慕容徳8 不安定な政権

慕容徳ぼようとくを狙い、二万からなるしん軍が攻撃を仕掛けてきた。その大将は閭丘羨りょきゅうせん鄧啟方とうけいほう管城かんじょうに駐屯する。慕容徳は慕容法ぼようほうおよび慕容和ぼようわに迎撃させ、大破した。ただこのとき、慕容徳は追撃が徹底的なものでなかったと怒り、慕容和の副官、靳瑰きんかいを処刑している。


一方、慕容徳の配下には前秦から亡命してきたものがいた。苻登ふとうの弟、苻廣ふこうである。かれは冠軍將軍として乞活堡きっかつほを守るよう命ぜられていたのだが、火星が東井とうせいに差し掛かったのを見て「しんが復興せんとする兆しである」と言い出した者の言葉を真に受け、決起。秦王を自称し、慕容徳の配下である慕容鐘ぼようしょうを攻撃、打ち破った。


この頃慕容徳はようやく滑台かつだいに拠点を置いたばかり、晉と北魏ほくぎの間にあって十の城も確保できておらず、配下兵も数万程度でしかなかった。そこにきて、慕容鐘が破れたわけである。日和見の者たちは一斉に苻廣に流れていった。


これを見過ごすわけにはいかない。滑台のことは慕容和に任せ、自ら兵を率いて出撃。苻廣を打ち破り、切り捨てた。




晉南陽太守閭丘羨、甯朔將軍鄧啟方率眾二萬來伐,師次管城。德遣其中軍慕容法、撫軍慕容和等距之,王師敗績。德怒法不窮追晉師,斬其撫軍司馬靳瑰。初,苻登既為姚興所滅,登弟廣率部落降於德,拜冠軍將軍,處之乞活堡。會熒惑守東井,或言秦當復興者,廣乃自稱秦王,敗德將慕容鐘。時德始都滑台,介於晉、魏之間,地無十城,眾不過數萬。及鐘喪師,反側之徒多歸於廣。德乃留慕容和守滑台,親率眾討廣,斬之。


晉の南陽太守の閭丘羨、甯朔將軍の鄧啟方は眾二萬を率い來伐し、師は管城に次す。德は其の中軍の慕容法、撫軍の慕容和らを遣りて之を距がしむ。王師は敗績す。德は法の晉師を窮追せざるに怒り、其の撫軍司馬の靳瑰を斬る。初、苻登の既に姚興に滅ぼさる所為るに、登が弟の廣は部落を率い德に降じ、冠軍將軍を拜さる。之を乞活堡に處す。熒惑の東井を守せるに會し、或る者は言えらく「秦は當に復興せん」と。廣は乃ち秦王を自稱し、德が將の慕容鐘を敗る。時に德は始めて滑台に都し、晉、魏の間に介し、地に十城無く、眾も數萬を過ぎず。鐘の喪師せるに及び、反側の徒の多きは廣に歸す。德は乃ち慕容和を留め滑台を守らしめ、親しく眾を率い廣を討ち、之を斬る。


(晋書125-8_暁壮)




ぐだぐたですね……(グダグダですやん)


まぁ、独立を果たした場所が悪すぎるのは間違いのないことですね。黄河こうがが北魏からのバリアにある程度なってるとはいえ、別に淮水わいすいの水利を取ってるわけでもなし、簡単に南北からボコされてしまいかねません。こんな場所に陣取ってたら、外患が激しすぎて内憂にまでろくろく手が回るものでもないでしょう。滑台って確かに重要な拠点ではありますが、別に本拠地があった上でならともかく、といった装いが、極めて強い。


五胡十六国初期に曹嶷そうぎょうが同じように青州に陣取ってたわけですが、さもありなんと言った印象です。泰山たいざん山系のおかげで、ひとまず守るべきエリアは小さくて済む。


しかし、大概の歴史はそうなんですが、守りやすい地に弱小勢力が入ったところで、それはすり潰されるまでの時間が伸びるにすぎないんですよね。北魏への降伏以外に道はなかったよーな気もせんではないのです。

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