愛が肥やしに変わるまで
ベルセルクの回でちょろっと書いたけど、内容などはまったく違う別物の作品なのに、どこかに「あれ? この作者さん、あの話好きなのかな?」と感じさせる。
そういうときってありませんか?
これがいわゆる影響を受けた作品ってやつですね。
影響を受けてはいるものの、パロディとかオマージュとかではないんですよ。作品のなかに形として残るものはないんだけど、カラーと言うか、ふんいきと言うか、どこか通じるものがある。
人間ですから、誰しも成長の過程で好きな作品に出会い、影響は受けます。大人になってからでも、「うぉー! この作品、好きだー!」となることはあります。
近況ノートに「初心者です。〇〇のような話が自分でも書きたくて、書いてみました!」と言ってる人は、けっこう多い。
いいんですよ。好きな作品に触発されて書くのは。ただ、その影響の強さがどのていど出るのかで、オリジナル作品なのか、オマージュ作品なのか、ただのパクりなのかが違ってきます。
以前、創作はすべて模倣から始まるって話を、このエッセイ内でしました。僕は横溝正史の模倣から始まった。
ところで、ここ数回、著作権にかかわる話を書いてきました。自覚を持ってマネをすることは、完全なる盗作です。でも、なかには本人がそれを盗作だとは気づかずにやってしまう場合もある。『著作権を守りましょう』の回で書いたのは、そういう例です。古巣の二次創作もそう。
で、今回はですね。盗作のつもりじゃないけど、その作品が好きすぎて、どうしても似てしまう場合、どこまでなら許されるのか、です。
前述のように初心者の人が「〇〇みたいな話が書きたくて!」と言ってるとき、それは読まなくてもわかるけど、十中八九、パクりです。誰が見ても「〇〇のマネしてるだけだよね?」って話になってます。
読んでないのに、なんでわかるんだって?
わかりますよ。近況ノートでも何件か見たし。「〇〇のような作品を書きたくて書いてみたけど、どうしても〇〇に似すぎてしまいます。これ、自分で書く意味ある? ってことに気づいてしまったので、この作品は途中ですが、ここでやめます」と書かれてる人を見たことがある。
そもそも、僕が横溝正史もどきを書いてたときがそうだったし。
好きな作品への愛が強すぎて、あの世界を自分でも構築したい。そういう欲求につき動かされているときは、盲愛です。その作品しか見えていない。その作品のなかにどっぷりハマってるので、その世界観と自身が同化してしまっている。
それを少しすぎると、リスペクトの段階に移ります。作品の模倣ではなくなるんだけど、「〇〇先生が大好きです。いつか〇〇を超える話を書くことが夢です」みたいな。
模倣とどう違うのかって?
説明は難しいんですが、以前、エブリで交流のあった書き手さん。感想欲しい、アドバイス欲しいと言われてたんで読んだんですが……。
まず、その人はプロフに好きな作家さんの名前をあげていた。コメントのやりとりでも、しょっちゅう、「〇〇先生の作品が大好きで、〇〇という話がとくに好きです」と言われてた。
するとですねぇ。どうしたことか、その人の書いた作品は、もうまったく「〇〇先生の〇〇という作品」そのものなんですね。
言っておくと、ストーリーはオリジナルでした。そこは間違いないです。メフィスト賞の一次だか二次だかに残った作品だそう。
キャラクターもオリジナルです。外国を舞台にしてたので、西洋人の名前でした。
なのに、読んだ印象は「〇〇先生の〇〇という作品」なんですよ。
つまり、そのストーリーを〇〇先生が書くとしたら、こんな感じになるだろうって話。初心者の人が作品の模倣だとしたら、この人は作風の模倣なんですね。キャラクターたちも、とくにヒロインの女の子は名前や容姿が違うだけで、その人が大好きと言ってた〇〇先生の作品のヒロインにそっくりでした。とくに、身体的な特徴で義眼というのは、「〇〇から持ってきたな」と言わざるを得ない。
あまりにも影響が色濃く出すぎてる。
悪いことに、その書き手さんは無自覚だったんですね。自分で〇〇先生の作風を模倣してるとは、つゆ知らず、だけど書いたものは完全にマネになってしまってる。その書き手さん本人の個性になってないんです。それとなく、やんわり告げたけど、たぶん本人はなんのことやらわかってない。まだ〇〇先生を敬愛してるとしたら、今も迷走中かも。
尊敬する作家がいることは別に問題ないんだけど、その作家さんのカラーに染まりすぎるのは困りもの。たぶん、作風の模倣であるうちは、書籍化はムリだと思います。
だって、それなら本家本元の作家の新作を読みますよ。そっちのほうがプロなんだから、面白いに決まってる。
そう。作風模倣の作品、完成度まで模倣されてれば、もっと質が高かったかもしれないですが、そこは素人なので、プロットにもあれこれ問題があったし、文章も読みにくいし、キャラクターたちの会話がムダに冗漫だった。あと、キャラたちの成長がない。最初から最後までずっと子どもっぽいケンカしてるだけ。〇〇先生のヒロインは、もっと神秘的で魅力的でしたよ? けっきょく、うわっつらだけマネしてるわけです。キャラクターテンプレなので、深味がない。
「〇〇のような話を書きたい!」と言っているうちは、完全なオリジナルの作品は書けないんじゃないかなって、僕は思います。
そうじゃなく「自分の話が書きたい!」と言えるようになれば本物かなと。
さて、ここで冒頭に戻る。
キングダムとか、進撃とか、もしかして作者さんはベルセルクが好きだったのかなと思った。僕の勘にすぎないんですけどね。
もちろん、両者ともオリジナリティあふれる名作です。どちらも独自の世界観があり、おそらく、今の若い読者たちに多大な影響をあたえた。
ベルセルクの影が見えるとしたら、「もしかしたら好きだったのかな?」というそれだけ。
でも、これが大事なんだと思う。誰の内にも秘めている、かつて好きだった話があり、それは現在進行形かもしれないけど、盲愛や敬愛の時期をすぎ、自分のなかで
たくさんの物語を愛し、豊富な肥やしがあるほど、そこから生まれる新たな作品は、見事な果実をつける。
自作を読み返したとき、「あれ? 意外とあの話の影響を受けてるんだな」と思うことがある。ストーリーや作風やジャンルもまったく違うけど、読む人が読めば、なんとなく感じるかも。
そこまで自分のものにして、初めて『影響を受けた作品』と公言していいのではないかと。
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