道恒1  出人の相    

釈道恒しゃくどうこう藍田らんでんの人だ。


九歲の頃、道ばたで遊んでいたら、

ぁゃιぃおじさんが話しかけてきた。


「ぼく、ヤバいね。

 俗事に関わるなら

 宰相として活躍できるだろうし、

 仏門に関われば仏の道を

 輝かしく照らし出すだろう。


 おじさんは歳が行ってるから、

 それを目の当たりにできなさそうで

 残念だよ」


聞けばそれは隠者の張忠ちょうちゅうでした!

だれ?


その後道恒は母を失い、

後添えと結婚した父を失い、

赤の他人である継母には、

それでも孝行の限りを尽した。


稼ぎ手のいない家は当然貧しく、

道恒は絵を描いて日銭を得、

一方では仏法経典を愛好しており、

夜遅くまで経典を学び続けた。


二十歳ごろになると、継母も死亡。

葬儀は礼の限りを尽すものだった。


やがて喪が明けると、出家。


仏法への理解は実に鋭いもので、

内外の学問にも通暁、

鋭敏ながら、爽やかな思索を披露した。


この頃、クマーラジーヴァが長安ちょうあん入り。

すぐさま道恒、かれのもとに赴く。

クマーラジーヴァもまた

道恒の才覚を大いに慶賀し、

以降経典翻訳に伴わせ、

その翻訳文策定のサポートをさせた。




釋道恒,藍田人。年九歲戲于路,隱士張忠見而嗟曰:「此小兒有出人之相,在俗必有輔政之功,處道必能光顯佛法。恨吾老矣,不得見之。」恒少失二親,事後母以孝聞,家貧無蓄粒,常手自畫繢,以供瞻奉,而篤好經典,學兼宵夜。至年二十,後母又亡,行喪盡禮,服畢出家。又遊刃佛理,多所通達,學該內外,才思清敏。羅什入關,即往修造。什大嘉之,及譯出眾經,並助詳定。


釋道恒、藍田の人なり。年九歲にして路にて戲るに、隱士の張忠は見て嗟して曰く:「此の小兒に出人の相有り、俗に在りては必ずや輔政の功有り、道に處すに必ずや能く佛法を光顯せん。恨むらくは吾が老いたりしか、之を見る得わず」と。恒は少きに二親を失い、後母に事うるに孝聞を以てし、家貧しく蓄粒無かれば、常に手ずから自ずから繢を畫き、以て瞻奉に供し、而も經典を篤好せば、宵夜を兼ね學ぶ。年二十に至りて後母も又た亡じ、喪を行うに禮を盡くし、服の畢うるに出家す。又た佛理に遊刃し、通達せる所多く、學は內外に該し、才思は清敏なり。羅什の關に入るに、即ち往きて修造す。什は之を大いに嘉し、眾經を譯出せるに及び、並べて詳定を助せしむ。


(高僧伝6-1_夙恵)




ここからは一気に知名度が落ちるんですが、屠本十六国春秋が敢えて彼らを後秦記のところにのっけていることを信じ、追っていこうと思います。ただ屠本は他の仏典なんかからも内容を引っ張ってきてるみたいで、かなり分厚くなってます。正直そこについては手も足も出ないので、おとなしく高僧伝だけで。


クマーラジーヴァ集団(教団、とは呼べますまい)の存在が、後秦にどういう影を落としたのかを見るのは、姚泓の時代の後秦を見るうえでもかなり重要そう。晋書からはうかがえない後秦の姿を見ることができるのかもしれません。

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