第3章 陰の軍師

第33話 景庸関の戦い

 閻帝国えんていこく葛州かっしゅうの東の果て、隣国、朧国ろうこくとの国境、景庸関けいようかん

 突如攻めて来た朧国軍はその兵力5万。

 対する閻帝国軍は、景庸関に2万5千の兵力しか到着しておらず、兵力差では圧倒的に閻帝国の旗色が悪い。

 おまけに閻軍は、数十年もの間平和が続いた為、戦の経験者はほとんど軍に残っておらず、実戦経験のない若い武将達ばかりが軍を仕切っていた。故に青天の霹靂で始まったこの朧国との戦に浮き足立っている状況だ。


 そんな中、景庸関の守備を任された、過去に戦の経験のある葛州の老将・蔡彪さいひょうは、景庸関の防壁の上から、徐々に迫り来る朧軍を鷹のような眼光で眺めていた。

 蔡彪の左右には、大勢の兵が弓を構え、蔡彪の攻撃の合図を待っている。

 迫り来る敵は鉄製の大きな盾を持った歩兵が5千程。その後方に土嚢を持った同じく5千程の部隊が続く。


「敵を張り付かせるな! 堀を埋める気だ!」


 蔡彪が大声で指示を出す。

 景庸関の前には15けん(約27m)程の水堀が掘られているが、唯一の通行手段である跳ね橋は上げており敵が渡れないようにして直接防壁を攻撃されないようにしている。

 敵はその堀を土嚢で埋めて渡り攻めようという魂胆だ。もちろん、籠城戦の経験がない蔡彪と言えど、そのくらいの事は解る。

 数で圧倒的に勝る朧軍が本気で堀を埋める作業に入れば、あっという間に埋め立てられてしまうだろう。

 蔡彪は右手で腰の刀を抜き、水平に構えた。

 朧軍は盾で身体を隠しながら着実に近付いて来る。

 その地を踏み鳴らす地響きと、統率の取れた雄叫びが蔡彪や張雄ちょうゆう安恢あんかいら部将達、そして兵士達にも伝わる。

 そして敵兵が堀の手前まで迫った。


「放てーー!!!」


 蔡彪の刀が前方に振られると同時にその大声が弓兵に伝播し一斉に矢が雨のように降らされた。

 矢は敵に届いたが、盾で防がれ何人も射殺せてはいない。それ所か、盾を持つ兵の背後から一斉に現れた弓兵がこちらへ矢を射てきた。

 矢の雨は閻軍にも降り注ぎ、防御をする事を完全に失念していた閻軍の弓兵達は次々とその矢に当たりバタバタと防壁の上で倒れていった。


「小癪な!」


 蔡彪もこの反撃は予想していなかったが、無数に飛んで来る矢を持っていた刀で咄嗟に打ち落とした。

 こちらからの弓矢の攻撃はほとんど停止してしまったが、敵からの夥しい数の矢は止まらない。


「蔡彪将軍! ご命令を!」


 屈んで防壁に身を隠している張雄が必死に蔡彪に指示を求める。壁に当たって跳ね返ってきた矢が頭の上に何本もカラカラと落ちてくる。


「ぬぅ……!」


 蔡彪は唸るだけで次の命令を思い付かない。


 その時、敵の矢の攻撃が止んだ。


「蔡彪将軍! 戦は初めてか?」


 その声は盾を持つ兵達の方から聞こえてきた。


 蔡彪が目を凝らしてその声の主を見ると、それは先刻、宣戦布告をしに来た安西将軍あんせいしょうぐん陸秀りくしゅうだった。


「青二才が! 儂は野戦専門だ! 一度ひとたび戦場に出れば負け知らずよ!」


 長い顎髭を揺らしながら蔡彪は負けじと応じる。


「戦場に出れば? 何を寝ぼけた事を、老いぼれめ! 今はここもその景庸関も戦場だ!」


 陸秀が揚げ足を取るような事を言うと、その周りの兵達もゲラゲラと笑い出した。口々に「老いぼれ」だとか「腰抜け」だとか罵詈雑言を飛ばしてくる。


「おのれ青二才共が馬鹿にしおって……誰か! 弓と矢を寄越せ!」


 怒りで顔を真っ赤にした蔡彪は刀を鞘に戻し、近くの兵から弓と矢を取り上げると、慣れた手付きで矢を番え、弦を力いっぱい引き絞った。


「閻を脅かす匹夫ひっぷめが!!」


 蔡彪の怒りの篭った矢は、陸秀目掛けて真っ直ぐ飛んでいく。

 怒りに震えているとは思えないその正確な矢の軌道は、まさに歴戦の猛将の放つ矢だ。


 だが、陸秀はその矢を刀の一振で容易く弾いてしまった。


「ぬるま湯に浸かり続けた哀れな国の将軍の力はこんなものか!」


「おのれ……! ならばその身体に直接思い知らせてやるわ! 陸秀!! 一騎打ちだ!!」


「望むところだ!! 蔡彪!!」


 蔡彪は弓を投げ捨てると踵を返し景庸関の中へと戻って階段を下りていく。


「お待ちください! 蔡彪将軍! あのような挑発に乗るのは得策ではありません! 今は打って出てはなりません。味方の援軍を待つべきです!」


 1人で勝手に動こうとする蔡彪をすかさずいさめたのは若い将校の成虎せいこだった。


「黙れ! あのような青二才に舐められたままで我慢が出来るか!」


それがしも反対でごさいます。蔡彪将軍。これは貴方を挑発して誘き出す為の罠かと」


 成虎と共に諫めにやって来た龐勝ほうしょうが拱手して言った。


「どいつもこいつもやかましい! 儂がここの指揮官だ! 儂が決めた事に口出しをするな! あの程度の若造、儂が首を取ってきてやる! おい! 誰か儂の馬を用意しろ!」


 蔡彪は成虎と龐勝の諌言かんげんに聞く耳を持たず、ズカズカと階段を下りて行ってしまった。だが、龐勝はさらにしつこく蔡彪を追って行った。

 成虎は階段を上りまた防壁の上に戻ると張雄と安恢に拱手する。


「張雄殿、安恢殿。蔡彪殿を止めてください! 廖班りょうはん将軍には打って出るなと言われたではありませんか!」


 しかし、張雄は腕を組んだまま動こうとしない。


「廖班将軍は俺達・・に打って出るなと言われたのだ。蔡彪将軍には言ってないだろ。それに蔡彪将軍はここの指揮官。指揮官が決めた事を俺達が諫めた所で聞くはずもない。やりたいようにやらせればいい。これであの陸秀とかいう将軍を打ち取れたなら儲けもんだ」


「そんな……もし、蔡彪将軍が負けたら?」


「その時は指揮権は俺が持つ」


 成虎はあまりの放任主義的な張雄の発言に口をポカンと開けたまま隣の安恢を見た。

 しかし、安恢も腕を組んだまま目を瞑り、反論する様子はない。


「成虎殿! やはり蔡彪殿を止められませんでした」


 蔡彪を最後まで説得していた龐勝が申し訳なさそうに戻って来た。


「これはまずい……」


 成虎は途方に暮れ、防壁から下を見下ろす。

 すると、すぐに大斧だいふを持った蔡彪が単騎で門から出て来た。

 その姿は勇ましさこそあったが、同時にあまりにも無謀に見えた。

 そして、敵陣へと向かう為、堀には跳ね橋が降ろされた。



 ***


「おい、お前達! しっかりしろ」


 一方その頃、とある兵舎の建物の裏手で、抱き合うように倒れていた男女に、1人の兵士が声を掛けていた。

 黒髪の男と茶髪の女。どちらも若くこの世界では見た事のない服装をしている。色形はそれぞれ違えど、同じような種類の上衣と下衣、それに履物を身に付けている。


 兵士の男は2人の身体を揺すったが反応がない。


「おい! 不審者が2人倒れている。手を貸してくれ」


 兵士の男が応援を呼ぶと、すぐに巡回中の兵士が駆け付けた。


「何だ? 珍しい格好だな。異国の者か? 死んでるのか?」


「いや、息はあるようだ。とりあえず、大都督だいととくのもとへ運ぼう」


 応援に駆け付けた兵士と手分けして担がれた若い2人の男女は大都督なる人物のもとへと運ばれていった。

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