欠落戯作者のネタ集め

橘紫綺

序章

 しとしと、しとしとと、陸奥むつ大宮おおみやの西に位置する沼崎町ぬまさきちょうには、今日も今日とて雨が止むことなく降っていた。

 梅雨の時期。降らなければならないはずの雨が降らず、日照り続きでどうしたものかと危惧していた中で、初めは誰もが恵みの雨だと喜んだ。

 しかしそれが、一日経ち、二日経ち。三日、四日、五日、六日、十日と、一切降りやむことなく降り続けられたら、初めのありがたさもどこへやら。空を覆う曇天よろしく、町人たちの表情も暗くなった。


「確かによォ。梅雨の時期にまったく雨が降らなかったからよ、雨乞いしたって話は聞いたがよ? こうも降り続けられちゃァ、商売あがったりだろうよ。ジメジメジメジメジメジメジメジメ鬱陶しいったらありゃしない。なァ、お前さんもそう思うだろ?」

「あ、ああ。本当にな」


 同じ卓に付いて話を振られた男が、歯切れも悪く相槌を打つ。


「なんでェ、お前さん。その気のねぇ返事はよ」

「いや、少し別のことを考えてたんだ」

「いってェなんだよ」


 降り続く雨の中。好き好んで雨に濡れる趣味のない人々が引きこもっているせいで、閑古鳥が鳴いている状態の食事処に、絡み酒状態の男のだみ声が響き渡る。


「ほどほどにしなよ、げんさん」

「何がだよ、大将。俺ァ心配して話を聞いてやろうってしてんじゃねェか。それの何がいけねぇってんだ? ああ?」

「話を聞く態度じゃないって言ってるんだよ。そもそもどこで酒飲んで来たんだい? お千代ちゃんにお酒は控えろって言われてたんじゃないのかい?」

「うるせェ! あのじゃじゃ馬娘のことなんか持ち出すない! 一人ででかくなったような顔してガミガミガミガミと、死んだ女房みてェなこと言いやがってよ。ますます似てきやがってよ。うっうっう」


 だみ声を涙声に変えて目頭を押さえる『源さん』の対面で困惑する若い男に対し、店主は済まないとばかりに眉を寄せて頭を下げた。

 何故大将が代わりに頭を下げるのか若者には理解できなかったが、正直若者はうんざりしていた。

 雨のせいでろくに仕事が出来ずにむしゃくしゃしていたのは事実だ。

 長屋にいたところで何がどうなるわけでもない。むしろ腹の立つ面子と顔を合わせたくないとばかりに、表に出た。


 カビでも生えそうなジメジメとした長屋の一室と外では、開放感があるだけ外の方がマシだろうと出たものの、外も部屋もさほど不快感は変わりがなかった。

 どんよりとした空。気力を根こそぎ奪いかねない鬱陶しい降り方をする雨。地面はぬかるみと化し、歩きにくい上に濡れた足から体の熱が奪われ冷えて行く。

 一体何をしているんだろうかと、突如虚しさを覚えてたまたま足を止めたのがこの食事処。


 今更のように軒下に入り、力いっぱい溜め息をついたとき、「おう、どうしたよ、若ェの」と声を掛けられて引っ張り込まれた。

 思ったよりも強い力にたたらを踏んで、あたかもあらかじめ用意していたのだと言わんばかりに床几に座らされ、「確かによォ、梅雨の時期にまったくよ~」と切り出されたのである。

 ただでさえ何なんだこいつ。と思っていたところに、私情を挟まれ泣き出され、一体どうしろと言うんだと苛立ちを覚えていれば、


「なんでェ、その顔。話したくねぇなら話したくねぇって言やァいいだけだろうに」

 いきなり下から睨み付けられて噛み付かれた。

 ウソ泣きだったのか、まったく目元が濡れてはいない。

「なんだよ。どっか思いつめた顔してるから話を聞いてやろうと思って引っ張り込んでやったっていうのによォ。近頃の若ェもんは、心配してくださいと言わんばかりの態度取るくせに、いざ話しかけりゃァこうだよ。心配して損したよ。ああ。ああ。別に言わなくても分かってるよ。誰も心配なんかしてくれなんて頼んでねぇって言うんだろ。はいはい。酔っ払いが余計な真似して悪かったねぇ~」


 と、完全にヘソを曲げ、グチグチグチグチと止めどなく不満が吐き出されて行く。

 勝手に心配して、勝手に引き込んで、勝手に切れて、悪態を付かれても、若者にとってはいい迷惑以外の何物でもなかった。が、


「ったく。女がめそめそ泣いてるような鬱陶しい雨が降り続くからこうなんだ。一体ェ誰が泣かせてやがんだか。どいつもこいつも辛気臭くて嫌んならァ!」


 と、吐き捨てられたなら、若者はぎくりと顔を強張らせた。

 そんな若者の変化に気が付いた素振りもなく酔っ払いの男は続ける。


「そもそも、おかしいんだよ。二つ隣の町まで行けば雨なんざ降ってねぇんだ。綺麗ェさっぱり線引きされるほどにあっちとこっちじゃ天気が違う。そんなことってあるかい? ねえだろ?」


 事実、そんなことは普通あり得ないことだった。

 風があれば雲は流れる。雲が流れれば雨も晴れる。

 流れても流れても雨雲が途切れなければ雨は降り続けるだろうが、少なくとも流された先でも雨は降る。まったく同じ場所で突如雨雲が消滅しないかぎり、綺麗さっぱり線引きなどされるわけがない。

 異様な光景にお祓いを頼む者もいたが、一向に結果は出なかった。

 異常だった。あり得ないことだった。

 誰もがそのことを自覚していた。だから、


「呪いだよ呪い! 誰かがこの町を呪いやがったんだよ!」

「源さん。またそんなこと喚いて……」

「だってそうだろ! おかしいだろ! 女だよ女! 女の怨念が渦巻いてこんなことしてんだよ! まったく本当に嫌んなるよ。こんなんじゃ飲んでねぇとやってられねぇってんだ!」

「結局そこに行きつくのかい」

「なんだよ。悪いのかよ」

「悪いね。お千代ちゃんから酒は出すなって言われてるから出せないよ」

「はあ?! お前さん、俺を裏切るのかい?!」

「そうなるねぇ。酔って見ず知らずの人引きずり込んで絡んでるの見たら、とてもじゃないけど酒なんて出せないよ」

「それが客に対する言い草かい?!」

「残念だけどね。そうなるね」

「あーーったま来たぞ! そんな失礼な店なんか今すぐ出てってやる!」

「はいはい。素面になったらまた来てくれや」

「二度と来るか!」


 と怒り心頭で立ち上がる酔っ払いに、


「あ、あの!」


 若者は、半ば中腰になって、酔っ払いを引き留めるように声を上げ、


「この雨は、泣き暮らしている女の呪いのせいだと本当に思いますか?!」


 その突拍子もない問い掛けに、店主と酔っ払いは目を瞬いた。

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