道恒4 人外に緬迹す
諦めきれない
書にて
国を挙げて救援し、ようやく免れた。
道恒は嘆息しながら、言う。
「
財貨を増やせば心は死に、
名声を増やせば身を損なう、と」
そうして山奥の洞窟に隠れ住み、
藪の奥にて身をひそめ、
粗食し、禅行に努め、
世俗の外に足跡を断った。
417 年、山奥の小屋でひっそりと死亡。
72 歳であった。
道恒の『釋駮論』『百行箴』
道標の『舍利弗毗曇序』『弔王喬文』
は、いずれも世に伝わっている。
興後頻復下書,闔境救之,殆而得免。恒乃歎曰:「古人有言:益我貨者損我神,生我名者殺我身。」於是竄影巖壑,畢命幽藪,蔬食味禪,緬迹人外。晉義熙十三年卒於山舍,春秋七十二。恒著〈釋駮論〉及〈百行箴〉,標作〈舍利弗毗曇序〉并〈弔王喬文〉並行於世。
興は後にも頻りに復た書を下し、境を闔し之を救い、殆ぼ免ぜるを得る。恒は乃ち歎じて曰く:「古人に言有り。我が貨を益す者は我が神を損ない、我が名を生かす者は我が身を殺す」と。是に於いて巖壑に竄影し、命を幽藪に畢え、蔬食味禪し、人外に緬迹す。晉の義熙十三年、山舍にて卒す、春秋七十二。恒の著す〈釋駮論〉及び〈百行箴〉、標の作す〈舍利弗毗曇序〉并せて〈弔王喬文〉は並べて世に行ず。
(高僧伝6-4_棲逸)
姚興にしてもひーこら言ってただろうけど、道恒にしてもいい迷惑だったんでしょうねえ。何と言うか、誰も幸せになってない感がヤバい。そう言う時代、と言ってしまえばそれまでなんですけど。文学……。
にしても闔境救之,殆而得免。がよく意味を取り切れない。闔境救之殆、で区切って「おらが国のピンチを助けてくれ!」って姚興が言った、みたいにも解釈し切れないこともないけど、あととの接続があんまりにも悪いしなあ。とりあえず岩波訳にそのまま従う事にしました。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます