第2話 大事なのは心身の健康
アッサム師が帰ってから、ファルコン家の興奮が落ち着くと、当事者を除く三人で早速家族会議が開かれた。
「先生はああ言ったが。そっとしておくしかないのかな。はあ…人に会わずに暮らしてきたからなあ…。人とうまくやれるか心配していたんだよ。」
「私たちにできることはしてあげたいけれど。どうしてあげたらいいのかも分からないわ。」
表情を厳しくする両親に、マキシムははっきりと宣言した。彼の中ですべきことは既に明白だった。
「私に任せてくれ。それとなく聞いてみる。何があったのか分からなくては、何もしようがない。」
長男の頼もしい言葉に、ネロリ夫人は力強く頷き同意を表した。グレイ氏は「それとなく、本当にそれとなくだぞ…?」と不安そうに念を押す。マキシムは自信に溢れた顔つきで、胸に手を当てて頷いた。
ガロは自室で小さくなっていた。口から漏れるのはため息ばかり。久しぶりの我が家に帰り安心したのも束の間、皆にどんな顔をしたらいいのか分からなかった。自分の将来を期待して送り出して貰った学校で、授業とは関係のないところで躓き、学業に支障が出てしまった。
こんなことではいけないと思いつつ、どうしたら良いのか分からなかったのだ。ガロが学校に入るまでの他人との関わりといえば、数年に一度会う親戚、数か月に一度会う行商人くらいのもので、どちらも共に長く過ごす相手ではない。
妖精たちはまだ良かった。彼らは自分の心の中をよく読むし、あちらも相当自分勝手だ。彼らのような存在は、在り方がそもそも違う。こちらが変に気を遣う必要は無いのである。
ガロは耳を澄ませた。アッサム師はもう帰ったのだろうか。心配して家に送ってくれるなんて、相当申し訳ないことをしてしまった。その上、早々に部屋に籠ってしまった自分をどう思っただろうか。ガロは自身の情けなさに項垂れた。
ガロが部屋の暗いところに身を潜め、鬱々と良くないことを考えていると、突然階段を駆け上がる大きな足音が聞こえた。ガロは顔を上げ、部屋の外に意識を向けた。
「ガロ!兄だ!」
マキシムだった。ガロはこの三つ上の兄を尊敬していた。自分とは違い、体も大きく心も広く。屈強な心身を持っている兄に憧れた。自分に魔力が備わっていると分かり、魔法学校への入学を決めたのも、違う方面から兄の様に強くなれるかもしれないと思ったからであった。
ドンドンと部屋の戸を叩く兄に、ガロは応じることができなかった。家先では嬉しさと懐かしさが溢れたが、既に冷静になっている。逃げ帰った同然の自分を、何と説明したらいいのか。兄に縋りたい気持ちと、恥じる気持ちに板挟みになり、ガロはその場に立ち尽くした。
―応答がない。
マキシムは丸太のような腕を組み、弟の部屋の前に仁王立ちしていた。確実にガロは部屋に居るが、声をかけても戸を叩いても返事がない。マキシムの心の中には焦りが生まれた。物事に動じない質であると自負しているマキシムだが、大事な弟の一大事とあっては平静ではいられなかった。
「ダメだ…どうしよう。ガロの奴、中でどうしているんだ。話もできないんじゃ、どうにもならないじゃないか。声も漏らさず一人で泣いていたら?可哀想じゃないか!ええい、一人にはしておけない!」
―ドアの向こうで何かブツブツと聞こえる。ガロはよく聞き取ろうと、ドアに近寄った。
「かくなる上は、ドアを突き破るしかない!」
ふいに聞こえた過激な独り言に、ガロは肝を潰した。咄嗟に「それはやめてほしい」と思った。慌ててガロはドアノブに手を伸ばす。そして―。
「ガロー!!!」
ガロが躊躇いなく開いたドアから、勢いをつけて体当たりしようとしていたマキシムが突っ込んできた。そのままマキシムはガロに突撃する。
果たしてガロは無事ではなかった。文字通り吹っ飛んだ。
そこにあるはずのドアが無くなり、マキシムは一瞬何が起こったのか分からなかった。ただ、弟のか細い悲鳴が聞こえただけである。
上の階から響いた大きな物音と衝撃で家全体が軋んだ。階下に居たマキシムとガロの両親は揃って天井を見上げた。グレイ氏が「何をやってるんだ…?」と椅子から腰を浮かせると、ネロリ夫人は落ち着いた声で夫を制した。
「マキシムが任せろと言ったんだから、任せればいいのよ。」
不幸中の幸いで、ガロは頭に小さなこぶができた程度で済んだ。しかしマキシムは必死に「大事な頭が!!」と喚いている。ガロは何とか兄を宥めた。自分で触ってみて、大したことはなさそうだと言うと、兄は「そうか…すまない」と項垂れた。
これではどちらが慰めに来たのか分からない、とガロは思った。何だかおかしくなって、ガロは小さく笑った。
「色々と、心配かけてごめんなさい、マキシム兄さん。」
「当たり前だろう。そんなことはいい、お前に何があったんだ?何ができるか分からんが、話してくれないか。」
ガロは少し俯いた後、勇気を出して口を開いた。
「…女の子に、振られたんだ…。」
マキシムは息を飲んだ。どうしたらいいのかと手を彷徨わせた挙句、ガロの両肩をガシッと掴んだ。
対するガロはスッと兄から視線を外した。その表情は儚く、病的な少女のような深刻さが伺えた。
―振られた??
人間関係の希薄なマキシムは当然、女子と関わったことも無い。動物ならば雌雄関係なく仲良くやっていくことができるが、人間に関しては弟の方がはるか先を進んでいた。マキシムは弟が何を言っているのか、自身の経験則に基づいて理解することができなかった。更なる情報が要る、とマキシムは前のめりになる。
「詳しく。さあ、兄に詳しく話してみろ。」
想像以上の食いつきを見せた兄に、ガロは内心困惑した。しかし兄の迫力はガロに続きを語らせるに十分な強さがあった。
「シンシアという女の子が学校に居て…。僕たちは仲良しだった、いや、僕は彼女のことが好きだった。彼女の方もそうだと思ってた。でも、どうしてか突然、『もう顔も見たくないわ!』って言われて…。」
マキシムの表情は次第に深刻なものになってゆく。目は見開かれ、自然と空いてしまった口を大きな手が覆った。
「僕、何が起こったのか分からなくて!…本当に嫌われてしまっていたらと考えると、怖くて、どうしたらいいのかも…。」
がっくりと項垂れるガロに、マキシムの腹の底から怒りが湧いてきた。
「シンシア!何という悪女!よくもうちの弟を!」
「やめてよ兄さん!彼女は悪くないのかもしれない!」
拳を握りしめて立ち上がった兄を引き留めるように、弟は兄のズボンを掴んだ。マキシムは健気な弟を見て「ガロ…」と落ち着きを取り戻した。弟はさめざめと泣く。
「意気地なしだったんだ…僕が…。」
部屋に静寂が訪れた。マキシムは弟を哀れみながらしばし見下ろした。
マキシムは考えた。弟は疲弊している。慣れない環境に一人で飛び込み、きっと今まで必死にやって来たはずだ。それが、この一度の挫折で心が折れようとしている。
「よし。」とマキシムのどっしりとした声が部屋に響いた。ガロは不思議そうに兄の顔を見た。マキシムは穏やかな笑顔で弟を安心させるように言った。
「私が、何があったか調べて来てやる。それだけでも、お前の心は軽くなるだろう。今は夏休みだから、明けるくらいに学校に行ってくる。お前は気にせず休んでいろ。先生もそう言っていた。」
ガロは兄の申し出に、簡単には頷けなかった。それを託してしまっては流石に情けなさと恥ずかしさに耐え兼ねると思った。
しかしマキシムはそんなガロの心の内を察したのか、言い聞かせるように優しく諭した。
「いいか、ガロ。挫けることは恥ずかしいことではない。誰だってあることだ。この私にも。本当に大事なのは、お前の心身の健康だ。よく今まで頑張った。それでもお前が気にすると言うなら、こうしよう。【私が】事実を知りたいんだ。だから行く。それでどうだ。これもまた真実。」
兄の言葉を聞き、しばらくガロはジッとしていた。迷っているようだった。マキシムが辛抱強く待っていると、ガロはわずかに頷いた。小さく鼻をすすると、消え入りそうな声で「ごめんね」と謝った。マキシムはガロの頭をぐしゃぐしゃと撫でた。
「頼ることもまた勇気!さあ、降りて行ってお菓子を食べよう。父さんも母さんもお前が帰ってくるのを待っていたんだ。」
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