第51話 葛州刺史・費叡の副官
葛州刺史・
その報告に顔色を変えた費叡は、鎧兜を身に付けた葛州の将軍数十名を集め軍議を開いた。
「諸君。先刻入った報告によると、
費叡の驚愕の話に、将軍達にはどよめきが走る。
洪州は、葛州の南に位置し、葛州同様に朧国の国境に接している。敵の手に落ちた3つの関はいずれも朧国との国境の関所だ。
「何と言うことだ!
将軍の1人、
「廖班に先鋒を任せたのが間違いだったのです! 洪州の3つの関の陥落は洪州刺史・
「ま、待て、陳将軍! 廖班は
費叡の見当違いの憂いに対し、将軍・
「戦の後の事など、今はどうでも良いのです。今は目先の朧軍の侵攻をどうすべきか、それが重要。朧軍を阻む事が出来なければ、費叡将軍が刺史でいられるかも分かりません」
陳軫の反論にぐうの音も出ず、費叡は頭を抱える。
すると、武将達の先頭に立っていた費叡の副官の1人、
「陳将軍。廖班を先鋒に起用する軍議には其方も出席し賛同したと聞きました。葛州の将兵を犠牲にしたくないが為に、
「なっ! そんな、自分に責任がないなどとは……」
「廖班を罰したところでこの戦に勝てるのですか?」
「いや……それは……そ、それはそうと、私は
「話を逸らさないで頂きたい。廖班を罰すれば戦に勝てるのですか? 陳将軍」
姜美の問に言葉を返せず陳軫は俯いた。姜美はまだ若いが優秀な将校だ。自分の考えを持ち、例え相手が歳上の将軍であろうと臆せずに発言する。背は低く小柄だが、決して妥協しない力強い意思がある。
姜美は陳軫を一瞥すると、費叡に向き直り、拱手した。
「費叡将軍。廖班は砦の破壊にこそ失敗しましたが、途中の
「あ、ああ。確かに。報告ではそう聞いている」
「思いますに、廖班は恐らく頭の切れる策士を手にしたのではないでしょうか」
「策士を?」
「ええ。先の賊軍討伐の際も、初めは連敗続きで
“兵法”という言葉に、将軍達はざわめく。
「兵法を知る者……。それが本当だとしたら、廖班如きがその策士を独占しているという事ではないか! おのれ、そのような貴重な人材を手にしておきながら、この儂に報告せず隠していたというのか……青二才が……!」
「お怒りはご尤もです。なれど、もう少し廖班を泳がせてその策士がどれ程使える者なのか見定めましょう。幸い、目下、麒麟浦には廖班軍が駐屯しています。廖班が敵の砦をどう攻めるのか観察するのです。単純に勢いのみで攻撃していれば考えられる事は4つ。1つ、策士の実力は大した事がない。2つ、策士が従軍しておらず連携が取れていない。3つ、策士は廖班に信用されておらず必ずしも策を取り入れられるわけではない。4つ、策士はそもそも存在しない」
「成程な。姜美の考えは見事だ。流石は儂の副官」
費叡は嬉しそうに声を出して笑う。それに対し、姜美は淡々と話を進める。
「廖班が砦の攻略に失敗する場合も大いに考えられますので、念の為、
「ああ、そうだな」
「勿論、洪州の3つの関が落とされたとなれば、南より朧軍がこちらに侵攻するおそれもあります。その際は、
「分かった。そうしよう。おい! 青陵と椻夏に出陣の準備をさせろ!」
姜美の案を全面的に採用した費叡は、兵士を呼び寄せすぐに青陵と椻夏に伝令を送った。
「廖班が策士を得ていた場合ですが、一度その者を胡翻へ寄越すよう命じましょう。有能な人材は、呂大都督がいらっしゃるまでは、総司令官である費叡将軍のもとにいた方が良いですから」
「ああ……だが、もし廖班が策士の存在を隠したら?」
「その時は強制的に連行しましょう。馬寧将軍に5千の兵を付けて、廖班への援軍と称して麒麟浦の北十数里に布陣させます。機を見て廖班の陣営に赴き、策士を胡翻へ出頭させるよう交渉するのです」
姜美に名を挙げられた馬寧は嬉しそうに1歩前に出た。
「いや、その役目は姜美にする」
突然の指名に姜美は長い睫毛の綺麗な目を見開いた。
「費叡将軍。私は将軍の副官です。おそばで将軍の軍を指揮するのが使命。私が一軍を率い胡翻を離れるなど……万が一、将軍の身に危険が迫ったら……」
「案ずるな。儂には其方と同等の力と忠誠心を持つもう1人の副官・
姜美の向かいの列の先頭の男が無言で頷いた。
「この任は、其方に頼みたい。姜美。やってはくれぬか?」
「軍令とあらば、謹んでお受け致します」
姜美の高い声が静かな部屋に凛と響いた。
***
麒麟浦の東の朧軍の砦の包囲は迅速に完了した。
軍師・
西門には
「弓隊、攻撃始め!!」
廖班の号令で東門への攻撃が始まった。弓兵が空へ向け矢を放つと、矢の雨が敵の砦の中へと降り注ぐ。砦の防壁の上にいた敵兵はバタバタと下へ落ちていく。
門を突破する為の丸太くらいしか攻城兵器を用意していない為、東門も西門も砦への安全な攻撃方法は弓矢のみである。
同じ頃、西門の龐勝の弓隊の攻撃が始まった。
こちらは防壁の上の兵を狙い撃つだけで砦内へは射掛けない。
敵の弓矢での応戦も大した事はなく、弓隊の前に盾を持った歩兵を配置するだけで防げた。
一方の東門の攻撃は熾烈だ。
矢は絶えず放たれ、後方に控える兵達が喊声を上げ敵を威圧し続ける。
「李聞よ、このままいけば、矢の雨だけで敵を全滅させられるかもしれんな。元よりこの砦には千人程しかおらぬ」
「そう上手くいけば宜しいが……」
廖班はいつも通り得意気に言うが、李聞は至って冷静だった。何度も振り返り、後方の景庸関を気にしている。
その時、李聞の目が景庸関に動きを捉えた。
「廖班将軍! 景庸関が動きました! 敵の騎兵がこちらへ向かっています!」
いち早く朧軍の動きに気付いた李聞は廖班に報告するやいなや、軍の半分を反転させ敵の援軍の攻撃に備えた。
援軍はおよそ5千程。自軍の兵力の半分以下だ。宵の指示では自軍の兵力より少なければ応戦せよとの事だったので、1万8千の半分、9千で応戦の姿勢をとった。
「廖班将軍はこのまま敵の砦へ攻撃を続けてください。私と張雄で後方の敵を──」
言いかけた李聞の目に、信じられないものが飛び込んだ。
敵の5千の騎兵の後方から、さらに5千の騎兵隊が3部隊、合計2万の騎兵が廖班の1万8千の軍に向かって駆けて来たのだ。
「廖班将軍! 敵の援軍約2万! 作戦を中止して退却しましょう」
「おのれ、何と対応の早い……李聞、何とか抑えろ! もう少し時間があれば西門から落とせる!」
「なりません! 今落としたところで、制圧は出来ないでしょう! あの2万の軍勢が我々を待ってくれるとでも?」
「わ、分かった。一度退こう」
廖班がもたついたのはほんの僅かな時だけだった。しかし、敵の騎兵の機動力は高く、あっという間に距離を詰めてくる。
「退却ー!! 退却せよーー!!」
急ぎ退却を始めた廖班軍1万8千。半数以上が歩兵である事が祟り、その最後尾が敵の騎兵の餌食になっている。
「廖班将軍はこのままお逃げ下さい! 私が殿軍となり敵を食い止めます!」
「わ、分かった! 頼むぞ!」
李聞が反転し、敵に向かおうとしたその時、北の方からまたも騎兵隊が現れ廖班軍へと向かって来た。
敵か味方か。李聞が歯を食いしばりその騎兵隊を見極めようと目を凝らす。
目に映ったのは“費”という文字の入った軍旗だった。
「費叡将軍の援軍……味方だ! 味方の援軍だぞ!」
李聞の喜びの声は味方の兵にも伝播し喊声が上がった。
費叡の援軍は5千の騎兵。その動きは俊敏で朧軍の騎兵隊にも引けを取らない。
瞬く間に費叡の騎兵隊は朧軍の側面から突っ込みその隊列を乱し混乱させた。
「一体誰が……? 葛州にあのように騎兵を操れる将軍がいたとは……」
“費”の軍旗を掲げた騎兵隊の活躍のお陰で、廖班軍は損害を少なく抑え、何とか麒麟浦の西まで退却する事に成功した。
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