道恒3  師匠づてでも  

道恒どうこうらを諦めきれない姚興、

今度はクマーラジーヴァや僧䂮そうりゃくに宛てて

お手紙を書いた。


「最後にお会いしてからもう10日ほどが

 たとうとしておりますが、

 お会いしたい思いは

 日増しに募っております。

 ようやく暖かくもなってき、

 あなた様にも心安らぐ日々が

 続いておるとよいのですが。


 ときに近頃、辺境で蛮族の小童が

 わいのきゃいのとわめいており、

 どうにもこちらは落ち着けませぬ。


 政務もまた山積みとなっており、

 これらをどうにか解消できる

 才覚の持ち主がどうしても必要なのです。


 なので近ごろ道恒、道標を呼び、

 かの者らに僧衣は一旦お預けとして、

 現世における菩薩ぼさつの行跡を

 ともに追いたい旨を伝えました。


 現世にも仏法を追う道筋が

 ないわけでもございますまい。

 どうかお二方よりも、

 彼らを説得してはくださるまいか」


クマーラジーヴァと僧䂮らは、

連名にて回答する。


「はて、このように聞いております。


 最も優れた治め方は道の恵みにて

 民を養うこと。さすれば自ずから

 民はあるべきところに収まる、と。


 それが及ばぬのであれば、

 徳をもって世を治めよ、と。


 これらを弁えておられた古の明主らは、

 人がその本来の性質を損なえば

 うまく機能しないことを見出し、

 うまくその性質に

 任せるがままとしたほうが

 もろもろうまく回る、と悟られました。


 故にぎょう王は許由きょゆう箕山きざんに隠棲するのを

 お認めになりましたし、

 陵讓りょうじょうは杖をに放り投げ、

 かんの高祖、劉邦りゅうほう様は

 四人の仙人を終南山しゅうなんざんで自由に過ごさせ、

 黄憲こうけんもまた漢よりの招聘に対して

 辞退の意を示し、また受け入れられました。


 これらは賢人らの性質に応じた

 対処をなすことにより、

 賢人らを賢人足らしめた、

 と言えるのではないでしょうか。


 さて、道恒、道標らの精進は、

 未だ円熟の極みに達したとは申せません。

 各々の領分を全うすべく邁進するのみ。


 若き頃に仏道に出会い、

 畏敬の念もって虚心に仕え、

 経典の示す境地を精査し、

 その幽微なる世界を探求しております。


 若き頃の彼らがそうであったように、

 彼らもまた、童子らを仏法に導き、

 その功德を高める助けとなれるでしょう。


 願わくば、陛下におかれましては、

 これまで下さりました恩顧については

 お忘れいただき、

 どうかあの者らの些細な願いを、

 お叶え頂けませんでしょうか」




興又致書於什、䂮法師曰:「別已數旬,每有傾想,漸暖,比休泰耳。小虜遠舉,更無處分,正有憒然耳。頃萬事之殷,須才以理之,近詔恒、標二人,令釋羅漢之服,尋大士之踪,然道無不在,願法師等勖以喻之。」什、䂮等答曰:「蓋聞太上以道養民,而物自是,其復有德而治天下,是以古之明主,審違性之難御,悟任物之多因。故堯放許由於箕山,陵讓放杖於魏國,高祖縱四皓於終南,叔度辭蒲輪於漢岳,蓋以適賢之性為得賢也。今恒、標等德非圓達,分在守節,少習玄化,伏膺佛道,至於敷折妙典,研究幽微,足以啟悟童稚,助化功德。願陛下放既往之恩,縱其微志也。」


興は又た書を什、䂮法師に致して曰く:「別るるに已に數旬、每に傾想を有す。漸く暖まり、比れ休泰なるのみ。小虜の遠きに舉し、更ごも處分無かれば、正に憒然を有すのみ。頃に萬事の殷せるに、才を須め以て之を理せんとせば、近きに恒、標の二人に詔し、令し羅漢の服を釋せしめ、大士の踪を尋ねしむ。然れば道の在らざる無し。法師らに願わくば、勖し以て之を喻せんことを」と。什、䂮らは答えて曰く:「蓋し聞く、太上は道を以て民を養い、而れば物は自ら是たらんと。其れ復た德有りて天下を治まば、是を以て古の明主は性に違わば御す難きを審らかとし、物に任ぜるの因る多きを悟る。故に堯は許由を箕山に放ち、陵讓は杖を魏國に放ち、高祖は四皓を終南に縱まとし、叔度は蒲輪を漢岳に辭す。蓋し賢の性に適せるを以て賢を得たるを為せるなり。今、恒、標らの德は圓達に非ずして、分は節を守るに在り、少きに玄化を習い、佛道に伏膺し、妙典を敷折し、幽微を研究せるに至り,童稚を以て啟悟し、功德を助化せるに足る。願わくば陛下は既往の恩を放じ、其の微志を縱にしたらんなり」と。


(高僧伝6-3_棲逸)




姚興のやつわがままだなぁ!


……と、引き続き言いたかったんですが、ふと思い出しました。そういやこの人、尹緯とか叔父たちを失って以来、いわゆる参謀的存在を喪っていたのでした。部下からも「いやあんな賢才ホイホイ転がってるわけないでしょ」とぶった切られさえする始末。そこを考えればこの強引さも、焦りとか恐怖に基づいたものだったのかもしれません。


結果論としては賢才異才にあぐらをかいて後進をまともに育てられなかったんだろとは言えるんですが、それについても所詮事後孔明に過ぎず。答えを知ってる人間なら、なんとでも言えようってもんです。


というわけで、ここで拾うべきは姚興の傲慢さでなく、怯えや焦りといったものなのかもしれないですね。なりふり構えてない感じだもんなぁ。

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