お父様は贈られたい
向かいに座った夫は眉間に深刻な陰を刻み、忌々しげに言う。
「やっぱり嫌だ。お嫁に出したくない」
「先ほどあなたもきちんと署名なさったではありませんか……」
夫の膝を枕に眠っていた娘が身じろぎした。ヘンリー第四王子との長い婚約手続きに疲れたのだろう。王宮で一日おすましできたのは立派であったが、最後の淑女の礼は足元がふわふわしていたので夫が抱き上げて馬車に乗せたのだ。夫は娘の丸い頬を骨ばった長い指で撫で、「あれは陛下が無理矢理」と声を低くした。結局、抵抗した夫を自分と王太子殿下夫妻が宥め、陛下が署名させたのだ。
「だって、伝説のあれを私はまだ一度もイザベルから言われていないのだぞ? せめて婚約調印はその日まで待っていただくよう陛下にずっと陳情していたのに笑いながら却下された……。陛下も王太子殿下も娘を持つ父親の心がわからない。こんなにも悲しいことがあろうか? 否、ない」
陛下の後継は王太子殿下と公爵閣下の二人の息子、更には孫世代も全員男子なので事実ではある。遅くに生まれた娘を可愛がる夫とは根本から交差しない。
夫の重苦しいため息が車内に響いた。大きくかぶりを振った夫は、娘をそっと膝から抱き上げて胸に寄りかからせると小さな耳に懸命に囁き始めた。
「イザベル、大きくなったら誰のお嫁さんになるのかな? うんうん。そうだね。お父様はヘンリー殿下とは違ってイザベルとおそろいの金髪だし、背が高くて博識でとってもとっても素敵な魔術師だからおすすめだよ」
古来より父親が愛娘から贈られたい言葉ランキング一位と名高い「大きくなったらお父様のお嫁さんになりたい」を言われるよりも前にヘンリー殿下との婚約が決まり、優しくて素敵な「ヘンリーおにいさま」にイザベルがすっかり夢中になってしまったことを根に持つ夫の大変大人気ない囁きは今夜も続く。
夫の額に落ちた淡い金髪を指で整え、彼女はやわく微笑んだ。どうぞイザベルたちの善きお父様で、わたくしの素敵な旦那様でいらしてくださいませ、と。
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