第34話 高柴で面会

 鍾桂しょうけいが訪ねて来た翌朝。

 瀬崎宵せざきよいは、下女の劉飛麗りゅうひれいを伴い、廖班りょうはんのいる葛州かっしゅう高柴こうしへと向かっていた。


 馬は2頭。

 鍾桂が元々連れて来た軍馬と劉飛麗が街で買ってきた安い駄馬。荷物を括り付け移動するだけなら十分な働きをしてくれる。

 駄馬には宵と劉飛麗の最低限の荷物を括り付け、乗馬も容易くこなす有能な下女、劉飛麗が乗る。宵の祖父、瀬崎潤一郎せざきじゅんいちろうの大切な形見の竹簡も劉飛麗の馬の荷物の中にしまってある。

 そして鍾桂が操る軍馬には、例の如く宵が鍾桂の前にちょこんと座る。鍾桂は昨晩宵と一緒に寝られなかったのを根に持っているのか、ボディータッチが多い。それを許している……わけではないが、宵が鍾桂の行為を咎める事はない。


「昨日俺が泣いてた事は忘れてくれないかな」


 不意に鍾桂が小さな声で言った。


「どうして? いいじゃん、私だって泣いた事あったでしょ?」


 宵は振り向き、背後の鍾桂の顔を見上げる。


「いや、宵は女の子だし、別に泣いても変じゃないけど、俺は男で、しかも兵士なんだよ。他の兵士仲間に知られたら……」


「男の人も兵士も泣く事はあるでしょ? それに、私は鍾桂君の辛い気持ち良く分かるし」


「……その……宵は俺の事、弱虫だとか思わないの?」


「思わないよ。私の中では君はカッコイイ閻の兵士」


「……ありがとう、宵」


 突然、鍾桂は宵を背後から抱き締めた。それは彼氏が彼女を抱き締めるかのような愛に満ち溢れた抱擁。突然の事に宵は声も出ずただ身を任せる。


 馬上でイチャつく2人のもとへ、劉飛麗が馬を寄せてきた。同時に鍾桂は宵から離れそっぽを向く。


「宵様、今はお戯れも結構ですが、廖班将軍の前では気を引き締めてください。くれぐれも将軍を咎めるような事は口にしてはいけませんよ」


 劉飛麗は真剣な眼差しで顔を火照らす宵に忠告した。


「はい……そうですね。肝に銘じます」


 宵が素直に頷くと、劉飛麗はニコリと微笑んだ。



 ♢


 半日程で3人は高柴に到着した。日は傾きかけ西日が3人を照らす。

 外城の門を潜り、内城へと入った宵はその光景に目を疑った。街は活気がなく、民家や商店も半壊しているものが多い。まともに機能している街とは思えない悲惨な状況だった。

 先の賊軍との戦闘での被害だろう事は容易に推測出来る。

 ただ、城壁だけは見栄えが良くどこも壊れた所はない。

 3人は寄り道する事もなく、真っ直ぐに街の中心にある宮門へと向かった。


 宮門への入口兼見張り台である角楼かくろうの下には門番の兵士が2人立っていた。


「廖班将軍の命により、宵を連れて来た」


 鍾桂が言うと、門番の兵士は頷き、角楼の上にいる兵士に手で合図を出す。

 すると、固く閉ざされていた門が重厚な音を立てて開いた。


「通れ」


 門番の許可が下り、鍾桂は馬を進めた。その後に劉飛麗も続く。

 宵は周りを物珍しそうにキョロキョロと見回す。内城とは違い、宮門の中はまるで別の世界かのように整っていた。その美しさに宵のこれまでの不安が融解する。戦は忌むべきものなれど、子供の頃から好きだった三国志の世界観は、宵の心を癒す薬に他ならない。


 だが、そんな宵の穏やかな心を一瞬にして冷ましてしまうものが現れた。


「おお! 宵! 久しぶりだな。閻には慣れたか?」


 にこやかに現れたのは憎き将軍廖班。門までわざわざ出迎えにやって来たようだ。

 その廖班の笑顔は、鍾桂を脅して従わせた事に対する罪悪感など微塵も感じさせない澄み切ったものだった。それに宵は堪らなく腹が立ったが、鍾桂は大人しく馬から下りて拱手した。

 劉飛麗も馬を下りて拱手したので、宵も鍾桂の手を借り馬を下りて拱手した。


「廖班将軍。ご無沙汰しております。お陰様で閻の街にも文化にもすっかり慣れました」


「そうか。それは良かった。尤も、劉飛麗が付いていて生活で苦労する事などありはしないだろうがな」


 廖班は上機嫌に笑う。

 それに応じるように劉飛麗は軽く頭を下げた。


「廖班将軍。ご命令通り、宵を連れて参りました。……あの、私の家族は……」


 鍾桂は頭を下げたまま恐る恐る尋ねる。


「ああ、其方の家族か。無論、故郷で平和に暮らしているだろう。ほれ、家族にいい物でも食わせてやれ」


 廖班は鍾桂のそばに来ると、懐から銀子ぎんすを1つ取り出し鍾桂の手に無理矢理握らせた。そして、また呵呵と笑いながら鍾桂の肩をポンポンと叩いた。鍾桂の兜が欠けているのも額に包帯を巻いているのも気にする素振りはない。


「よし! では宵、早速だが其方に話がある。ついて参れ」


「あ、廖班将軍! 鍾桂君と飛麗さんは……?」


「不要だ」


 もう用はないとばかりに廖班は踵を返すと、宵の肩に手を回し、宮殿の方へと誘った。

 予期せず信頼している2人と引き離される不安に襲われ、宵は鍾桂と劉飛麗を顧みたが、2人とて将軍には逆らえず、ただ連れて行かれる宵を心配そうに見ているだけだった。



 ♢


 宮殿の一室に通された宵は、丁重に客人の席へと案内されたので、言われるがままにむしろの丸い座布団の上に正座した。

 目の前の低い卓には料理と酒の注がれた盃が置いてある。


「さあ、宵。其方の到着を心待ちにしていた。まずは再会を祝して飲もうではないか」


「では……頂きます」


 上座に座った廖班が盃を掲げたので、宵も盃を掲げ一口呑んだ。

 対面の席には見覚えのある男が座っている。確か、軍監の許瞻きょせんだ。廖班同様、にこやかに酒を呷っている。


「早速だが、宵。残念な事に我が閻帝国と東の朧国ろうこくとの戦が始まってしまった。それは鍾桂から聞いているな?」


「はい。それで私の兵法を使い敵を追い払いたいのだと……そう聞いております」


「そうだ。其方も軍師として働きたいとかねてから申しておった故、こうして招き寄せたわけだ」


「しかし、廖班将軍。将軍は以前、私を正式に軍師とは認めないと仰いました。今回も軍師にするのではなく、知恵を借りるだけ、という事でしょうか?」


 宵の問に、廖班は1つ息を吐き首を振る。


「俺は其方の兵法を認めている。其方を軍師にしてやりたい気持ちはあったが、あの時は賊軍を追い払い、それ以上の戦闘行為はないと考えていた故、うら若き女子おなごの其方を危険な軍に置いておくのが忍びないと思って軍師にはしなかったのだ。だが、此度こたびは違う。戦が始まってしまった。朧軍を倒さない限り戦は終わらん。常時軍師が必要になったのだ。故に宵、此度は其方を正式に・・・軍師として迎える。其方の力を貸して欲しい」


 何と都合のいい事を言う男だ。黙って聴いていた宵は鼻で笑いたいのを堪え顔を伏せた。

 鍾桂を脅して強引に宵を連れて来たくせに、さも丁重にもてなした風を装う廖班という男に宵の苛立ちは募る。こんな男の為に兵法を使い戦をして人をあやめないといけないのか。

 膝の上で握られた拳に自然と力が入る。


「現在、都の秦安しんあんより、此度の朧軍との戦の為に大将軍に任命された呂郭書りょかくしょ殿が、大都督として80万の大軍を指揮しこちらに向かっている。だが、出来れば俺は大都督がこちらに到着する前に1つ戦果を挙げたい──」


「廖班将軍!!」


 廖班の話を遮り、突然部屋に男が大声で廖班の名を呼びながら入って来た。


「宵を連れ戻したとはどういう事ですか!?」


 怒りに顔を真っ赤にしているその男は、宵の良く知る人物。李聞りぶんだった。


「どういう事? 宵の力が必要だから呼び戻した。それだけだ。何か問題でもあるか? 李聞よ」


 廖班は物凄い形相で睨む李聞に臆する事なく平然と言ってのける。


「宵の事は当面の間は軍には関与させず、地方でその実力を見ようという事になったではありませんか? それを私に何の相談もなく──」


「え!? 李聞殿、私がここに来る事を知らなかったのですか??」


 李聞の事は鍾桂には訊かなかった。てっきり、廖班軍の2番手である李聞も承知の上での宵の招集だと勝手に思い込んでいた。

 しかし、どうやら廖班の独断。いや、もしかしたら、ここにいる許瞻と2人で計画した事なのかもしれない。


「知らぬ! 知っていればお前をここへは連れて来させなかった!」


 李聞は悔しそうに頭を振った。


「まあ落ち着け李聞よ。其方はそう言うと思って敢えて伝えなかったのだ。我々閻軍は残念ながら脆弱。普通に戦っても勝てん。なれど、宵の兵法があれば勝てる。そうだろ?」


「兵法があっても、今回の敵は先の賊軍とは違います! 訓練された軍隊です! 必ずしも勝てるとは言い切れません!」


「くどいぞ李聞! 兵法はないよりはあった方が遥かに良い。それに、既に宵はここに来てしまっている。ここに来た以上、宵はもう名実共に軍の関係者。ただの地方の役人ではない」


「宵……何故ここへ来たのだ……」


 李聞は悔しそうに歯を食いしばりながら宵を見る。その迫力に宵は怖気づき肩を竦める。


「もう良い! 李聞! 邪魔だ! 頭を冷やして来い! 誰か! 李聞をつまみ出せ!」


 廖班が命じると、外に控えていた兵士が2人部屋に入って来て李聞の両腕を掴み強引に連れ出してしまった。

 李聞の怒号がしばらくの間遠くで響いていた。

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