第50話 尊く、儚い
余計な犠牲を出す必要はないので、包囲して兵糧攻めにするのが安全だろう。だが、それだと長期戦になり、
それを抑えるには
そんな事を心配するのであれば、初めから兵糧攻めではなく、敵を砦から誘き出し直接叩く方が早い。
そう考えた宵は、敵を砦から誘き出す作戦を1つ竹簡に記した。
とは言え、この策が通るかどうかは廖班次第。手柄を第一に考える廖班は宵の策を却下して勝手に砦を力ずくで攻め落とそうとするかもしれない。そうなったら
遠隔地から指示をする難しさに宵は頭を抱えた。やはり自ら戦場に赴くべきではないのか。
だが悩んでも仕方がない。今は高柴の城を守るのが自分の任務だ。そう自分に言い聞かせ、宵は書き上げた作戦提案書を丸めて立ち上がった。
「誰か」
宵が部屋の外に声を掛けると、すぐに下男が入って来た。
「これを兵舎の斥候に届けてください。重要な物です。すぐに出発し、必ず廖班将軍に届けるように」
「かしこまりました」
下男は作戦提案書を受け取るとすぐに部屋から出ていった。
下男を見届けた宵は、ふと、部屋を出て行ったきりの劉飛麗が戻っていない事に気が付いた。
15分程前に御手洗に行くと言っていたが、未だに戻らないのはおかしい。体調が悪いのではないか。そう思った宵は、卓の上に置いていた
──が、劉飛麗はすぐに見付かった。
中庭で空の満月を見上げ、1人佇んでいたのだ。
いつも束ねている長い黒髪は下ろされ、夜風に吹かれサラサラと揺れている。その後ろ姿はあまりにも尊く、そして儚く見えた。
「飛麗さん?」
宵の呼び掛けに、劉飛麗は驚き振り返る。
「あ! 宵様……」
珍しく動揺している劉飛麗の頬に、一瞬月明かりが水滴を煌めかせた。
「え……飛麗さん? どうしたんですか?」
すぐに顔を背けた劉飛麗に、宵は問い掛ける。
「ああ、月があまりにも美しく心を打たれておりました。すぐに戻らず申し訳ございません」
劉飛麗は袖で涙を拭うと、再び振り返り、ニコリと笑った。手にはいつも髪に刺している桃色の簪が大切そうに握られていた。
「あの、飛麗さん、私でよければ──」
「さ、宵様、お身体を冷やしてしまいます。戻りましょう」
劉飛麗は答えなかった。まるで聞くなと言わんばかりに宵の問い掛けを遮った。
「私、飛麗さんの力になりたいです……余計なお世話なら黙ります」
羽扇の羽根を指先で触りながら、しゅんとして宵が言うと、劉飛麗は小さく息を吐いた。
「今話しても、どうしようもありませんわ。でも、いずれ
「え……?」
何故だか分からないが、宵は劉飛麗の言葉に背筋に寒気が走るのを感じた。劉飛麗から度々感じるこの感覚は何なのだろう。宵にはその答えがどうしても分からなかった。
「さ、宵様。参りましょうか」
いつも通りの笑みを浮かべた劉飛麗は、宵を部屋へと導いた。
宵は何も言えず、そのまま2人で部屋へと戻った。
***
「軍師殿からの書簡です!」
斥候の兵が持って来た竹簡を李聞が受け取った。
澄み渡る青空の下、
「
廖班の指示を受け、李聞は竹簡を開き内容を読み上げる。
「『景庸関からの敵の援軍のおそれがある以上、砦を包囲しての兵糧攻め、所謂長期戦は避けるべし。敵の援軍の数によっては、以下の策は実行せず、麒麟浦に後退し様子を見る事。その場合、早急に青陵から援軍を要請し別の策を講じる必要あり』」
そこまで読むと、李聞はチラリと廖班の方を見た。
「続けろ」
特に顔色を変えない廖班が続きを促す。
「『頂いた図面によると、敵の砦は東西にのみ入口がある。そこでまず、廖班将軍の本隊1万と8千で東門の前に布陣。これは景庸関からの援軍を防ぐ役目も担う。敵の援軍が同数かそれ以下なら応戦。深追いは無用。援軍が同数以上なら作戦を中止して退却』」
廖班を含めた武将達は皆真剣に宵の提案した策を聴いている。
「『そして、西門前には
「成程。敵を東側に集めて西側から突破するのか。良かろう。だが、“敵兵に逃げ道を作るべし”とはどういう事だ? 砦内で一網打尽にした方が早いだろう」
廖班の疑問に成虎が何か思い付いたように、腰の帯に吊るした
「恐らく、“
「そういう事か。成虎。その竹簡は軍師の兵法が書いてあるのか?」
成虎の持っている竹簡に興味を抱いた廖班は指をさして訊く。
「如何にも」
「ならば俺に寄越せ」
「勿論です。兵に書き写させて複製しました故、李聞殿と
成虎はそう言って外から部下の兵士を呼び寄せると、3巻の竹簡を受け取り廖班、李聞、張雄の3人に配布した。
「これさえあれば……」
ボソリと呟いた廖班は悪人面で微笑んだ。
「恐れながら申し上げます、廖班将軍。この兵法書は完全ではありません。一部が記されていないそうです。故に、これがあるからと言って軍師殿の力が不要なわけではありません」
成虎は今にも“軍師は不要”と言い出しそうな廖班に拱手して忠言した。廖班は面白くなさそうに舌打ちすると成虎を1歩下がらせた。
「良いか。今回も軍師の作戦通りに動く。今のところあの女の策が間違った事はない。従えば必ず勝てる。皆の者、すぐに兵を整え、持ち場へ進軍せよ!」
「御意!!」
廖班の命令で各将校達はすぐに幕舎から出ていった。
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