慕容徳7 慕容宝謀殺計画

慕容宝ぼようほう龍城りゅうじょうから南の黎陽れいように亡命していた。ここで臣下の宦官である趙思ちょうし慕容鍾ぼようしょうの元に派遣、来迎要請、言い換えてみれば保護の要請を申し入れてくる。


とは言え慕容鍾、慕容徳ぼようとくに皇帝と名乗るよう勧めた首謀者的存在である。ならば今更慕容宝を奉じるなど考えたくもない。そこで趙思を捕縛、そして慕容徳に報告する。


慕容徳、臣下に問う。


「そなたらは以前、おれに大燕だいえん国の存続のためにも、と総取締を勧めてきたな。おれもまた陛下の消息不明による燕祚の祭礼の不足を思い、臨時対応としてそなたらのすすめに従い、民らの前に立った。ここでいま天が陛下のご健在を改めてお示しになった。ならばここで陛下をお出迎え申し上げ、分を弁えず大権を振るったことを謝罪し、自らの家に隠遁すべきなのではないか、と思っている。そなたらはどう思う?」


張華ちょうかが進み出て言う。


「この乱世において、人主に雄才なくば国威は振るいますまい。生き馬の目を抜くこの世にあって、惰弱なものを主に据えてなんとなりますか! 陛下がもし下らぬ情に基づき、天より燕の人々を救う役割を擲たれるのであれば、その威厳は陛下のもとより離れ、その御身すら危ぶまれましょう! あの者に天命をお譲りになる理由なぞ、どこにもござらぬ!」


慕容徳も答える。


「古人は皇統の正統性を重んじている。では、いまのおれはどうか? そこに決断をしかね、迷っているのだ」


すると慕輿護ぼよごが慕容宝の消息の実態を確認したい、と申し出てきた。そこで慕容徳、泣きながら壮士数百人をあずけ、更に趙思を伴わせ出発させた。送迎、と見せかけ、殺害せんとする腹づもりであった。


慕容宝、いちどは慕容徳に出迎えて貰おうとこそ考えていた。が、慕容徳が勝手に国事総督を宣言したことを知る。となれば、自分が赴いたところでどう扱われるかもわからない。なので慌てて黎陽からも脱出。慕輿護が到着したときには姿をくらましていた。そこで慕輿護、ふたたび趙思を捕らえ、慕容徳のもとに帰還する。


さて、趙思である。彼の学才は抜きん出たものであり、慕容徳としては何とか抱え込みたかった。だが趙思は言う。


「昔、関羽かんうとて曹操そうそうより多大な厚遇を受けながらも、劉備りゅうび様よりの恩を忘れずにおりましたでしょう。私めは所詮宮刑を受けた罪人の抜け殻にすぎませぬが、それでもお国よりの恩寵を忘れたことはございませぬ。犬や馬とて心を持つものです、ならばどうしていやしくも人の形をする私めに、その心がないとでもお思いか! どうかこの身を陛下のもとに返還し、その臣節を全うすることをお許しください」


しかし慕容徳、諦めきれない。なおも趙思を臣下にしようと請う。すると、趙思はついにキレた。


しゅうが衰えた際、血族のしんていは周室を大いに助けた! かん呉楚七国ごそしちこくの乱があれば、文帝の子の劉武りゅうぶが反乱軍を防いだ! だと言うのにあなたは、帝のおじに当たるにも関わらず、まともに王室を助けようともせず、かえって国難を幸いとでも言い出しかねぬ有様! このような振る舞い、西晋せいしんにおける司馬倫しばりんの無道と同じではないか!

 私に命ぜられたのは、春秋しゅんじゅうの昔、申包胥しんほうしょしんに逃れ、楚の国難を思って慟哭したに等しきこと! 結局私は秦王の手を借りられなかったどころか、却って秦の侵攻を許したわけだ!

 ならばここからは、前漢ぜんかん龔勝きょうしょう王莽おうもうの簒奪した世になぞ生きられぬ、と言い切った姿勢に倣ってみせよう!」


お前は秦レベルの蛮族以下だ、王莽レベルの簒奪者だ、と、およそ考えつく限り、最悪の罵倒である。


慕容徳、怒って趙思を殺した。




至是,慕容寶自龍城南奔至黎陽,遣其中黃門令趙思召慕容鍾來迎。鍾本首議勸德稱尊號,聞而惡之,執思付獄,馳使白狀。德謂其下曰:「卿等前以社稷大計,勸吾攝政。吾亦以嗣帝奔亡,人神曠主,故權順群議,以系眾望。今天方悔禍,嗣帝得還,吾將具駕奉迎,謝罪行闕,然後角巾私第,卿等以為何如?」其黃門侍郎張華進曰:「夫爭奪之世,非雄才不振;從橫之時,豈懦夫能濟!陛下若蹈匹婦之仁,舍天授之業,威權一去,則身首不保,何退讓之有乎!」德曰:「吾以古人逆取順守,其道未足,所以中路徘徊,悵然未決耳。」慕輿護請馳問寶虛實,德流涕而遣之。乃率壯士數百,隨思而北,因謀殺寶。初,寶遣思之後,知德攝位,懼而北奔。護至無所見,執思而還。德以思閑習典故,將任之。思曰:「昔關羽見重曹公,猶不忘先主之恩。思雖刑餘賤隸,荷國寵靈,犬馬有心,而況人乎!乞還就上,以明微節。」德固留之,思怒曰:「周室衰微,晉、鄭夾輔;漢有七國之難,實賴梁王。殿下親則叔父,位則上臺,不能率先群後以匡王室,而幸根本之傾為趙倫之事。思雖無申胥哭秦之效,猶慕君賓不生莽世。」德怒,斬之。


是に至り、慕容寶は龍城より南に奔り黎陽に至り、其の中黃門令の趙思を遣りて慕容鍾を召じ來迎せしむ。鍾は本は德に尊號を稱すべく勸む議の首なれば、聞きて之を惡み、思を執え獄に付し、使を馳せ狀を白せしむ。德は其の下に謂いて曰く:「卿らは前に社稷の大計を以て、吾に攝政を勸む。吾れ亦た嗣帝の奔亡し、人神の主を曠むを以て、故に權に群議に順い、以て眾望に系す。今、天の方に悔禍し、嗣帝の還ぜるを得らば、吾れ將に具駕奉迎し、行闕に謝罪し、然る後に私第に角巾せん、卿らは以て何如と為さんか?」と。其の黃門侍郎の張華は進みて曰く:「夫れ爭奪の世なれば、雄才に非ずば振わず。從橫の時、豈に懦夫に濟う能わんか! 陛下の若し匹婦の仁を蹈じ、天授の業を舍つらば、威權は一に去り、則ち身首を保たざらん。何ぞ之を退讓せる有らんか!」と。德は曰く:「吾れ古人の逆取順守の其の道未だ足らざるを以て、所以にて中路を徘徊し、悵然とし未だ決さざるのみ」と。慕輿護は馳せ寶が虛實を問わんことを請い、德は流涕し之を遣らしむ。乃ち壯士數百を率い、思を隨え北し、因りて寶を殺さんと謀る。初、寶の思を遣りたるの後、德の攝位を知り、懼れ北に奔ず。護の至れるも見ゆる所無くらば、思を執え還ず。德は思の典故を閑習せるを以て、將に之を任ぜんとす。思は曰く:「昔、關羽の曹公に重んぜらるを見るも、猶お先主の恩を忘れず。思は刑餘の賤隸なると雖ど、國の寵靈を荷う。犬馬に心有り、而して況んや人をや! 還じ上に就き、以て微節を明らかとせんことを乞う」と。德の固く之を留めんとせるに、思は怒りて曰く:「周室の衰微せるに晉、鄭は夾輔し、漢に七國の難有らば、實に梁王に賴る。殿下の親しきは則ち叔父にして、位は上台を為すも、群后に率先し以て王室を匡ず能わず、而も根本の傾を幸いとせるは、趙王倫の事を為したるなり。申胥が哭楚の效無しと雖ど、尤も君賓の莽が世に生きざるを慕えるを思わん」と。德は怒り、之を斬る。


(晋書125-7_肆虐)




趙思で語られたシーンとかぶっていますが、かっこいいので問題なし。にしてもこのシーンの話、慕容徳についての問題は「漢人人主としての振る舞い」が完全に言動のベースになっている、と言うことですね。つまり「人主は自ら望んで立つものではなく、人々の求めに応じてやむなく就かざるを得ぬものである」というやつ。明らかに鮮卑の行動様式ではない。血族同士のクソミソが云々とか言おうにも、ここ最近春秋戦国を眺め続けてる身としてみれば「いつものやつ」って感じですし。


慕容廆ぼようかいの段階でふう氏が合流して以降、かなり色濃く漢人思想が植え込まれてきたんだなあ、と言うのを感じます。頭慕容とか散々言ってきたけど、それ言い出したら春秋戦国の皆さんも大概頭慕容慕容してますわね……。

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