第5話 寝ぼけまなこの妄想劇場


 目を開いても見える景色の輪郭がハッキリとしない。

 「今何時だよ?」


 自分の声のカスレ具合から、それなりの時間は眠っていた事がわかる。時刻を確認しようと枕元のスマホに手を伸ばす。パッと明るくなる画面に瞳孔の調整が追い付かなくて目を細める。

 午前5時を過ぎたところだった。日課のランニングに出るにはまだ早い。

 もう一度スマホ画面に目をやるとソコには時刻以外にも表示があった。


 妹からの返信。


 俺は妹からのメッセージを確認するため眠く重たいまぶたを持ち上げる。


 「うぉ、結構な長文だな・・・」

 まだ意識が覚醒しきっていない状態で読むには厳しい量の文字達が並んでいた。

 普段よりゆっくりと文字を追う。

 妹の言葉の選び方が上手いのか、目から入力された文字情報が頭の中で映像へと変換されていく。


 そこに描かれる風景は見慣れたモノで、つい最近まで自分も同じ場所に立っていたものだ。学校のグラウンドに部室棟、陸上部専用の倉庫に運動部用のシャワー室。


 それに・・・




 「おつかれ! 三浦ちゃん!」

 おどけた感じで私の首に腕を回してきたのは2年生の神坂先輩。


 「ちょ、やめて下さいよ!」

 私のじっとりと汗を含んだ首筋にしっとりとした先輩の腕が絡み、背中には小ぶりだけどしっかりとした弾力のある膨らみを押し付けられる。


 「えー、そんな全力で拒否らなくてもー」

 「いいえ断固拒否です、お触り禁止です!」

 少し妖しく聞こえるかも知れないけれど、近頃はコレが私の日常になっていた。


 ソレが本気で嫌なのかと言われると少し考えてしまうけれど、やっぱり嫌だと思う気持ちが少し上回る。


 「お触りじゃなくてスキンシップ」

 「いや、先輩のはお触りです!」

 こうやって拒否の表明をしている間も神坂先輩の腕は私の身体に絡みつく。


 ぺしっ!

 私が神坂先輩の手を叩き落とした音だ。


 「いたーい。酷いことするよね、三浦ちゃんは」

 「先輩がお尻を触ろうとするからですよ」

 神坂先輩は私が抵抗すると少し悲しそうな表情を作る。その表情は同性の私でもドキッとさせられるほど儚いモノの様に映るのだ。

 ーーズルイ!


 「じぁねー」

 「お先にー」

 「ごゆっくりー」

 こんな百合百合した状況を他の部員達は面白がっている節がある。

 シャワー室や更衣室などで私と先輩が2人きりになるように仕向けられている気がしてならないのだ。


 「三浦ちゃんが羨ましい」

 始まった。

 先輩のいつもやつ。


 「ハイハイ、いいでしょー」

 と軽く受け流しておく。

 真面目に取り合っても仕方のない事。


 「ほんとキレイだよね、脚の筋肉」

 「お褒めくださり、ありがとうございます」

 とにかく褒めるのだ、下半身の筋肉を。

 そのカタチを。


 「大臀筋はお兄さんのがカッコいいけど」

 「・・・・・・」

 そして比較される。引退した3年の兄の筋肉と。


 それが嫌なわけではない。

 私も兄が褒められて悪い気はしないのだ。


 「大内転筋までハッキリわかる・・・」

 神坂先輩は私の後ろに回り込み太ももの筋肉を人差し指で優しくなぞる。


 「ホントにやめてくださいってば!」

 いつもならコノ台詞が合図になって先輩は私を開放してくれるのだけど、今日は違った。

 強い力で左手首を掴み上げられ、強引に身体を半回転させられる。神坂先輩と向かい合わせの格好だ。


 「本当にやめないとダメ?」

 神坂先輩は少し悲しそうなズルイ表情を作りながら私の目を覗き込む。


 「ダメです、離して下さい」

 いつもと違う様子に驚いて私も少し強めな言葉で先輩に返した。


 「離したくないんだけどな・・・」

 と開放を受け入れたかの様な台詞を呟きながら神坂先輩はまったく逆の行動にでる。上半身を密着させ私の脚の間に先輩の左膝が強引に割り込んでくるのだ。


 「いやです。やめて下さい」

 「本当に?」


 私の拒否の言葉は神坂先輩には全て逆の意味で解釈される。つまり肯定。受け入れると。

 そんなつもりは微塵もないのに。


 神坂先輩の右手が私の大臀筋のラインに沿ってゆっくりと移動する。それは下着のラインとも一致していて大変きわどいものだ。





 ピピピピ。ピピピピ。

 突然響いた目覚まし時計のアラームに心臓が飛び出してしまいそうなほど驚く。


 「ヤバい、やっちまった・・・」

 軽く下処理をして風呂場へ向かう。大丈夫、家族はまだ起きていない。

 シャワーで身体を流し石鹸でパンツを洗う。


 「後輩と妹の絡みでってヤバすぎだろ、俺」


 男として兄としてこれ以上情け無い姿もないだろう。唯一の救いはダメダメな妄想に励んでいた事は誰にも分からないって事だけ。

 とにかく今できるのは、とっとと洗って誰にも気付かれないよう自室に戻る事。

 家族が起きて来る前に全てを終了させればいい、それだけの事なのだ。


 「ふぅ」

 バスタオルで身体の水気を拭き取り鏡に向かう。

 鏡の中の自分を見つめイメトレの要領で自分自身に暗示をかける。

 ーーうん、大丈夫。

 ーー俺ならやれる。誤魔化しきれる。


 「よし!」

 と気合いを入れ直す。

 あとは服を着て誰にも気付かれる事なく自室に帰投すれば本作戦は終了となる。



 けれど嵐は突然訪れる。

 前触れもなくノックもなく洗面室のドアのその向こうから。


 「おはよ、お兄ちゃん。あの・・・昨夜のメッセのことなんだけど・・・」

 ドアの向こうからやって来た妹はジッと俺の手元を見てニヤリと笑う。


 パシャリ。


 「お兄ちゃんのフリチンいだだき!」

 「ちょ、お前!それはダメだろ!」

 そんな俺の心からの叫びは妹には届かないし響かない。


 「じゃ!私、朝練いくから!」

 俺の言葉を聞く気など1ミリもない妹は、そう言って元気に家を飛び出して行ってしまった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る