薛弁 河東の盛族
先祖が
そこを本籍地とした。
祖父は
移住してきた人々を分けて統率したため、
ひとびとは薛涛らを三薛と呼んだ。
父は
薛祖や薛落の子孫が落ちぶれたため、
改めて薛強が取りまとめることになった。
その統率は見事なもので、
人々は皆薛強を頼り、
黄河を天然の堀となし、自衛していた。
尚書となり、死亡した。
薛弁はそのあとを継ぎ、
尚書郎・建威將軍・
とは言え、その性格は傲慢。
おかげで祖父以来ついてきた人々の心を
ことごとく失った。
薛弁は配下らもろとも劉裕に降伏。
寧朔將軍・
劉裕が長安を失陥したところで、
今度は
そこで「河際の功」を挙げた。
宋軍の追撃に参加したのだろうか。
ともあれこの功績で
平西將軍・雍州刺史・汾陰侯を授かる。
422 年に死亡。44 歳だった。
薛辯,字允白。其先自蜀徙於河東之汾陰,因家焉。祖陶,與薛祖、薛落等分統部眾,故世號三薛。父強,復代領部落,而祖、落子孫微劣,強遂總攝三營。善綏撫,為民所歸,歷石虎、苻堅,常憑河自固。仕姚興為鎮東將軍,入為尚書。強卒,辯復襲統其營,為興尚書郎、建威將軍、河北太守。辯稍驕傲,頗失民心。劉裕平姚泓,辯舉營降裕,司馬德宗拜為寧朔將軍、平陽太守。及裕失長安,辯來歸國,仍立功於河際,太宗授平西將軍、雍州刺史,賜爵汾陰侯。泰常七年卒於位,年四十四。
薛辯、字は允白。其の先は蜀より河東の汾陰に徙り、因りて家とす。祖は陶、薛祖や薛落と與に部眾を分統し、故に世は三薛と號す。父は強、復た部落を代領せるも、祖、落が子孫の微劣せるに、強は遂に三營を總攝す。綏撫に善く、民に歸せらる所と為り、石虎、苻堅を歷し、常に河に憑じ自ら固む。姚興に仕え鎮東將軍と為り、入りて尚書為る。強の卒せるに、辯は復た其の營の統ぶるを襲い、興が尚書郎・建威將軍・河北太守と為る。辯は稍さか驕傲なれば、頗る民心を失う。劉裕の姚泓を平らぐに、辯は營を舉げ裕に降じ、司馬德宗は拜し寧朔將軍・平陽太守為らしむ。裕の長安を失せるに及び、辯は國に來歸し、仍ち河際の功を立て、太宗は平西將軍・雍州刺史を授け、汾陰侯を賜爵す。泰常七年に位にて卒す、年四十四。
(魏書42-1_為人)
パパは
https://kakuyomu.jp/works/1177354054894645693/episodes/1177354054897063787
こちらにいます。
屠本十六国春秋にあったのは薛弁の後秦時代の行動まででした。それはいくらなんでも中途半端すぎだろということで、おとなしく屠本の元ネタである魏書より。この河東薛氏ってやつは本当に侮れない一族でして、色んな所で存在感を示しています。ここでも薛弁がクソ野郎で民心を失ったにも関わらず立伝されてるのは、子孫たちがまた北魏でも存在感を示していたため。子孫の伝はまだまともに読めていませんが。
魏書は旧五胡十六国の各地豪族を一族単位で保管してくれているわけで、そうやって考えるとかなりやべー史書だなって思うのでした。
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