胡弁   涼州の大儒   

胡辨こべん涼州りょうしゅう西河さいがの人だ。

若いころから学問を好み、

経典史籍に広く通暁し、

高邁爽快なオーラを放ち、

みだりに人と群れることはなかった。


夜に読書をなせば次々と蠟燭を継ぎ足し、

結局昼過ぎまで読みふける。

そうしてついに儒の達人となった。


苻堅ふけんの時代の末ころに東に出、洛陽らくように。

千人余りの弟子に講義をし、

関中の若者たちも多くが

胡弁のもとに出向いていた。


姚興ようこうは洛陽の警備担当に言っている。


「彼らが道理を学び、

 己を修めるにあたって

 胡弁殿の所を出入りするのに、

 刻限を定めて捕らえられる、

 だなどといったことが

 起こらぬようにせよ」


このため洛陽の学者は

みな熱心に学び、儒学は盛んとなった。




胡辨、涼州西河人。為世大儒。苻堅之末、東徙洛陽、講授弟子千有餘人、關中後進多赴之請業。興敕關尉曰、「諸生諮訪道藝、修己厲身、往來出入、勿拘常限。」於是學者咸勸、儒風盛焉。辨少好學,博綜經史,風韻高爽,氣幹不群,嘗夜讀書,以燭繼晝,為世大儒。


胡辨、涼州の西河の人。世に大儒為る。苻堅の末にて洛陽に東徙し、弟子の千有餘人に講授し、關中の後進の多きは之に赴きて業を請う。興は關尉に敕して曰く:「諸生の道藝を諮訪し、修己厲身し往來出入せるに、常限を拘ず勿れ」と。是に於いて學者は咸な勸め、儒風は盛んなりたる。辨は少きに學を好み、經史を博綜し、風韻は髙爽、氣幹は群れず。嘗て夜に讀書せるに燭を以て晝まで繼ぎ、世に大儒為る。


(十六国61-3_為人)




後秦は仏教だとか儒とかがかなり盛んになっていたっぽい。その辺は十六国春秋の次の巻が完全に仏僧に充てられているのにもうかがえます。


ところで胡弁さんのこの辺の記述はほぼ晋書しんしょ姚興伝なんですが、後ろにつく「辨少好學~」の出典が謎。


調べたら「欽定きんてい古今ここん圖書としょ集成しゅうせい」にまるまる同じ文が載ってたんですが、これはさすがに屠本十六国春秋からの採録ってだけでしょうしねえ……謎い。

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