第9話 キレイな鹿と素早いウサギ


 「ふぅー・・・」

 久しぶりのグラウンド。

 この広い空間に居ると胸が躍る。


 「来て正解だったか」

 妹の口車に乗せられたのは気に食わないけれど、やっぱりグラウンドに立つと気分がいい。

 ちょっと寒いって事を除けば満点だ。


 OBとして顔を出す事に抵抗があったのだけれど、実際来てみるとその考えは浅はかだったのだなと思う。先輩だからと言って後輩を指導したりアドバイスしたりする必要はない。後輩たちが作った新しい空間にちょっとお邪魔させてもらうだけなのだ。


 「お兄ちゃん気合い入り過ぎ」

 「別にいいだろ、久しぶりなんだし」

 茶々を入れてくる妹が居なければもっと快適なのにと思っていても口には出さない。


 「跳んでみるか」

 顧問や現部長にも挨拶は済ませてあるので俺が練習に混じっても大丈夫なはず。


 「すまん、ちょっと俺にも跳ばせてくれ」

 そう声をかけながら跳躍組のテリトリーへと足を運ぶ。俺の声に気付いた後輩達から『お久しぶりです!』『どうぞお先に』などと声を掛けてもらえた。


 ーーやっぱりいいな。この空気感。


 数ヶ月ぶりのハイジャンプなので現役時代より10cmほどバーの高さを下げてのチャレンジ。

 ーーこれなら跳べるだろ。


 高さの調整のあと助走距離の確認をしてスタート位置へ戻る。ふと妹の方を見るとスマホをこちらに向けたままブンブンと手を振っていた。

 ーー恥ずかしいヤツめ。


 「フゥ」

 大きく息を吐いて助走を開始。

 勢いがついたら跳ねるように大きく1・2・3・4。

 重心を気にしながら歩幅を狭めタタッ、タン、タン!

 踏み切り脚の足先が地面を離れる。振り上げ脚を上げ切る頃にはバーは反った背中の下にある。

 ほんの一瞬だけ視界が空の青に埋め尽くされた。


 ーークリア!


 背中に軽い衝撃が走る。

 ボフンっとマットから気の抜ける音。

 バーの高さは低めにしたが、かなりキレイに決まったはずだ。


 ーーどうだ見たか!妹よ!

 ーー兄の華麗なジャンプ姿を!


 マットから降りて後輩達に軽く手を挙げ感謝の意を伝える。

 次の部員が調整に入るの確認してから妹の居る方へと目をやった。

 ーーん?誰かと一緒なのか?


 俺の視線に気付いた妹がまたもブンブンと手を振り俺を呼ぶ。それと同時に妹と一緒に居た女子がコチラに向かって走りだす。彼女はすれ違いざま俺に一礼して跳躍組のメンバーの輪の中へ溶けてしまった。


 ーー神坂。


 後輩女子とすれ違った。

 ただソレだけの事で落ち着かない気持ちになってしまう。

 妹の方へと歩きながらも意識は神坂の後ろ姿を追いかける。


 「お疲れ、お兄ちゃん。久しぶりに跳んだ感想は?」

 妹の声が聞こえてハッとする。


 「いや、マジやばい。スゲーなまってる。全然思ったように跳べねえ!」

 神坂に気を取られていた事を悟られないようにと当たり障りのない言葉を使って応答するが、妹はそんな俺の心などお見通しとばかりに俺の目を見て『ニッ』と笑う。


 「なんだよ、もう撮るなよ。跳ぶところだけって言ってたろ」

 やめろと言ってやめる妹ではないけれど一応抗議の声は挙げておく。


 「えー、いいじゃん別に。いい顔してるし」

 当然だけど妹は撮影をやめたりはしなかった。

 それに『いい顔してる』なんて言われたらソレ以上は言えなくなってしまう。


 ーー本当、食えないヤツだよ。お前って。


 「お兄ちゃん。次、神坂先輩が跳ぶよ」

 唐突に神坂の名前を出されて狼狽える。


 「お、おぉ・・・」

 かっこ悪い腑抜けた返事をしてしまったが、今はそんな事どうだっていい。

 間近で神坂の跳躍を見られる最後のチャンスかもしれないのだ。


 タッタッタッと軽やかな音を響かせ神坂の長くキレイな脚が大地の上を華麗に跳ねる。

 一拍おいてジャリッと地球の重力を断ち切る音が聞こえた。


 「おぉ! 神坂先輩ってキレイに跳ぶよね!」

 すぐ隣で妹が何か叫んだようだが何一つ頭に入ってはこない。


 そう言えば、初めて神坂の跳躍を見たときも思ったのだ。

 『なんてキレイに跳ぶんだろう』と。


 「本当にキレイだ」

 思わず声に出してしまう。


 そのまましばらく神坂の姿を眺めていた。



 俺の意識を現実に引き戻したのは、またしても妹の声。


 「ぷぷ、『本当にキレイだ』だって!」

 「 !!! 」


 「かーみーさーかーせんぱーい!!お兄ちゃんがー」

 振り向いた時には妹はもう走り出していた。

 大きな声で叫びながら。


 「うわぁああああ!!」

 なりふり構わず妹の後を追う。

 そして思い出す。

 妹もまた短距離特化のウサギのような脚の持ち主だと言う事を。


 「やめてぇええ!!」

 グラウンド中に俺の可愛い悲鳴が響き渡った。


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