慕容農2 ロリ

慕容垂ぼようすい苻堅ふけんのもとから離れ、

ぎょうに攻撃を開始。


もともと苻丕ふひの命令で鄴に

とどめ置かれていた慕容農ぼようのう慕容楷ぼようかいらは

慕容垂が苻飛龍ふひりゅうを殺した辺りのタイミングで

列人れつじんという地に脱出。

途中で烏桓うがんのひと、魯利ろりの家に泊まる。


これはこれは、慕容農様!

ロリは慕容農のために

もてなしの膳を用意したが、

慕容農、ふふ、と笑うも、

手を付けようとしない。


不思議に思ったロリ、妻に聞く。


惡奴あくど殿は貴人でいらっしゃる。

 あのような方をもてなせるものが

 出せるほど、うちは裕福ではないぞ。

 いったい、どうしたことだ」


すると、妻は言う。


「あのお方は雄才をお持ちの上、

 大いなる志をも抱いておいで。

 こうして突然訪問なさったのには、

 まもなく変事が起こる、

 と言うことなのでしょう。

 別に、もてなしてほしいだなどと

 お考えではいらっしゃらぬはず。


 おまえ様、すみやかにあのお方より

 見立てていらっしゃるところを伺い、

 いざという事態に備えられませ」


なるほど、その通りだ!

ロリ、妻の助言に従った。

すると慕容農も打ち明ける。


「おれはこの地で兵を集めて、

 大燕たいえんの興復をなしたく思っているのだ。

 ロリ殿、おれに従ってもらえんか?」


ロリは答える。


「ならば、生死をあなた様に

 お預け申し上げましょう」


その後慕容農は烏桓の張驤ちょうじょうのもとに向かい、

やはり彼を説得する。


「王はすでに大事をおこされた。

 翟斌てきひんらもまた王に呼応。

 遠きも近きも陸続と

 王のもとに集いつつある。

 それを伝えたく、この地に来たのだ」


張驤は膝まづき、言う。


「先の主をいただき、事にあたるのです。

 どうして身命を賭せずにおれましょう!」


その後も慕容農は列人の集落を駆け巡り、

住民を兵に変え、クワやニレを武器に変え、

衣服を裂いて旗となした。


また配下将の趙秋ちょうしゅう

屠各とかく畢聰ひっそうを説得に向かわせたところ、

畢聰以下、卜勝ぼくしょう張延ちようえん李白りはく郭超かくちょう

東夷とうい餘和敕勃よわちょくぼつ易陽えきよう

烏丸の劉大りゅうだいがおのおの数千を率いて合流。


慕容農は臨時の官位として、

張驤を輔國將軍、劉大を安遠將軍、

そしてロリを建威將軍に任じた。




及垂起兵攻鄴,農與楷等為苻丕所留,聞垂誅苻飛龍,乃奔列人,止于烏桓魯利家。利為之置饌,農笑而不食。利謂其妻曰:惡奴郎,貴人也,家貧無以饌之,奈何?妻曰:郎有雄才大志,今無故而來,必將有異,非為飲食來也。君亟出逺望,以備非常。利從之。農謂利曰:吾欲集兵列人,以圖興復,卿能從我乎?利曰:生死惟郎是從。農乃詣烏桓張驤,說之曰:王家已舉大事,翟斌等咸相推奉,逺近嚮應,故來相告耳。驤再拜曰:得舊主而事之,敢不盡死!於是農驅列人居民為士卒,斬桑榆為兵,裂襜裳為旗,使趙秋說屠各畢聰,聰與屠各卜勝、張延、李白、郭超及東夷餘和敕勃、易陽、烏丸劉大各帥部眾數千赴之。農假張驤輔國將軍,劉大安逺將軍,魯利建威將軍。


垂の兵を起て鄴を攻むるに及び、農と楷らは苻丕に留めらる所と為り、垂の苻飛龍を誅せるを聞き、乃ち列人に奔り、烏桓の魯利が家に止む。利は之が為に饌を置けど、農は笑いて食さず。利は其の妻に謂いて曰く:「惡奴郎、貴人なり。家貧しかば以て之に饌ず無かりきに、奈何んぞや?」と。妻は曰く:「郎に雄才大志有らば、今故無くして來たるは、必ずや將に異なる有らん。飲食が為に來たるに非ざるなり。君は亟やかに逺望を出だし、以て非常に備うべし」と。利は之に從う。農は利に謂いて曰く:「吾れ、列人にて兵を集め、以て興復を圖らんと欲す、卿は我に從う能わんか?」と。利は曰く:「生死は惟れ郎に是れ從わん」と。農は乃ち烏桓の張驤に詣で、之に說きて曰く:「王は已に大事を舉せり、翟斌らは咸な相い推奉し、逺近は嚮應し、故に來たりて相い告ぐのみ」と。驤は再拜して曰く:「舊主を得て之に事さば、敢えて死を盡くさざらんか!」と。是に於いて農は列人が居民を驅せ士卒と為し、桑榆を斬りて兵と為し、襜裳を裂きて旗と為し、趙秋をして屠各の畢聰を説かしまば、聰と屠各の卜勝、張延、李白、郭超、及び東夷の餘和敕勃、易陽、烏丸の劉大は各おの部眾數千を帥い之に赴く。農は張驤を輔國將軍、劉大を安逺將軍と、魯利を建威將軍と假す。


(十六国50-4_識鑒)




いやー! 誤変換がなー! 誤変換が激しすぎてなー!


さておきこのあたりの情報は、本来北周書の地理志にあったようです。復活した増田ジゴ氏の「五胡十六国の歴史を語るブログ」

http://blog.livedoor.jp/masudazigo-2nd/search?q=%E9%AD%AF%E5%88%A9

で、このあたりの紹介がありました。と言うかこの、本文に対する圧倒的な注の分量よ……w


さて、ここで屠各って言葉が出てきますが、これは後秦でも頻出しましたね。シンプルに考えれば匈奴屠各種、つまり匈奴のリーダーを担う部族ってことになるんですが、にしちゃあ随分たくさんいない? 的疑問も抱かざるを得ません。これはあれかなあ、匈奴語に言う「酋長」的な意味合いだったと考えるべきなんでしょうか。このへんの研究はどっかにありそうですね。


そして、慕容農の呼びかけにすぐさま応じる勢力の多いこと、多いこと。先日旧前燕のエリアはあんまり苻堅の支配を歓迎してなかったって論文を読んだんですが、こうもガンガン応じてるのを見ると、なるほど確かに、と思わざるを得ません。この辺は後趙こうちょう冉魏ぜんぎ体制と前燕の体制でなにが違ったのか、とかも面白い検討テーマかもしれません。これは、慕容に合わせて一緒に南下した人々たちだったのかしら。

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