07話.[ただそれだけが]
「清美……?」
先程からずっとこんな調子だった。
ちなみに、長島家にいたときはみんなで楽しくできていたと思う。
が、帰るとなって、外に出てからは黙ったままというか、こっちの手を結構強い力で握ったままただ歩いているだけの彼女となっている。
「楽しかったわよね、明菜も香菜も明るくて」
「うん、今日のでまたちょっと仲良くなれた気がする」
「むかつく」
「え、どうして?」
彼女は足を止めてこちらを見てきた。
その割には怒りの感情が表情に含まれていない、逆にどこか悲しそうだ。
「あんたが明菜とばっかり仲良くしているからよ」
「でも、清美は結局香菜さんと盛り上がっちゃったから……」
どうしたって余った者同士で話しているしかなくなるわけで。
もっとも、明菜さんと話すことは楽しいし、一緒にいることは落ち着けるから全然問題ないんだけど。
ああしてちょっとわがままを言った後すぐにまた同じような状態に戻ってしまったから甘えるしかなかった。
明菜さんも嫌な顔をしないで甘やかしてくれたから寂しいけど嬉しいって気持ちでいたのに。
「電話で言ってくれたこと、やっぱり口だけのことだったの?」
「電話……?」
「美幸さんから電話がかかってきてね、あんたの声が聞こえていたの」
「もしかして……一緒にいたいって言ったときのこと?」
「そう、嬉しかったよ、私と一緒にいたいって言ってくれて、私を困らせたくないからって考えてくれて」
1度部屋を出たのはそういうつもりでもあったのかと納得。
でも、もう直接吐いたことだから気にしない、寧ろ姉がそうしてくれていて良かったとしか言えない。
それがあったからあの別れの後も彼女は態度を変えずにいてくれたのではないだろうかと考えているから。
「けど、今日来たのは1回だけだったわよね」
「それは……本当は甘えたかったけどふたりもいたんだし……」
「甘えたいの?」
「うん、明菜さんがしてきたみたいに……抱きしめたい」
できなくてもいい、それならそれで大好きな姉に甘えるだけ。
それでもできたら、彼女が許可をしてくれたら、……彼女を抱きしめることで心にある寂しい気持ちをなんとかしたい。
ぼくだって彼女いたかった、でも無理やり彼女とばかりいたらふたりに恩を仇で返すことになってしまう。
一応考えて、空気を読んだつもりだったのだ。
「いいわよ? ほら」
「うん……」
あのときはあくまで胸から上だけだったけど、今度は違う。
近寄れば近寄るほど、彼女の柔らかさを知ることになる。
「なんか……弟が抱きしめてきている気分になるわ」
「弟さんがいるの?」
「うん、小学6年生」
「身長……同じぐらいなんだ」
「元々、男にはあんまり勝てないでしょ、私より大きい人間なんて沢山いるしね」
日本人でさえそう感じるのだから、外国人の人が近くにいたら腰を抜かしそう。
ぼくにだったらよく成長している小学生の子でさえ勝ててしまう。
自信がない子がいたら高校生よりでかいんだってぼくを見てそう思ってほしい。
「満足した?」
「このままずっとがいい」
「こんなところで? ま、あんたがしたいならいいけど」
いま触れておかないとまた部活動が始まってしまう。
部活終了時間兼完全下校時間まで待っていることはできるけど、そうすると姉に負担をかけることになるというジレンマがあるから。
それにテストが終わったから家事は任せてっ、なんて言ったのにすぐに破ることになったら愛想を尽かされてしまうし……。
「やっぱなし、恥ずかしい」
「やだっ、明日からできないから……」
「学校ですればいいじゃない、空き教室とかあるんだからそういうところで」
「……絶対に相手をしてくれないからやだ」
「わがままね……」
お友達に呼ばれればすぐにそっちへ行ってしまうからその点に関しては信用できない。
「約束は守るわ、明日もさせてあげるから」
「じゃあもう帰る、ばいばい」
これ以上は困らせるだけだから駄目だ。
いまはとにかく帰って姉と自分の分のご飯を作ればいい。
「やっぱ嘘、すればいいわよ」
「説得力がないかもしれないけど、清美を困らせたいわけじゃない」
「じゃあ私から抱きしめればいいんでしょ」
こっちが抱きついているのとは訳が違う、彼女の意思でされているということが強く影響を示した。
「……小学生に無理やり抱きついている人間に見えないわよね?」
「清美」
「なに?」
「……他の子と仲良くしてほしくない」
なにもかも思っていることをぶつけなければ駄目だ。
清美とはそうでなくてもふたりきりになれないのだから尚更そう。
「なんで急に?」
「だって……」
「だって?」
そんなの……わざわざ言わなくても分かっているだろうに意地悪だ。
「取られたくない」
「あんた、いつの間にそんなに私のこと気に入っていたの?」
「あの日から」
「ああ、ぶつかりそうになった球を捕ったときからか」
それだけではない、出会ったその日からずっと優しくしてくれていた。
ぼく的に好きになるには十分の日々だったことになる。
お勉強をするためにほぼ毎日遅くまで姉の家に来てくれたのも大きかった。
だからこそ部活動が始まったらその差に悲しみ、少し投げやりになっていたのもあるけど。
「悪いけどまだ返事はできないわ」
「……無理ならもう言ってほしい、そうすればもう困らせることは言わない」
「無理よ、まだ返事はできない」
「分かった。今日はもう帰る、ありがとう」
「うん、またね」
家事をしてこのもやもやをどこかにやってしまおう。
ある意味、ソフトボール大好き少女で良かった。
そうでもなければさっさと大切な子を見つけてしまい、間に入るスペースすらなかっただろうから。
それに断られたわけではない、仮に断られても大好きな姉に甘える口実ができるからいい。
などと考えておかないと駄目だった、テストが終わった後で良かったと心から思った。
6月、雨が降るのが当然になる月。
姉は最近忙しいとかで帰宅時間が19時を過ぎるようなのでのんびりとしていた。
「帰らないの?」
「雨天時はどうするんですか? 筋トレとかですか?」
「そうね、そうなるわね」
原田先生は見に来るかと誘ってくれたものの、邪魔にしかならないから断っておく。
あれから清美とは普通に接することができているけど、恐らく全くと言っていいほど影響を与えられていないのだと考えていた。
つまり、先延ばしにされただけで断られることは必至、それでも自分から振られるために早めることもできずにぼうっとしているというのが現状だ。
それでもいい点はある、それは3ヶ月目に突入したということ。
こっちの土地にも、こっちの人達にももう慣れたから……まあ大丈夫。
「帰ろ」
雨が酷くなっても嫌だから家でのんびりした方がいい。
「ん? 清美なにやっているの?」
教室から出たら教室の壁に張り付くようにいた彼女。
部活動ももう始まっているのにさぼっていたら良くない。
「忘れ物を取りに来たのよ」
「そうなんだ、それなら早く持って部活に行かないと怒られちゃうよ」
「うん、そうだね」
ぼくがいたから教室に入るのが嫌だったのだろうか。
それなら本当に申し訳ないことをしてしまったと思う。
「ま、待ってなさいよ」
「え?」
「やれることが少なくて18時頃には終わるから、待っていなさい」
「わ、分かった、お姉ちゃんも19時を過ぎるって言っていたから待ってるっ」
「うん、じゃあ頑張ってくるから」
あ、どうやら課題のプリントを忘れていたみたい。
ぼくもいまの内に課題をしてしまうことにしよう。
「一緒にいられて嬉しいって考えたけど……」
すぐにはっとなってペンを動かしていた手が止まる。
でも、ここで帰ったりなんかしたらもっと嫌われるから不可能。
恋をするって当たり前だけどいいことばかりでもないのか。
……良くも悪くもソフトボール脳だから、それがどうしても基準になるわけで。
その好きなソフトボールをしていない人間なんかに興味を抱けないのは当たり前。
「お待たせ」
「えっ」
「なによ、約束していたじゃない」
そうじゃなくて……もう18時になっていたのかと驚いただけ。
「雨が強くなりそうだから早く帰るわよ」
「うん」
濡れるのは好きではないからありがたい提案だった。
が、残念ながら出たタイミングでかなり強くなって、傘をさしている方が非効率って感じで。
だからふたりで濡れながら帰ることになり、自然とぼくの家に行くことに。
「あれ、なんで清美も来ているの?」
「は? 駄目なの?」
「いや、早くお風呂に入らないと風邪を引いちゃうよ」
「だから入らせてよ、それにあんたが毎回物欲しそうな顔で見てくるのが悪いんじゃない」
そ、そんな目では見ていない、けど、とにかくさっさとためて入ってしまうことにする。
「先に入って」
「別にいいでしょ、同性同士なんだから」
「いや……くしゅっ、は、早く入ってくれれば」
「……分かったわよ」
好きな人の裸なんて見たら駄目になる。
姉を好きになるのとは別なのだと今回のことでよく分かった。
「出たわよ」
「入ってくる」
後でちゃんと拭いておかないと流石の姉も怒るだろうからきちんとしないと。
綺麗な状態で帰ってきてほしいからすぐに出て床を拭いた。
「全然拭けてないじゃない」
「どこ?」
「あんたの髪とか肌とかよ」
風邪を引くのは嫌だから今度は自分をちゃんと拭いていくことに。
「くしゅっ……」
「もう貸して」
「うん……」
構ってもらいたくてしたわけではないことを分かってほしい。
ぼくはただ、あのまま傘をさしていても横風のせいで濡れるからしただけ。
先に入らせたのだって恥ずかしかったから、床を拭いたのは悲しませたくなかったから。
決して甘えたくてしたわけではなくて……と、何度も同じような言い訳をしていた。
「もう出たくないから泊まってく」
「うん」
「あと、いいわよ、来なさい」
「……うん」
どうせ振るのになんて言うこともしない。
振られたら気まずくなってできなくなるからいまの内に甘えておこう。
「落ち着くの?」
「ん、好きな人に触れられているから」
「へえ」
お願いだからこのままずっと、この時間が続いてほしい。
けれどそんなことにはならないのが現実で、それにご飯も作らなければならないからすぐに終わりにした。
姉が帰宅した後は姉とばかり話をしたり、ご飯を食べたりするだけで全然構ってくれない清美だった。
見たいテレビなどがない自分は寝室に行って寝ることにした。
「文ちゃん、もう眠たいのですか?」
「風邪を引かないように寝ようとしているだけ、清美はどこで寝るの?」
「ベッド、ということになりますね」
「それならお姉ちゃんが寝られるように床で寝るからいい、ブランケットはいっぱいあるし」
寒がりな姉は数種類のブランケットを買ってある。
いくら足にかけるだけだからとはいえ、洗いに出さなければならないからだろう。
贅沢にそれ全てを自分にかけて寝る準備を済ませた。
「お風呂に入ってきますね」
「いってらっしゃい」
……大好きな姉がいるのにどうしてこんな感じなんだろう。
「文……って、あんたなんで床に転がってんの?」
「ベッドは清美とお姉ちゃんが寝るために使ってほしい」
清美に甘えたい、でも、甘えれば甘えるほど終わったときが悲しくなる。
どうしようもない、どう選択しても悲しいのだからこうするしかない。
「じゃ、私も床で寝るわ、たまには美幸さんに広々使ってほしいから」
「……ブランケットはこれだけしかない」
3枚ぐらい使わないと冷えてしまうからベッドで寝てほしい。
2枚とかにするとまず間違いなく風邪を引く、そうなったら1日だけでも甘えることができなくなるから嫌だった。
「抱き合って寝ればいいじゃない、あんたも満足できるでしょ?」
「まあ……それでもいいけど」
「うん、じゃあ決まりね」
とにかくこう言ってくれている内は正直な気持ちを優先する。
彼女は転んだので、ぼくも同じように転んでその胸に顔を埋めた。
「大好き」
「優しくしてくれたから?」
「うん、受験のときも助けられたのはぼくだから、あれで緊張を少しどこかにやれたから」
試験よりも面接の方が怖かった。
朝のことだから効果は弱まっていたけど、それがなければ試験すら駄目だったと思う。
どれぐらい感謝しているのかということを細かく伝えるのは難しいから、いつもありがとと口にして。
「お姉ちゃんが戻ってきたら電気を消して寝よ」
「そうね」
姉はそこそこ長時間入るタイプのため、戻ってきたのは20時半頃だった。
一応姉にもう消してもいいかと確認してから電気を消して寝ることになって。
「必死に抱きしめすぎ」
「ごめん……」
「もっと普通で大丈夫よ」
ブランケットを多くかけていると身長差もあってこちらは内にこもる形になる。
暖かくていいけど、それはつまり彼女の匂いがこもるわけで……。
「寝られなかった……」
ただ、風邪を引いているわけではないようだったので、出て離れることにした。
「ん……文」
「どうしたの?」
そりゃ出ようとすれば気づかれる、考えなしだったようだ。
「頭痛い……」
「え、風邪を引いちゃったの? ちょっと体温計――」
「離れないで……」
今度は彼女からぼくが逆に抱きしめられる番だった。
熱がこもったブランケット内に戻され、結構強い力で抱きしめられたままで。
「ひとりになりたくないから文も休んで……」
「え……」
「……ごめん、流石にそれは冗談」
いや、残ってあげたい気持ちはこのうっすい胸の内に沢山ある。
でも、恐らく姉はそれを許さない、それに両親にも申し訳なかった。
「ここにいるの?」
「あんた達さえ良ければ」
「分かった、それならすぐに帰ってくるから」
幸い、冷却シートとかはあるから問題ない。
奇跡的にうどんも買ってある状態のまま使われていないから帰ったら作ろう。
「……どうしましたか?」
「あ、清美が風邪で」
「それなら清美さんのご両親に連絡しなければならないですね」
やっぱり病人をここに放置していくのは心配だ。
「でも……両親はどっちも夜までいないので……」
「だからってここにひとりで残ってもらうわけにもいかないですし……」
駄目だ、このまま学校に行ったらまず間違いなく集中できない。
しかも傘を途中でさすのをやめて走って帰ろうと口にした自分だ。
「ごほっ、ごほっ」
「文ちゃんもですか?」
「……いま気づいたんだけど、頭が痛いかも」
これは単純に20時半からいままで寝てしまっていたからだ。
寝るのは大好きな自分だけど、脳が寝すぎて重くなったりすることは多い。
「分かりました、それなら清美さんのご両親と学校には私から連絡しておきます」
「ごめん……うつさないようにすぐに治すから」
「大丈夫ですよ、しっかり飲み物を飲んでくださいね」
ごめん、放っておけなかった、放置するような人間にはなりたくなかった。
皆勤はどうでもいい、それより彼女が風邪で皆勤を逃してしまったことの方が問題だ。
ある程度したところで「お仕事に行ってきますね」と言って姉は出ていった。
「清美ごめん、ぼくのせいで風邪……」
「違うわよ……なんで嘘なんかついたの? 大好きなお姉さんに……良かったの?」
「清美を放っておきたくなかったから」
正直なところを言わさせてもらえば眠いから。
「自分の欲望に正直な人間だから、清美といることの方が優先だった」
「ばか……無理して」
「お姉ちゃんにはちゃんと謝るよ、あとお母さん達にも」
演技力は皆無だからどうせすぐにばれる。
あとは単純に罪悪感がやばくなって吐くしかなくなるだろうという想像。
……こんなときでも好きな子といられて嬉しいと考えている自分もいて、この時間を堪能できるのであれば怒られても構わないぐらいに考えてしまったのだ。
「うどん食べる?」
「お昼でいい……」
「分かった、それなら近くにいるからね」
あっちですることもないからずっと近くにいる。
ガン見されていたら寝づらいだろうから見ることはあまりしないけど。
だから結局、数時間が経過しても熱があるのかどうかすらも確認することができないままで。
苦しそうな寝顔ではあるから、ちょっとでも楽になってほしくて手を握ったりなんかもした。
恋とは恐ろしい、自分がここまで変わるとは思ってもいなかった。
地元にいたときは悪く言われてもどうせ会わなくなるからと考えていたのに、いまじゃこの子には絶対に離れてほしくないと考えている自分がいる。
「ごめんね、清美」
こんなマッチポンプみたいなことをしてしまって。
嫌だけど、本当に嫌だけど、こっちのことを振ってもいいから早く治して大好きなソフトボールをしていてほしかった。
ただそれだけがぼくの願いだった。
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