第3話 いざ、雲隠れ鉄道に乗って

 空は雲一つなかった。マキシムは懸命に駆けた。背中では斜めに括りつけた風呂敷が揺れている。

自宅から魔法学校は遥かかなた。まず、ターミナルのある街まで行くにはマキシムの足をもってしても全速力で丸一日かかる。ちなみに常人の足なら五日かかる。


 鶏が鳴くのが早いか、マキシムの「行ってきます」が早いか、とにかく青年は朝早くに家を出た。母親は「しっかりやれ」と激励し、父親は「気を付けるように、色々と!」と心配そうにしていた。肝心のガロはやはり申し訳なさそうな顔をしていたが、帰ってきたときよりも良い顔色をしていた。

 猛烈な勢いで走るマキシムの隣をしばしば鹿やウサギが並走した。マキシムはそのたびに彼らを優しくひと撫でした。



 街の目印、大きな歯車が見えてきた。マキシムは一度足を止め、流れる汗をぬぐった。明け方に家を出たが、日はもう落ちていた。

 暗闇の中、空には街の明りが漏れていた。それは煌々とした光ではなかったが、夜目の利くマキシムにとっては十分な明るさだった。


「今日は月も良く出ている。家の辺りはもう真っ暗だが、流石街だな。」


 まだまだ元気のある青年は、再び風を切って走り出した。




 異変に気が付いたのは、午後の紅茶を机に置いた時だった。

 アッサム師は広げたままにしておいた地図を見て眉を潜めた。先日ガロの自宅辺りを丸で囲ったが、今はその丸が内側から破られる形で一カ所途切れている。


「誰かが外に出た…?」


 すぐに浮かんだのはガロの顔だった。そろそろ新学期だ。家を出るには遅いくらいだが、そもそもアッサム師はガロの登校を期待していなかった。むしろ実家で十分心身を休めて欲しいと思っていた。学業のことなら何とでもしてやれるが、心のケアはアッサム師の手にも余るのである。それに今は学内でも不穏な動きが見られる。―できれば、ガロには家に居て欲しい。


 いずれにせよ、学校へ来るつもりならばアッサム師は待っている他ない。空間移動の魔法は、【人】ではなく【場所】に向かうもの。ガロに会おうにも、ガロの居る場所を把握していなくては使えない。

 アッサム師は難しい顔をして紅茶を飲んだ。




 街はまだ起きていた。レンガ造りの建物が立ち並び、窓からはカーテン越しに人の影が動くのが見える。


「生活の仕方が違う。」


 日が昇れば起きて、文字通り生活するために働く。そして日が落ちれば活動を終える。おそらくここに住む人々は自分で水を汲みに行ったりしなくてもいいし、誰が織ったのか分からないものを着て、誰が作ったのか分からないパンを食べているのだろう。

 こんな生き方もあるのか、とマキシムは街の明かりを新鮮な気持ちで眺めた。


 自分たちの生活との違いに思いを馳せ、一時林の空気を懐かしんだのも束の間、マキシムはすぐに気持ちを切り替え、ターミナルを探し始めた。建物の森は、どこを見ても同じように見えた。ひたすら【雲隠れ鉄道ターミナル】の文字を探すしかなかった。

 マキシムはガロを思った。二年前、十三歳の少年はここを歩いた。さぞ心細かっただろう。やはりあの子は大した子だ、とマキシムは兄貴心を奮い立たせた。


 いくつか角を曲がると、ひときわ強く光を放っている建物に辿り着いた。大きく【雲隠れ鉄道】と書いてある。マキシムは表情を明るくさせると、真っ直ぐに建物の中に入った。

 ターミナルの中は大きなホームがあり、切符売り場と改札の向こうには列車がいくつか停まっていた。もう夜だというのにホームには人がそれなりに居て、乗車の準備が整うのを待っていた。

 マキシムは人の多さと、彼らの活動時間の長さに驚いた。感心しながらターミナルの中を観察していると、職員であろうか、制服を着た人間に「お困りですか」と声をかけられた。迷っていると思われたのだろうか。

 マキシム自身に迷っているという自覚は無かったし、困ってもいなかったが、不案内な自分にはありがたいことだ、と思い親切な職員に向かって朗らかに笑った。


「国立魔法学校まで行きたいのですが。」

「畏まりました。」


 職員は丁寧に承ると、切符売り場までマキシムを案内し、売り場カウンターにいる別の職員に気さくに申し伝えた。


「はい。魔法学校ですね。まず、当ターミナルの三番線…あそこ、手前から三つ目ですね。そこから二時間先のコンコールというターミナルで一度降りて、次にプリュール行きに乗り換えてください。終点プリュールから魔法学校行きが出ています。」


 ―これは中々難しいぞ。というマキシムの気持ちを汲んだのか、職員は「大丈夫ですよ」と会釈をする。彼は切符を差し出しながら、記載されている乗り継ぎターミナルの名前を確認し「一番大事なのはコンコールで降りること」だと強調した。


「コンコールで乗り継いでしまえば、次は終点まで乗ったままですから!そうしたらあと一息です!それから、切符は絶対に肌身離さずいてくださいね!」


 マキシムは職員の言葉をしかと心に刻み、深く頷いた。


 職員たちに礼を言いホームに向かうと、すでに乗車の許可が下りていた。マキシムは早速乗り込んだ。中は外から見るよりも随分広く、マキシムのように体の大きな人間も窮屈に感じない程、座席の空間が確保されている。乗客はマキシムの他に、畏まった格好の男性が数名。それぞれ新聞を広げたり、時計を気にしたりと忙しそうにしていた。

 マキシムも適当な席に座った。座席は柔らかく、マキシムの体がクッションに沈む。一日中走った体を落ち着け、二時間後にはコンコールで必ず降りるという決意を固めると、発車の汽笛が鳴り響き、自動的に列車のドアが閉まった。


 ゆっくりと車輪が回り、列車は次第に動き始めた。マキシムは窓の外を見た。景色が段々と動いていく。見知らぬ世界に飛び込む、そんな気持ちがしてドキドキと胸が高鳴った。事実、テイハム高原から外に出たことのない青年の冒険が始まったのである。

 

 【雲隠れ鉄道】の線路は、独自のルートを開拓している。ホームの先に線路はなく、列車はホームを抜けると魔法を発動させる。通常では人が認識することのない空間へと入り、次のターミナルへと向かう仕組みだ。ちなみにこの技術は企業秘密である。

 魔法が使えない人間の願望と魔法が使える人間の努力の賜物であり、世界の輸送業界を激変させた超大作、それがこの【雲隠れ鉄道】だ。ホームから出ると姿を消すため【雲隠れ】の名を付けた、とされている。


 マキシムが現在乗っている列車も例外ではなく、間もなくして【雲隠れ】に入った。窓を見ていたマキシムは、窓の外が真っ白になってしまったことに落胆した。マキシムは代わりに耳を澄ませた。車輪が回る音、新聞紙をめくる音、時計針がカチカチと鳴る音、人の呼吸音、その他には何も聞こえなかった。

 次第に重くなってくる瞼に抗おうにも、退屈は否応にもマキシムを眠りへと引きずり込んだ。




 カンカンカンカンカン!!!!!


「何だ!?事故か!?」


 突然車両内に鳴り響いた盛大な鐘の音はマキシムの意識を無理矢理揺さぶった。驚いて飛び起き、周りを見回す。しかし乗客たちは皆平然としていた。それこそ、この騒音が聞こえていないかのように。

 今も煩い程鳴り響いている鐘の音に顔をしかめながら、マキシムは窓の外に大きく【もうすぐコンコール】という文字が表示されていることに気が付いた。従ってこの鐘の音も到着を知らせるためのものだと察しが付いた。

 マキシムは風呂敷を結び直すためにずっと握りしめていた切符を一度手放した。すると、カンカンと響いていた鐘の音が突然聞こえなくなった。マキシムは驚いて再び周りをキョロキョロと見回す。やはり他の乗客に異変は無かった。音はやはりマキシムにしか聞こえていないらしい。

 脇に置いた切符に視線を落とす。マキシムはこの仕組みに対して少々理解した。


 ―成程、「切符を肌身離さず」とはこのためか、と納得する。恐らく、身に着けていればこのように手荒な手段で確実に降りるべきタイミングを教えてくれるようになっているのだろう。

 それにしてももう少しどうにかならないか、と思いながらマキシムは切符には触れずに列車の到着を待った。



 コンコールの駅はもう深夜だというのに、人がごった返していた。マキシムは上背があるため周囲の状況が把握できたが、そうでなければ訳も分からずもみくちゃになっていただろう。ホームの案内に従って、マキシムは何とか目的の列車に乗り込むことができた。

 今度の車内は人でいっぱいだった。コンコールは大きな街のようだ。【眠らない街】だと父親から聞いたことがあったと思い出す。


 ―眠らないのでは辛かろう、と父の言葉を額面通りに受け取ったマキシムは哀れむ気持ちで他の乗客に席を譲り、立ったまま終点プリュールへと運ばれる決意をした。



 そんな決意とは裏腹に、終点へ向かう途中、人々はそれぞれ目的のターミナルで降りて行った。中には、先のマキシムと同じようにうたた寝していたところ、何かに驚いて飛び起きる客もいたが、周りの乗客は慣れっこなのか、特別気にもとめていないようだった。

 次々と客は降りてゆき、ついに乗客はマキシムだけになった。マキシムは寂しくなった車内でぽつんと座席に座っていた。しばらくすると、例の煩い鐘がカンカンと鳴り始めた。マキシムは切符を隣の座席に一旦そっと置いた。


 窓の外に景色が突然現れる。空間を抜けたようだ。マキシムは「おや」と思った。今までのターミナルもホームも屋内だったが、プリュールは屋外にホームがあるらしい。外は真っ暗で、雨の音がザアザアと聞こえていた。

 

 到着した列車は扉を開けた。外は悲しい程殺風景だった。簡単な造りの雨よけと、ベンチが三つ並んでいるだけだった。周りは何かの畑で、人の気配も動物の気配もしなかった。

 現在午前一時半。次の列車が来るまであと一時間はある。雲隠れ鉄道の利点は二十四時間運行していることだが、如何せん深夜帯は本数が少ない。

マキシムはどうしたものか、と迷ったがどうしようもないので仕方なく閑散とした寂しいターミナルの構内で待つことにした。


雨は飽きることなく降り続いていた。

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