慕容農3 関東の雄

慕容農ぼようのう、自ら兵を率いて館陶かんとうを攻め、

そこにあった兵器資材を獲得した。

また蘭汗らんかん段贊だんさん慕輿悕ぼよきを派遣し、

康臺こうだいにいた馬数千頭を略取。

これら軍備増大により、慕容農のもとには

歩騎交えた兵らが次々と集い、

その勢力は数万を数えるに至った。


張驤ちょうじょうらは慕容農を驃騎大將軍に推戴。

諸軍の総督に位置付け、

増大した勢力の配備権を承認。

これにより慕容農を頂点とした

指示系統が一本化された。


ただし慕容農、この段階ではまだ

いわゆる報奨授与を行っていない。

真のトップである慕容垂ぼようすい

いまだ合流地点していないためだ。


ここで趙秋ちょうしゅうが慕容農に提案する。

いちど慕容垂様の権限を

全権代行する旨宣言し、

人々の心をまとめてはどうか、と。

慕容農がこの提案を受け入れると、

馳せ参じる者たちはさらに増大した。


この判断を聞いた慕容垂、

よくやった、とコメントしている。


慕容農は更に各地を駆け巡る。

西の上党じょうとう厙傉官偉こじょくかんいに。

東の東阿とうあ乞特歸きっとくきに。

北の燕郡えんぐんでは平幼へいよう平睿へいえい兄弟に。

それぞれに合流を促したところ、

誰もが呼応した。


更には蘭汗らに頓丘とんきゅうを攻撃させたが、

慕容農の指令が厳正であったため、

その地での「私的な略奪」は

発生しなかった。「私的なのは」。


これに「士女は喜悅した」。




農自將攻破館陶,收其軍資器械,遣蘭汗、段贊、慕輿悕略取康臺牧馬數千疋,於是步騎雲集,眾至數萬。驤等共推農為驃騎大將軍,監統諸軍,隨才部署,上下肅然。農以垂未至,不敢行賞。趙秋勸農承制封拜,以收眾心,農從之,赴者相繼。垂聞而善之。農西招厙傉官偉於上黨,東引乞特歸於東阿,北召光烈將軍平睿及睿兄汝南太守幼於燕國,偉等皆應之。又遣蘭汗等攻拔頓丘,農號令嚴整,軍無私掠,士女喜悅。


農は自ら將い館陶を攻め破り、其の軍資器械を收め、蘭汗、段贊、慕輿悕を遣りて康臺の牧馬數千疋を略取せしめ、是に於いて步騎は雲集し、眾は數萬に至る。驤らは共に農を推し驃騎大將軍為らしめ、諸軍を監統せしめ、才に隨い部署せば、上下は肅然とす。農は垂の未だ至らざるを以て敢えて賞を行わず。趙秋は農に承制封拜し、以て眾心を收むべく勸む。農の之に從うに、赴ける者は相い繼ぐ。垂は聞きて之を善しとす。農の西に厙傉官偉を上黨にて招き、東に乞特歸を東阿にて引き、北に光烈將軍の平睿及び睿が兄の汝南太守の幼を燕國にて召すに、偉らは皆な之に應ず。又た蘭汗らを遣りて頓丘を攻め拔かしめど、農が號令は嚴整にして軍に私掠無からば、士女は喜悅す。


(十六国50-5_王度)




うーん、私掠と公略の性格の違い……まぁ陰惨さは全く違ってくるでしょうけど。とりあえずこのあたりは慕容農、というより慕容垂がどれだけ支持されていたかを裏付けている感じですね。とすると結局慕容暐ぼようい慕容評ぼようひょう体制は燕内でも不評で、亡命やむなし、みたいに思われてたのかも? そのへんの観点が「前燕ぜんえんの記録の喪失」「前秦ぜんしんの記録における意図的な編集」によって見えづらくなったとか? 前秦にしてみれば旧前燕エリアでの支持率が低かったなんて間違っても書けなかったでしょうし。ただこの辺、ぎょう攻めの苦戦でだいぶ揺らぎもしたんでしょうね。


しかし屠喬孫ときょうそんさんはもうちょっと出典をしっかり書き残してくれてても良かったのではないかしら。「この程度の出典がわからんとか無知め!」とか言われてしまうのかしら。


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