖班は面白くなさそうに舌打ちすると成虎を1歩下がらせた。


「良いか。今回も軍師の作戦通りに動く。今のところあの女の策が間違った事はない。従えば必ず勝てる。皆の者、すぐに兵を整え、持ち場へ進軍せよ!」


「御意!!」


 廖班の命令で各将校達はすぐに幕舎から出ていった。

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