楽聖の聴いた世界

拡張された五感オーグメンテッド・センスのない生活など、考えられなくなっていくだろう。

味覚を拡張しない料理人にも、聴覚を拡張しないミュージシャンにも、仕事がなくなっていくはずだ。――ニューヨーク・タイムズ 2056年2月11日


こんな大仰な見出しが、大手新聞社やテクノロジー系の雑誌を賑わせてしばらくが経つ。実際に、五感を拡張すべくデバイスを入れた人たちもいると聞く。

しかしそれがごく少数に留まるのには、2つばかり理由があった。


1つは、メンテナンスの手間。

生体プラスチックを使い、アレルギー等の反応を回避するよう設計されているとはいえ、生身の肉体の微細な変化に合わせて感覚デバイスまでが変化してくれるわけではない。

成長にともなって服のサイズを変えるのとはわけが違い、歯の矯正並みに手間がかかる場合も多い。


そしてもう1つは――こちらはより致命的なのだが――ことが分かってしまった、ということだ。

触覚、嗅覚は拡張して、過敏にしてもデメリットの方が多い。これは味覚についても同じことで、仮に新しい味を求めたければ味の成分データをコンピューターに読み取らせて数学的に組み合わせを検証していった方が安全で速い。視覚は、視力の問題だけであればiPS細胞治療により眼球を再生すればよいし、手術などしなくとも眼鏡でもコンタクトレンズでも代替手段はいくらでもある。また、不可視光線まで見えるようにするメリットは日常生活にはなく、専用のカメラでも買った方が安上がりだ。

そして、聴覚。

他の五感などと比較して、聴覚は、音楽家たちから好意的に迎えられたかに見えた。

しかし以前、自らの可聴域を拡張し、音の強弱の判別や倍音の聞き取り能力を向上させたあるピアニストが数年活動したのち、「(聴覚の拡張は)まったく無意味だった」と断言したことをきっかけに、潮が引いたように志願者が減っていったのだった。

そのピアニストの主張は、こういうことだった。

彼は、拡張された耳を使って、まずは手始めにとレパートリーの1つ、ベートーヴェンのピアノソナタ第29番「ハンマークラヴィーア」の演奏に取り掛かった。新しい耳は彼の期待通り、ベートーヴェンの傑作の聞こえ方を一変させ、そこから彼が導き出した新しい演奏解釈は、批評家たちもうならせるものだったようだ。

だが、それ以降さらに中期の傑作である21番、23番や、初期の傑作である8番などを演奏していくうちに、驚くべきことが判明した――どの曲を演奏しても、特定の倍音の響きと、その重ね合わせによって表現させる音のパターンが現れる。しかも、ベートーヴェンが演奏していた当時のピアノ・フォルテを使用すると、より一層その音声パターンがくっきり浮かび上がるというのだ。少なくとも、3番以降のピアノソナタでは、すべての楽曲でそれが確認できるという。偶然ではなく、第三楽章の冒頭に使われることが多いというから、明らかにベートーヴェンはその効果を狙っていたものと思われた。

つまりこのことから、88鍵のピアノ・フォルテや、まして拡張された五感オーグメンテッド・センスなどなくとも、ベートーヴェンにはその音が聞こえていた、ということになる。我々凡人が自らの身体をいじくり回してようやく辿り着ける音の世界を、200年以上も前に、その楽聖は正確に聞き分け、ものにしていたとしか考えられないのだ。よりにもよって、晩年苦しみ、補聴器すら使っていた、あの楽聖が、である。


他のピアニストも、モーツァルトやリストを演奏し、同じような感想を持ったという。

確かに、歴史上の天才たちが紡ぎだした音楽の真価を知るためには、我々のような普通の人間では能力不足なのだろう。しかし、かの天才たちもまた、同時代の普通の人間たちに向けて音楽を書き、届け、感動させてきたはずなのだ。

結論、聴覚の拡張は必要ない――多くの、音楽家を含む人々がこのことに気付いたこともあって、拡張された五感がメディアにセンセーションを巻き起こしてから3年、ブームは完全に下火になった。今となっては、良い音で音楽を聴くことに血道を上げる、ごくわずかなオーディオ・マニアたちを満足させているにすぎない。

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Life as a Service~SF短編集 いずみつきか @asai_tsukika

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