第36話 敗戦、兵の損害は?

 景庸関けいようかんから撤退してきた張雄ちょうゆう安恢あんかいが額を床に付けて廖班に許しを乞うていた。

 それを許瞻きょせんに呼ばれて再び部屋に戻って来た李聞りぶんと、兵の調練をしていた楽衛がくえい、そして、景庸関けいようかんの兵站を担当していたが途中で撤退する張雄と安恢を見付け共に帰還して来た戴進たいしんが神妙な面持ちでただ見つめる。


 張雄と安恢の話によれば、初めは廖班の命令通りに防御に徹していたが、蔡彪さいひょうが敵の将軍の挑発に乗り、単騎で勝手に出陣してしまったのだと言う。


「蔡彪将軍と言えば、かつては武勇で名を上げた猛将だったはず。その男が一騎打ちで敗れたというのか?」


 廖班の問に安恢が顔を上げた。


「はい……蔡彪将軍は敵の陸秀りくしゅうという将軍と30合以上打ち合いましたが、高齢で実戦から離れていた期間が長かった蔡彪将軍は次第に動きが緩慢になり……」


「おのれ! まさに年寄りの冷や水ではないか!」


 廖班は今まで見た事のない程顔を真っ赤にして机を思い切り叩いた。


「お前達は蔡彪将軍を止めなかったのか!? 防御に徹していれば、宵の策で朧軍を打ち滅ぼせたと言うに!」


 廖班の怒号に、今度は張雄が顔を上げた。


「勿論、我々は必死に蔡彪将軍を止めました・・・・・・・・・・。しかし、聞き入れられなかったのです! 力及ばず、申し訳ございません」


 張雄は何度も頭を下げ、安恢と共に謝罪の言葉を繰り返す。


成虎せいこ龐勝ほうしょうは何故戻らん!? まさか2人も死んだのか!?」


「成虎と龐勝には殿軍を任せました。高柴こうしまでの道中で死んでなければ直に戻るはずです」


 頭を上げた張雄が答えた。


「兵は? 何人残ったのだ? お前達には2万も渡したのだぞ?」


「わ、分かりません……」


「馬鹿者!! それでも将校か!! もう良い!! 戴進! 兵の被害状況を調べたのち報告せよ!」


「御意!」


 激怒した廖班の命令で、戴進はすぐに部屋から出て行った。


「張雄、安恢。貴様ら、俺が父上から借りた2万もの兵! 半分も残っていなければただでは済まさんぞ! たったの1日で要所、景庸関を奪われおって!」


「勿論、覚悟は出来ております。どうか軍法によってお裁きください!」


 張雄はまた額を床に付けて言った。安恢も平身低頭謝罪に徹している。


 話だけ聴いていると、蔡彪という将軍が軽率な行動をした為に招いた事態に思える。

 張雄と安恢の制止を聞かずに単騎で出陣してしまうような将軍では要所の防衛には向かない。ただ、敗走するにしても、軍を纏め、損害の確認をしていない所は100%張雄と安恢の職務怠慢だ。とは言え、廖班も自軍の状況を把握していないのだから、2人を咎められないのだが、その辺はしっかりと追求する。


「宵よ。この状況、如何にすべきか」


 突然、廖班は宵に振る。


「……分かりません」


「何? 分からないだと!? そうか、自分が立てた策が使えなくなった故、自暴自棄になったのだな。軍師なら、すぐに次の策を申せ!!」


 怒りの矛先を宵に向ける廖班。怒鳴られ、身体はビクッと震えるが、心の奥底には怒りが燃える。

 廖班の理不尽な態度に、李聞が何か言おうとしていたが、宵は先に口を開いた。


「自軍の損害、敵軍の状況が分からないのでは、私は策を練る事は出来ません。敵は景庸関にいるのか、それとも、さらに侵攻して閻帝国内にいるのか。まずは斥候を送り、敵の状況を調べさせてください。情報は詳しければ詳しい程良いです」


 一々正論を言う宵に対し、怒り狂っていた廖班は何も言い返せず、部屋の外の兵士に斥候を命じた。


「それと、葛州かっしゅうの各郡との連携も急いでください。味方が多ければ私も様々な献策が出来ますので」


「……分かった」


 廖班は何故か渋い顔をして首肯した。



 ♢



 廖班から一時解散の命令が出されたので、宵は李聞と楽衛と共に一旦部屋から出た。

 部屋にはまだ廖班、許瞻、張雄、安恢の4人が残っている。腹の虫が収まらない廖班が張雄と安恢に景庸関での敗北の責任を追求しているようだ。


「宵。済まないな。またお前を戦に巻き込んでしまって」


 申し訳なさそうに李聞が言った。


「いえ、これは私の運命なんだと思う事にします。それに、閻で戦が始まってしまったのなら、この国にいる内は戦わなければきっと生き残れませんし」


「宵、お前たったの半月合わぬ間に見違えるように強くなったな」


「え? そうですか?」


「私も思いました、李聞殿。宵が初めて我が陣営に連れて来られた時は捕虜の立場だったとは言え、まるで子犬のように震えていたのに、先程の献策は実に堂々としていて人が変わったのかと思いました」


 突然、話した事もない楽衛が感心したように李聞との会話に入って来たので、宵はキョトンとした顔のまま頭を下げた。

 廖班の部下は、李聞を除き、張雄のように傲慢で粗暴な将校しかいないと思い込んでいたので楽衛の反応には正直驚いた。


豊州ほうしゅうでの衙門がもん勤務のお陰か、劉飛麗りゅうひれいとの共同生活のお陰か」


「その節は本当にありがとうございました。李聞殿。衙門で働いた期間はとても充実した日々でした。飛麗さんとも親しくなりましたし。あ……飛麗さんは……どちらに? まだ私の下女……ですよね?」


「劉飛麗は城内にいる。だが、今も尚お前の下女かどうかは分からん。それは廖班将軍に聞くしかない」


「そう……ですか……」


 宵はショボンとして俯く。

 劉飛麗がまだここにいるのは良かったが、下女でなくなる可能性があるのは受け入れ難い事態だ。劉飛麗が宵の下女でなくなれば、きっと今まで通りに姉妹のように接する事は出来なくなるだろう。


 そんな時、誰かが宵の脇を通り抜けて廖班達がいる部屋に入っていった。


「報告します!」


 その声は景庸関から戻った兵の損失を調べていた戴進だった。

 宵、李聞、楽衛の3人は振り返り部屋から聞こえてくる戴進の報告に耳を傾けた。


「景庸関から戻った兵に負傷兵はほとんどおりません。……が、その数およそ5千……でございます」


 戴進の報告が終わると同時に廖班の怒号が聞こえた。


「5千!? 2万が、たった5千だけ?? 1万5千も失ったのか!?」


 廖班の怒号に対し、張雄の必死の謝罪が聞こえる。

 宵の隣で李聞と楽衛が頭を抱えて首を横に振る。


「誰か! 張雄と安恢を棒で百度打て!!」


 その命令が言い渡されると、部屋の中に兵が4人駆け込んでいき、中から張雄と安恢が引きずり出された。

 その勢いに宵は思わず道を開ける。

 目の前を兵士に連行される張雄と安恢が通る。2人共覚悟を決めたのか、まるで暴れず俯いたまま通り過ぎた。

 流石の李聞もその2人を庇う事は出来ないようだ。兵士に連行される憐れな後ろ姿をただ見守っている。

 そして、他の兵士達によって、手際良く宵達の目の前に台が用意され、その上に張雄と安恢が乱暴に叩き付けられるようにうつ伏せに寝かされた。

 さらにどこからともなく棒を持った兵士が2人現れ、その棒を大きく振り上げた。

 まさかこんな所で刑を執行するのかと、宵が顔を背けたその時──


「報告!! 報告!!」


 そのタイミングで、さらに新たな兵士が1人走って来てそのまま宵達の後ろの部屋に入っていった。

 棒を振り上げた兵士達もそのままの姿勢で廖班のいる部屋の方を見た。


「成虎殿と龐勝殿が兵を連れて帰還されました! その数、1万余り!」


 その報告に廖班は部屋から飛び出して城門の方を見た。釣られて宵達も廖班の視線の先を見る。

 城門の方からは兵士の報告通り、見るからに大軍勢が歩兵と騎兵入り乱れてこちらに向かって来ているのが見えた。


「大した奴らだ」


 李聞がニヤリと笑って呟いた。

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