姚泓24 劉裕侵攻16  

姚讚ようさん河上かじょうに進む。

そこに姚難ようなん蒲坂ほはんから

物資補給を試みたところ、

東晉とうしん軍に奪われてしまった。


この頃姚泓ようおう姚諶ようしん堯柳ぎょうりゅうを守らせ、

姚和都ようわと河東かとうに向かわせた。

薛帛せつはく討伐のためである。


そこに飛び込んできたのが、

姚難を襲撃する東晉軍の報。

急行するも、時既に遅し。

姚難はすでに破られていた。

そのため姚和都はこの襲撃隊を

河曲かきょくにて撃破し返し、蒲坂に赴いた。


姚讚ようさん沈林子しんりんしに大敗。

ひとり定城ていじょうに逃げ延びる。

姚紹ようしょう姚洽ようこう姚墨蠡ようぼくれいらに3000騎を預け、

河北かほく九原きゅうげんに駐屯させる。

狙いは檀道済だんどうさいの補給路寸断である。


しかし、姚洽は難色を示す。


「小勢の敵が守りを固めたときには、

 大軍にて押し包んでしまうものです。

 しかしいま、我々に

 それをなせる兵力はありません。

 しかも各軍も黄河こうがの外に

 散在しているような状態。


 このような状況で

 姚紹様の仰る計略を動かせば、

 いくら姚紹様が

 名将であらせられるとは言え、

 我らには牽制しうるだけの攻撃力も、

 実現するだけの士気にも欠けています。

 故に私には、その軍略が

 実現しないのではないか、

 そう思われてならぬのです」


しかし姚紹、その進言を却下。

姚洽を派遣した。


結果、河上で 8000 を率いる沈林子と遭遇。

姚洽は戦死、軍は壊滅した。


この知らせを聞き、姚紹は激怒。

そのまま病を得てしまう。

死の床にて姚讚に後事を託し、

姚難を潼關どうかんの西に駐屯させる。

そして吐血し、死んだ。





姚讚屯于河上,遣恢武姚難運蒲坂穀以給其軍,至香城,為王師所敗。時泓遣姚諶守堯柳,姚和都討薛帛於河東,聞王師要難,乃兼道赴救,未至而難敗,因破裕裨將于河曲,遂屯蒲坂。姚讚為林子所敗,單馬奔定城。紹遣左長史姚洽及姚墨蠡等率騎三千屯于河北之九原,欲絕道濟諸縣租輸。洽辭曰:「夫小敵之堅,大敵之擒。今兵眾單弱,而遠在河外,雖明公神武,然鞭短勢殊,恐無所及。」紹不聽。沈林子率眾八千,要洽于河上,洽戰死,眾皆沒。紹聞洽等敗,忿恚發病,託姚讚以後事,使姚難屯關西,紹嘔血而死。



姚讚の河上に屯ぜるに、恢武の姚難を遣りて蒲坂の穀を運び以て其の軍に給ぜしめんとし、香城に至るも、王師に敗らる所と為る。時に泓は姚諶を遣りて堯柳を守らしむ。姚和都の薛帛を河東に討てるに、王師の難を要うを聞き、乃ち兼道し救に赴けるも、未だ至らずして難は敗し、因りて裕が裨將を河曲に破り、遂に蒲坂に屯ず。姚讚は林子に敗らる所と為り、單馬にて定城に奔ず。紹は左長史の姚洽、及び姚墨蠡らを遣りて騎三千を率い河北の九原に屯ぜしめ、道濟が諸縣の租輸を絕たんと欲す。洽は辭して曰く:「夫れ小敵の堅にして、大敵の擒なり。今、兵眾は單弱にして、而も遠く河外に在す。明公の神武と雖ど、然して鞭は短く勢は殊なれば、及ぶ所無からんと恐る」と。紹は聽かず。沈林子は眾八千を率い、洽を河上に要え、洽は戰にて死し、眾は皆な沒す。紹は洽らの敗るるを聞き、忿恚し病を發し、姚讚を以て後事を託し、姚難をして關西に屯ぜしめ、紹は嘔血し死す。


(晋書119-24_衰亡)




姚紹ポンコツ伝説、最期に決定的なミソをつけて終了。マジかー……宋書そうしょ見たときのあの強敵感が、こうも散々に打ち砕かれてしまうなんて。いや、正直あまりにも強すぎるから劉裕が暗殺したんじゃ、くらいの事まで妄想してたんですよ彼には。


こうしてみると、戦術には強くても、視野は狭かったくさいですね。姚萇みたいな化け物じみた視野の存在、姚興と言ったそれでもそれなりに視野を持つ指導者の下でなら問題なく動けたけど、総督レベルの動きはきつい人だったのかもしれません。ピーターの法則やねぇ……。


ともあれ、これで最後の砦が落ちました。あとはもう、さようならモードです。

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