第7話 チキ

「チキンくんでいい? チキンくん?」


 こちらが どうこう言う前に、ウリはボクの事を『チキンくん』と呼ぶつもりのようだ。あまり嬉しい呼ばれ方ではなかったが、基本ボクは呼びたいように呼ばせる主義だ。良いとも悪いとも答えずに質問を返す。


「キミは? 学校とかでは何て呼ばれているの?」

「あたし? あたしはね、顔が狸みたいだし、名前の中に狸って入ってるでしょ? だから、たぬぽんって呼ばれてる」


 ––––宇ヌキ 理タか。


「ふ〜ん、そうなんだ」

「うっわ、興味がの興味」

「いやいや、あるよ、ある。微細にある。無ではない」

「これから抱くかも知れない女なんだから、もっと興味を持ってよ」


 ボクは人差し指を立てて、シーッのジェスチャーをする。

 ——抱くかも知れない女とか言わないで。


「情が移ると嫌だから、色々と知らない方がいい」

「宇貫 理多です。よろしく、よろしく。もう本名を知っちゃったね」


 色々と知らない方が良かったが、最低限 知っておきたい事はある。ボクは無視して次の質問をした。


、学校は? どこの学校に行ってるの?」

「……ねぇ」


 ウリが突然、立ち止まった。


「あたしは名無しのゴンべなの?」

「宇貫 理多なんだろ? ご両親に貰った、可愛い、立派な名前があるじゃない」

「ムカつくわ……」


 ウリは手を振りほどいて、怒った肩にリュックを掛け直す。

 それならそれで良かった。手を振りほどかれたので、ボクはウリを置いて、スタスタと歩く。


「ちょっと……」


 ウリの声が追いかけて来るが、無視してボクは先に進む。ボクたちは多少 歩いていたので踏切の近くまで来ていた。再び踏切の閉まる音が鳴り、遮断機が下りてくる。振り返ると、ウリは降りてくる遮断機を見ていた。


 嫌な予感がした。


 ––––まさか。


 列車の音は、あっと言う間に近づいて来た。ウリがタイミングを計るように、列車が来る方向を見る。


 ––––おい、おい、おい、


 列車は……、何事もなく、そまま通り過ぎて行く。列車を見送ったウリは、その流れでボクの方を見た。


「あたしはキミの中で存在してないの?」


 戻って来た静かな雨の音の中に、ウリの声がまた切なく響く。「あたし、生きてるでしょ?」そう問いかけて来た時のウリの必死さが蘇る。

 面倒なヤツに捕まったと思いつつも、なぜか見捨てる事が出来ない。


「してるよ。ボクは天邪鬼なんだ。だから考えてた。皆んなと同じように呼ぶのは嫌だからね。残った方で呼ぶ事にする」


「……なにを言ってるか分からないよ」


「宇貫 理多からタヌキを抜いて、『ウリ』って呼ぶよ。もしかしたら、一晩だけの呼び名になるかも知れないけど、キミはそれで満足なんだろ?」


 ウリが笑って駆け寄る。


「キミじゃなくてウリね。うん、ウリは満足でござるよ」

「なんだよ、その語尾」

「イタイ女の子っぽいでしょ? 実際、イタイんだろうけど……」


 ——そんなこと無いよ。


 では、慰めにもならない。

 何と言えば良いのか……。

 ボクの、束の間のためらいの間に ウリは何事かを閃いた。


「ねぇ! あたし天才かも知れない!」


 ウリに目を合わせて、無言の内に続きを促す。


「全世界100億の人の中で、あたしを『ウリ』って、呼ぶのはキミだけだよ!……チキンくん」


 ウリは可愛い舌をペロリと出した。


「可哀想だから、『ン』は取ってあげるよ、チキくん」


「そこまで行ったら、『くん』も要らないよ」


「チキ? ……ちき? ……チキだね」


 聞いているだけだと、何が違うのか分からないが、ウリは言葉の感触を確かめるように声に出す。

 調べて見ると、世界の人口は100億もいないようで、ウリは20億人くらい事になるが、そんな些細な事はどうでも良い。世界中でボクの事を『チキ』 ……そう呼ぶのは、後にも先にも未来永劫、ウリただ一人なのだから。

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