体力お化けの兄は魔力お化けの弟のフリをする

@yokuu

第1話 夏休みに先生に連れられて帰って来た弟

 カラリと乾いた夏の風が吹いた。テイハム高原のよく伸びた草が波打つように風になびいてゆく。高原の西にあるヤン湖は二週間ぶりに降った雨で息を吹き返し、草木や生き物は生気を取り戻した。ヤン湖を北に進むと、小さな林がある。小動物や鹿が暮らすひっそりとした林だ。

 林の隣には丸太造りの家がぽつんと建っている。家畜用の小さな小屋では鶏が十羽に羊が五頭、それと兎が八羽飼われている。家の正面にある良く耕された畑には夏の野菜が実をつけ、ちょうど旬を迎えていた。何も植わっていないところにはひと月もすれば新しい種が撒かれるだろう。

 そうしたものと林から得られる恵みが、この家に住む家族のささやかな暮らしを支えているのだった。

 

 人里離れたこの家に、二つの影が近づいていた。強い日差しの下、足首まで隠れる長いローブを纏い、頭まですっぽりとフードを被っている。馬も連れていないのに、二人に疲れた様子は無かった。というのも、二人はほんの少し前、家の数メートル先に突然現れたのである。

 二人の来訪者は家の近くまで来た時、自然と足を止めた。庭先にいる人間に気が付いたからである。二人の内一人は、見慣れた風景にホッとし、もう一人は見慣れない光景に眉を寄せた。

 庭先にいたのは体の大きな青年だった。青年は五メートルはあろう長い竿のようなものをブンブンと振り回していた。竿には端からずらっとシャツやら靴下やらシーツが垂れ下がっている。青年が竿を振り回すのに従って、それらもバサバサと揺れていた。


「フンフン!今日も天気が素晴らしい!よく乾く!フン!」


 青年は汗だくになりながら、たくましい体から生える太い腕を懸命に動かしている。シャツ越しに筋肉が浮き出ているのが分かった。


「あれは何だ。」

「あれは兄さんが洗濯物を乾かしているところです。」


 極々当たり前に返ってきた答えに釈然としない様子で、片方の来訪者は初めて見る人間の行動を注視した。できれば関わりたくない、と直感的に思った。青年を兄さんと呼ぶもう片方は、眉を下げて懐かしそうに鍛え上げられた背中を眺めていた。

 二人の声に気が付いたのか、青年は振り返った。突然の珍しい訪問者に目をぱちくりとさせた後、何かに気が付くとパッと顔を輝かせた。そして空気をたっぷり吸うと大きな声で「―ガロ!!」と弟の名前を呼んだ。

 ガロはたまらなくなり、兄に向って駆け出した。フードが後ろに外れ、ハチミツ色の美しい髪が太陽にキラキラと輝いた。


「マキシム兄さん!」


 マキシムも思わず物干し竿を放り投げると、弟に向かって走り出した。

 ガロが13歳の時に国立魔法学校に入学して以来、兄弟実に二年ぶりの再会である。



 ガロに付き添ってきたのはガロの通う国立魔法学園の薬草学担当のアッサム師だった。入学時からガロの担任をしており、ガロが最も信頼する教師だ。アッサム師は不愛想ではあったが、非常に丁寧な言葉でガロの家族に挨拶した。

ガロの両親は息子の帰還を喜んだのも束の間、初めて会う魔法学校の教師と、ガロのしょんぼりした笑顔を見て胸に不安が過ぎった。

 家族はアッサム師を家に招待した。アッサム師はすんなりと受け入れた。丁度日差しがきついと思っていたところだった。

 ガロは気まずそうにマキシムの影に隠れるようにしていたが、家に入ると一直線に二階にある自分の部屋に向かい、そのまま出て来なくなってしまった。


「ガロ!どうしたんだ!兄が付いているぞ!!出ておいで!一緒にお菓子を食べよう!」


 マキシムはガロの部屋の扉の前であらゆる言葉を投げかけて誘い出そうとしたが、一向に返事は無かった。マキシムは弟の初めての態度にこれはいよいよ様子がおかしいぞと考えた。思えばさっきは駆け寄って来たから自分もそうしたが、二年離れていたとはいえ、そういうことをする子ではなかったはずだ。両親を尊敬し、兄を慕ってくれてはいるが、学校に送り出すときの別れでさえも控えめに手を振った程度だった。

 諦めて階段を下りたマキシムは待っていた両親とアッサム師に向かって、緩く首を横に振った。母親のネロリ・ファルコン夫人は心配そうに二階に目を向ける。


「非常にデリケートなことですから。本人の居心地が悪いのも分かります。このままお話させていただきます。」


 アッサム師は静かに生徒の家族を見た。マキシムは真っ直ぐにアッサム師の目を見つめた。


「ガロ君ですが、学校では非常に優秀な子です。ですが、夏休み前から…授業に出られなくなりまして。全寮制なので学校にはいますが。寮から出て来られないのです。」


 アッサム師の言葉に、家族は顔を見合わせた。皆で「え?」と眉を潜める。ネロリ夫人は恐る恐る、何が原因かをアッサム師に尋ねた。アッサム師は想定していた質問に、用意していた答えを返す。


「一言で申し上げると、人間関係です。」

「そう申しますと先生、ガロはお友達と喧嘩か何かを…?」


 アッサム師は眉間に皺を寄せ、考える素振りを見せた。ネロリ夫人は師を見つめ、父親のグレイ・ファルコン氏は目を閉じ、顔を天井に向けている。何かを悔いているような様子だった。


「しかしあいつは、林にあるキノコの輪っかに住んでいる何とかっていう精霊とは仲良くやっていたではないですか…。」

「それは人間じゃない!」


 マキシムが納得がいかない、という面持ちで誰となく訴えると、すかさず父親が横やりを入れた。加えてアレは精霊ではなく妖精だと注釈をつける。マキシムは父の言う精霊と妖精の違いが分からなかった。弟がソレらとやり取りをしているのを見て「存在している」ということだけは理解していたが、何度説明されても自分が実際に見えないものには実感が湧かなかったのである。

 他人と接する機会が少ない環境で暮らしてきたが故に、マキシムはガロが「何か」とコミュニケーションを取っていることを尊敬した。マキシム自身は介入することができなかったため、余計に特別なものに見えていた。ガロは自分以外とちゃんと関係を築くことができる奴なのにどうして、とマキシムは半ば憤る気持ちを抱かずにはいられなかった。

 ここでしか生きたことのないマキシムには人間とその「何か」との関わり方の違いがピンと来ていないのであった。


「父上は魔力がおありですか。」


 アッサム師は何気なくグレイ氏に尋ねた。グレイ氏は顔を明るくした。恐縮した様子で薄くはにかみながら答える。


「辛うじてという程度です。その、研究が生業でして。それでここで暮らしているのですが。先生とも是非お話がしたく…。」


 ゴホン!というネロリ夫人のわざとらしい大きな咳払いによって話の脱線はそこまでとなった。夫人はジロリと夫を睨むと、「それで」とアッサム師に続きを促した。


 アッサム師は何事もなかったように母親に向きあうと淡々と事情を説明した。塞ぎこんでしまったガロを心配して、一度実家に戻った方がいいと判断したこと。夏休みが明けても決して無理をさせてはならないこと。

 家族は真剣にアッサム師の言葉を聞いた。マキシムはずっと胸に疑問と不満が燻っていた。弟のためにどうしてやったら良いのか、話を聞きながら始終考えていた。


「何かあったら、すぐに知らせてください。」


 アッサム師は話し終えると、家族に頭を下げた。


「―監督不行き届きです。申し訳ありません。どうかよく休ませてあげてください。」

「そんな、先生…。」


 両親は慌ててアッサム師の頭を上げさせた。彼らは何度もお礼を言い、何かあればすぐに知らせると約束した。アッサム師は二人の言葉に頷くと、「では」と言って退出の意を表した。

 ―どうやって帰るのだろう。

 マキシムが思った時だった。

 アッサム師が小さく何かを唱え、頭上に軽く手を挙げると、次の瞬間既に彼はそこに居なかった。

 マキシムは人が突然消えた瞬間を初めて見た。驚きと感動に思わず声を上げ、アッサム師が居たところをブンブンと手を振ってみたり、どこかに隠れてはいないかとキョロキョロと辺りを探してみたりしたが、やはりアッサム師はどこにもいなかった。

 父親は高度な魔法を目の当たりにして興奮し、母親は純粋に驚いて目を瞬いていた。


 


 目を開けた瞬間、見慣れた部屋が目に映った。様々な薬品の匂いが部屋に充満していた。窓を開けて換気をすると、代わりに熱を含んだ空気が入って来た。アッサム師はローブを脱ぎ、乱暴に椅子の背にかけると、自身もドサッと腰を下ろす。一度大きく息を吸い、一気に吐き出した。心身に溜まった疲労を一緒に吐き出すように。

 アッサム師はおもむろに地図を取り出すと、羽ペンに魔力を込めて一カ所に丸で印をつけた。地図上には何も無いが、そこは確かに先ほど行ってきた家が位置する場所だった。


「―さて、どう出るか…。」


 静かな部屋の中に、遠くで鳴く鳥の声や騒めく木々の葉が風に揺れる音が届いた。

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