索棱   檄文起草者   

索棱さくりょう、字は孟則もうそく燉煌とんこうの人だ。


学問を好み、広く書籍に通じていた。

姚萇ようちょうは彼を非常に重用し、

機密のからむ文章は彼に任せていた。

詔勅や檄文は、すべて索棱の文だ。


平原へいげん太守に任じられると、

領民を良く徳化した。

人々は索棱を畏敬し、歌っている。



懿矣明守 庶績允釐

 素晴らしきかな、明察なる太守さま。

 その見事な治績は枚挙に暇なし。


剖符作宰 實獲我思

 姚萇様より信を得て

 わが郡を牽引されるにあたり、

 すこぶる我らが心を掴まれた。



姚興が立つと、太常に昇進。

まもなく赫連勃勃かくれんぼつぼつ西秦せいしん乞伏乾帰きっぷくけんき

南涼なんりょう禿髪傉檀とくはつじょくだん北涼ほくりょう沮渠蒙遜そきょもうそんにより

国境周辺が荒らされ始めると、

これらをどうにか解決できる人材を

求めたが、上手く見つからない。

そこで索棱を太尉、兼隴西ろうさい內史とし、

西秦の取り込みを命じた。


索棱の素晴らしき手腕に感服し、

乞伏乾帰は後秦に対し、降伏。

が、乞伏乾歸が死に、

息子の乞伏熾盤きっぷくしばんが立つと、再独立。

このとき索棱も、隴西の民とともに

乞伏熾盤のもとに走るのだった。




索棱、字孟則、燉煌人也。好學博文、萇甚器重之、委以機宻文章。詔檄皆棱之文也。後為平原太守、以徳化。民畏而愛之、歌曰:「懿矣明守、庶績允釐、剖符作宰、實獲我思。」興時、為太常。興以勃勃乾歸作亂、西北傉檀、蒙遜、阻兵河右、欲求重將、鎮撫二方、而難其人遂、以棱為太尉、領隴西內史、綏誘西秦。政績既羙、乾歸感而歸之。未幾、棱以隴西之眾、降於熾盤。


索棱、字は孟則、燉煌の人なり。學を好み文に博く、萇は甚だ之を器重し、以て機宻文章を委ぬ。詔や檄は皆な棱の文なり。後に平原太守と為り、以て徳化す。民は之を畏れ愛し、歌いて曰く:「懿なるかな明守、庶もろの績は允釐にして、符を剖りて宰を作し、實に我が思を獲」と。興が時に太常と為る。興は勃勃・乾歸の西北に亂を作し、傉檀・蒙遜の河右に兵を阻せるを以て、重將を求め、二方を鎮撫せんと欲せど、其の人の遂ぐるを難じ、棱を以て太尉と為し、隴西內史を領せしめ、西秦を綏誘せしむ。政績は既に羙なれば、乾歸は感じ之に歸す。未だ幾ばくもなく、棱は隴西の眾を以て熾盤に降ず。


(十六国61-5_政事)




晋書しんしょに載ってる内容プラス太平御覧たいへいぎょらん崔鴻さいおう十六国春秋佚文からの編集のようです。本ではほかの場所でも太平御覧にある佚文拾ってくれてるのかなあ。まぁいまみたいにネット検索なんてきちがったもん存在してないから、当然遺漏も生じるでしょうけど。


あと、西秦に帰順したという情報は資治通鑑しじつがんより。これももとは崔鴻十六国春秋なんでしょうかね。姚萇時代の詔勅や檄文に携わったってことはその外交センスとかを目の当たりにしてるわけであり、姚興にはいろいろ物足りなさを感じちゃってたのかもしれないですね。物足りなさと言うか、危うさか。

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