第4話 不幸の雨はだれの上に降るのか

「チキ……どしたの? 」

 出会いの頃を思い出していたら、ウリが目を覚ましてしまった。

「ごめん、眩しかった? 」

 モニターの明かりを避けるように、ウリは霞んだ目をしばたかせる。

 青く照らし出された、寝ぼけて半開きの唇にボクは軽く唇を重ねた。

「……ん」

 続けて滑り込ませた舌を、ウリは抵抗することなく受け入れ、微睡みのままボクの首の後ろに両の腕をかけた。ボクはこのウリが両腕を解いて、ボクを迎え入れてくれる瞬間が好きだ。

 ボクも枕と華奢な肩口の隙間から手を入れウリを抱き寄せた。

 ウリが手を回しやすいように、軽く背中を浮かしてくれる。

 ウリの細かく震える瞼から、ウリの中に甘い感覚が広がって行っているのを確信したボクは、舌を奥へと這いずりこませて、そこで動きをとめる。

 ただ伸ばして与えているだけのボクの舌をウリは何度か首肯し、吸いとりながら味わう。母乳を飲む赤ちゃんのようにチュパチュパと音を立てて……

「もう、……んっ ハイt? 」

 まだ寝ぼけているウリ。

 この調子では返事をしたところで、現実の出来事か、夢の中の出来事か分からないだろう。ボクは舌をウリの口の中に突っ込んだまま、ウリの額を優しくなでた。

 やがて、上下していた頭が再び ゆっくりと枕に沈んで行く。

 ゆっくりと舌を引き抜くと、涎が犍陀多を救うはずだった糸のように伸びてから切れ、ウリの口元を淫靡に光らせる。

 考える事を、想う事を、断ち切るように、諦めるように目を閉じてから、そっとウリの口の端を拭ってやった。


 深夜2:00。

 起きてしまったのは、バイトの時間だからではない。

 バイトが一緒で、大学の知り合いの NからLINEが、大量に、そして連続して届いたからだ。その音で目が覚めてしまった。

 –––– 流石に人は殺してないだろ。

 Nの情報源はきっと、Nの彼女からの物であろう事は推測ができた。

 ヤリ◯ンのNは、バイト先の高校生……に限らず、女の子を手当たり次第に喰いまくっている男だ。

 N自身も相当 恨まれているはずだが、不思議なことにN自身は無傷で、傷つくのはいつもNの慰みになった女の子ばかりであった。

 

 その頃、ボクはパン工場でバイトをしていた。パン工場と言っても、ジャムのおじさんがやっているような、可愛らしいものではない。そこでは、人はユニットだ。何も考えずに、ただひたすらに流れてくる物を処理し続ければいい。

 パン工場には番重ばんじゅうと呼ばれる、プラスチック製の運搬容器がある。番重とは、例えば、ある程度の数のパンを成形工程から 焼き上げの工程に運搬する時に、まとめて運ぶ為の大きなトレーのような物だ。

 

 番重は衛生面上、こまめに洗浄しなければならない。

 この番重の洗浄も、いくつかの工程に分かれているのだが、途中に高温の蒸気で滅菌する工程がある。

 Nを取り合った女の子二人が、片方の女の子の腕を、高温の蒸気が中で流れている配管の上に押し当てた。

 工場は基本、マシンの駆動音で、大声で話さないと会話もままならないのが普通だが、そんな工場に、少なくとも、そのエリアの作業者全員が 振り返るような叫び声が響いた。

 

 現場に駆けつけると、作業着の化繊が溶けて、その一部が皮膚と混じり合い、焼けただれた腕を押さえてうずくまる女の子と、体格が一回りは大きい男性作業者に羽交い締めにされながらも、なおも狂ったように暴れる女の子の姿があった。

 見ると高温の蒸気配管には、人の皮膚が付着して、まだグジュグジュと溶けて薄く煙を上げていた。


 不幸は周囲の女の子が引き受け、N自身はなに食わぬ顔で日々を謳歌する。

 後日、火傷の一件でNにも原因があるのではないかと、工場を経営している会社から事情聴取されたとき、Nは「『メンヘラ女の狂言です』って、言ってやったよ」と、得意げにボクに語った。


 Nとは友人では無かったが、特に切り捨てる関係でも無かったので、たまに会って話す機会があれば、Nの自慢話を聞いている振りをしている。露骨に敬遠すれば面倒な事になりそうだからだ。


 –––– 何時だろう?

 スマホを見ると、またバッジマークがついている。NからのLINEであった。既読をつけずに読むと、『お前の連れは、絶対ヤリ◯ンだって』

 そんなテキストが浮かぶ。

 

 溜息をつくと、またチュパチュパと音が聞こえた。

 見ると、ウリが親指をしゃぶっている。

 ボクはウリを撫でようと、手を伸ばした。

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