第4話 弟が更なる問題に巻き込まれているらしい

 魔法学校のターミナルに到着し、外に出てみると辺りは濃い霧で包まれていた。何も見えず、息苦しささえ覚える。マキシムはよく目を凝らした。

 薄っすらと、案内板が見えた。【校舎】、【寮】と敷地内の地図が掲げられていた。アッサム先生はどこにいるのだろう、とマキシムは頭を捻らせる。

 ひとまず【魔法学校事務所】というところがよさそうだという結論に至り、マキシムは霧の中を注意しながら進んだ。


 広いところだと感心しながら歩いていると、突然「ちょっと!!」と誰かに呼び止められた。声の方を振り向くと、ぼんやりと小さな建物がかすかに見える。近づいてみると、窓から誰かが身を乗り出しているのが分かった。建物には【守衛室】と書かれている。


「何の用?こんな時間に事務所に行っても誰もいないよ。六時半だよ?」

「そうなんですね。すみません。実はアッサム先生を訪ねに来たのですが。」


 守衛の男性は老年の男性だった。年季の入った制服の胸ポケットにはひしゃげた煙草の箱が突っ込まれている。守衛はマキシムを不審な目で眺め、「非常識な若者」が来た、と思っている様子だった。面倒くさそうに「アッサム先生ねえ…」と何かの帳面を開いた。


「約束はしてるの?研究室にいるなら取り次げるけど、こんな時間だからなあ。あんた。六時半だよ?」

「具体的な日時の約束はしておりませんが、有事の際には先生を、と言われております。」


 マキシムがあまりに堂々と言うので、守衛はとりあえず連絡だけでもしてみるか、という気持ちになり、脇に置いてあった眠る猫の置物に、帳面の【アッサム教授】の下に書かれている番号を唱えた。

 少しすると猫の置物の目がパチリと開き、猫は「…はいアッサム」とアッサム師の乾いた低い声で喋った。守衛はその声を聞き、また研究室で泊ったんだな、と思った。

 マキシムは興味津々で置物を見つめた。


「朝早くからすみません先生、その、先生を訪ねてきた…おいあんた名前は?」

「マキシム・ファルコンです!」


 元気よくマキシムが名乗ると、猫から何かゴトゴトと音が聞こえ、猫の目は再び閉じてしまった。マキシムと守衛は顔を見合わせる。守衛はまた怪しむ様子でマキシムを見ていた。


「アンタ、本当に先生の客か?」

「問題ありません。」


 守衛の質問に答えたのは、他でもないアッサム師だった。突然の出現に、マキシムは「あの時の魔法だ!」と胸を高鳴らせ、守衛は肝を潰した。


「こちらこそ、すみませんでした。帰りは自分が送りますので。」

「あ、はい!先生!じゃあその、よろしくお願いします!」


 アッサム師が守衛に軽く頭を下げると、守衛は恐縮したように慌てて深くお辞儀をした。アッサム師はマキシムを一瞥すると、「あの時」と同じように頭上に軽く手を挙げた。

 二人の姿は一瞬にしてその場から消えた。守衛は感嘆のため息をつく。


「いつ見てもありゃあ凄いな。」


 守衛は煙草を取り出し、火をつけた。煙草の煙が霧の中にゆらゆらと姿を消していった。





 気が付くと、マキシムは嗅いだことのない匂いのする部屋に立っていた。鼻の奥がくすぐられるような匂いだった。ふいに足元で小さく猫が鳴き、マキシムは思わず一歩下がった。


「本棚にぶつかると、崩れてくるから動くなよ。」


 アッサム師は机の前に気だるそうに座っていた。机の上は、本や紙が煩雑に詰まれ、羽ペンが何本も散らかっていた。お世辞にも整っているとは言い難い。アッサム師の机のわずかなスペースにカップが二つ置かれていた。カップからは湯気が立ち上っている。

 

「魔法ですか?」


 マキシムは何が、とは言わなかったが、アッサム師はマキシムの言いたいことに見当がついた。


「ああ。古い魔法でな。移動には便利なんだ。」


 ほう、とマキシムは感嘆のため息をついた。先日目を疑ったアッサム師の消える魔法。自分も体験してしまった。何てすごいのだろう。これならどこにでもすぐ行ける。今日乗った雲隠れ鉄道も不思議で素晴らしかったが、この人はもっとすごい。マキシムは弟がしきりにアッサム師を称える理由が分かった気がした。

 マキシムからキラキラとした目で見られ、アッサム師は居心地が悪そうに用意したカップに口をつけた。


「…よく魔法が使えない奴は勘違いするようだが、いいか。魔法は万能じゃない。さっきのだって制限はあるし、リスクも高い。」


 アッサム師は辟易した態度で言った。マキシムは「そうなんですか。」と素直に驚いてみせる。食い下がってこないマキシムに、アッサム師は毒気を抜かれた。とりあえず、紅茶を勧めると、青年は元気に礼を言いカップに手を伸ばした。

 フーフーと口をすぼめてカップの中の液体を冷ます筋肉隆々の青年を何とも言えない奇妙な気持ちで見ながら、アッサム師は「ところで」と話題を切り替えた。


「お前さん、どうしてここに?弟はどうしている?」


 アッサム師は家に来た時とは違い、大分砕けた話し方だった。成程、普段はこういう人なのだな、とマキシムはアッサム師の人となりと観察しながら口を開いた。


「朝から訪ねてすみません。」


 アッサム師はそれはもういい、と緩く頷く。


「聞けば弟は女の子に振られたと。でもそれがどうしてか分からんというのです。事実を知ることがあいつの心を軽くするのに役立つならば、と私が来ました。弟は家にいます。」

「成程…。ああ頭が痛い…。」


 沈痛な面持ちで額を押さえるアッサム師に、マキシムは「大丈夫ですか!?」と真剣に心配した。アッサム師は更にげんなりして適当に頷いた。小さな声で「こういうタイプか…」と零す。マキシムは不思議そうに首を傾げている。


「先生?私はその女の子に何があったのかを聞きたいのです。分かったらすぐに帰ります。」

「当人同士ならまだしも、その家族が出てくるとなると…余計にややこしくなるような気がするんだが…?それになあ…。」


 アッサム師は言葉を途中で切り、言おうか言うまいか逡巡した後に、一段声を抑えて「学内で妙な動きがあってな」と囁いた。マキシムも釣られて声を潜める。


「どういうことですか?それとガロと何か関係があるのですか?」

「関係が無いとは今のところ言えない。平たく言えば、狙われている。」


 思わず「え!?」と大声を上げたマキシムをアッサム師は睨んだ。マキシムは慌てて口を覆う。しかし心中は穏やかではない。弟が狙われているとは、一体。マキシムは咎めるようにアッサム師を見た。師はその視線に対して、小さくため息を零す。


「ガロの魔力がどういうものか、家族は知っているか?」


 マキシムは首を傾げた。


「それは、あいつがモノを浮かせたり、妖精と話ができたり、とかそういうことですか?」

「そういう認識か…。いいか、ガロは稀にみる魔力の持ち主だ。魔法を使う技術の話ではない。あいつの魔力は底無しだ。いや限界はあるんだろうが…。訓練でどうにかなるという次元じゃない。ああ、ピンと来ていないな?」


 マキシムの顔にははっきりと「どういうことかよく分からない」と書いてあった。理解できていない生徒の顔を読むことに長けているアッサム師はすぐに別の説明を考えた。


「例えば、人間が走ると疲れるな?その現象を【体力がない】と表現する。魔法を使うと、同じように疲れるんだ。そういう時は【魔力がない】と言う。だが、ガロはどれだけ長く魔法を使っても、大きな魔力を消費しても、一向に疲れないんだ。」

「成程!確かにあいつは魔法を使っている時は泣き言を言わないのに、薪割りのために自分の腕で斧を振ったりするときはすぐにへばる。薪三十本でもうだめです。千本くらいどうってことないのに!」


 「ねえ先生!」と同意を求められ、アッサム師はとても同意し難かったが、多少投げやりな感じで曖昧に頷いた。


「と、とにかく、ガロの魔力を狙う輩がいると私は思っている。まだ大きな動きは無いが、身内までも取り込もうとするかもしれない。皆まとめて家にいてくれるなら安心なんだ。」


 マキシムは深く考えた。―大変なことを知ってしまった。

 自分はただ、弟を振った女の子に「どうして?」と聞きに来ただけなのに、まさか弟の身が脅かされていようとは夢にも思わなかった。アッサム師は言外に何もするなと言っているが、聞いてしまったからには、何もせずに引っ込むなど、マキシムにはとてもできなかった。

 確かにガロは家にいる。しかし本当にそれで安全なのだろうか。家にいることが知れては、元も子もないのではないだろうか。


「そうか…!」


 何かを閃いた顔でマキシムは顔を上げた。差し込んできた朝日がマキシムを照らした。「先生!」とマキシムは毅然とした顔でアッサム師を見た。アッサム師は嫌な予感がした。


「私が、ガロの代わりになって学校に通います!」


 アッサム師は飲んでいた紅茶を噴き出しそうになったのを寸前のところで堪えた。

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