羅什14 世を後に    

クマーラジーヴァ、晩年のことだ。

何となく身体の不調を覚え始めたため、

三番神呪さんばんしんじゅと言う呪言を歌い上げ、

それを外国の弟子に伝え、唱えさせた。


が、効果が及ぶよりも前に容態が悪化。

病床で気力を振り絞り、僧を呼び寄せ、

彼らに別れを告げる。


「仏法が私とそなたらを

 結びつけてくれたとは言え、

 いまだそなたらを迷いの外に

 導き出せたとは、到底思えぬ。


 間もなくこの世を後とするわけだが、

 この忸怩たる思い、

 なんとも言葉に尽くしがたい。


 蒙昧なるこの身でありながら、

 何らかの間違いがあって

 翻訳事業に携わることとなり、

 なんとか三百巻は訳出が叶った。

『十誦』を訳せなかったのは

 心残りではあるが、

 その本旨から違わねば、

 過ちはまずなかろう。


 こうして訳出されたものが広く伝わり、

 後世に仏法が届けられれば、と願う。


 そして最後に、皆の前で誓おう。

 もし、私の訳出に誤りがなければ、

 この身焼け落ちた後も、舌だけは

 焼け爛れずに残るであろう」


かくて長安ちょうあんにてクマーラジーヴァは死んだ。

弘始こうし七年、もしくは東晋とうしん義熙ぎき五年、

つまり 409 年 8 月 20 日のことだ。

ただ、この日付には異同がある。

ある本では弘始七年、別本では八年。

更に別の本では十一年説もある。

七と十一とは縦書きだと

見間違えが起こったりもするので、

それが原因なのかもしれない。

ただ、いくつかの実録にも同じように

十一年の表記もあり、なんとも言い難い。

このあたりは、異聞を記すに止めよう。


その葬儀は長安城逍遙園しょうようえんにて。

葬儀の作法は外国のものに従った。

出身地式か、天竺てんじく亀茲クチャ式か。

いずれかはわからない。


その身が火葬され、

最後の薪までもが燃え尽きると、

その舌だけが焼けず、残ったと言う。


後日、西方からやってきた僧が

クマーラジーヴァの仕事を概観し、言う。


「クマーラジーヴァ殿が暗誦された

 経典のうち、一割ほども

 訳出されてはおらんのだな」



ところでクマーラジーヴァの音写は、

広く知られるのは鳩摩羅什くまらじゅうであるが、

鳩摩羅耆婆くまらじば、とも書かれたそうだ。


外国では父と母の名前をそれぞれ取って

子の名前にすることが多かった。

父親がクマーラヤーナ、鳩摩炎くまえん

そして母がジーヴァ、耆婆じば

なので二人の名を合わせたのだ、という。


……羅は?




什未終日,少覺四大不愈,乃口出三番神呪,令外國弟子誦之以自救,未及致力,轉覺危殆。於是力疾與眾僧告別曰:「因法相遇,殊未盡伊心,方復後世,惻愴何言。自以闇昧,謬充傳譯,凡所出經論三百餘卷,唯『十誦』一部,未及刪煩,存其本旨,必無差失。願凡所宣譯,傳流後世,咸共弘通。今於眾前發誠實誓,若所傳無謬者,當使焚身之後,舌不燋爛。」以偽秦弘始十一年八月二十日卒於長安,是歲晉義熙五年也。即於逍遙園,依外國法,以火焚屍,薪滅形碎,唯舌不灰。後外國沙門來云:「羅什所譯,十不出一。」初什一名鳩摩羅耆婆,外國製名,多以父母為本。什父鳩摩炎,母字耆婆,故兼取為名焉。然什死年月,諸記不同,或云弘始七年,或云八年,或云十一。尋七與十一,或訛誤,而譯經錄中,猶有十一年者。恐雷同三家,無以正焉。


什の未だ終たらざる日、少しく四大に愈えざるを覺え、乃ち口に三番神呪を出だし、外國の弟子に令し之を誦せしめ以て自救せんとせど、未だ致力の及ばざるに、轉た危殆を覺ゆ。是に於いて疾を力し眾僧と別れを告げて曰く:「法に因りて相い遇せど、殊に未だ伊の心を盡くさず、方に復た世を後とせんとせるに、惻愴を何ぞ言ぜんか。自の闇昧を以て、謬りて傳譯に充たり、凡そ出だす所經論三百餘卷なれど、唯だ『十誦』一部にては未だ煩を刪す及ばず、其の本旨の存さば、必ずや差失無からん。願わくば凡そ宣譯さる所、後世に傳流し、咸な共に弘通せんことを。今、眾前にて誠實に誓いを發さん、若し傳の謬無かりたる所なれば、當に焚身せしむらるの後、舌は燋爛せざらん」と。偽秦の弘始十一年八月二十日を以て長安に卒す、是の歲は晉の義熙五年なり。即ち逍遙園にて外國が法に依る,火焚を以て屍され、薪の滅し形の碎かるに、唯だ舌は灰せず。後に外國の沙門は來たりて云えらく:「羅什の譯せる所、十に一を出でず」と。初、什が一名は鳩摩羅耆婆たり。外國が名を製せるは、多くは以て父母を本と為す。什が父は鳩摩炎、母が字は耆婆なれば、故に兼ねて取り名と為したる。然れど什が死せる年月は諸記にて同じからず、或いは弘始七年と云い、或いは八年と云い、或いは十一と云う。尋ぬるに七と十一とは、或いは訛誤にて、而して譯經錄が中に、猶お十一年なる有り。恐らくは三家に雷同せんとせるも、以て正とせる無かりきならん。


(高僧伝2-14_衰亡)




口出三番神呪,令外國弟子誦之

口出三番神呪,令外國弟子誦之

口出三番神呪,令外國弟子誦之


だいじなことなので。


クマーラジーヴァ、ぶっちゃけ経文の音楽的要素がなかったら霊験は望めない、みたいな立場にいるっぽい。「食いもんの味わいを抜いて、与える人間にむしろ吐き出させようとしてる」って発言は、はっきりと経典の漢語化に対する不信を顕としてるし、晉書鳩摩羅什伝を見たら見事にその発言を省略してるしで、クマーラジーヴァの素のスタンスを描き出してしまうと、間違いなく漢語エリアの民にとっては不都合。母上、ことジーヴァ氏に「お前は彼の地に行けば幸せになれないよ」って予言を受けていて、それについてはガッツリ覚悟完了もしてただろうけど、結局のところ漢地(クマーラジーヴァの言葉に倣えば秦地)の習俗に対しては、最期まで拒否感を覚えていたんでしょうね。


高僧伝を編纂した慧皎さんは、そんなドギツイ発言及び行動をちゃんと記述しててくださり、ありがたい。チャイナプロパーとかゆうユーラシアの袋小路で「ワイらが世界の支配者www」とかほざいてる蛸壺のタコを見るクマーラジーヴァさんの醒めた目が伺えるかのようで最高です。


というわけで、クマーラジーヴァ伝終了なのです。

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