空
【西暦三〇二〇年 十二月 二十八日】
《策略の花、可也。修辞の花、可也。沈黙の花、可也。理解の花、可也。物真似の花、可也。放火の花、可也。われら常におのれの発したる一語一語に不抜の責任を持つ》
文字列をコピーアンドペーストで入力し、おれは小さく笑うようなため息を吐いた。
一〇〇年前始まった計画の結実であるこの航海の記録に、おれはこうして一〇〇〇年も前に死んだ小説家の訳を引用する。おれがこの作家の言葉を母国語として……旧い母国語として、読むことができるのはただの偶然なのだが、おれはそういう偶然が好きだ。
この船にはおれの他に一〇〇の人間が、一〇〇の母国語を持って乗り込んでいる。
というか、積載されている。
眠らされ、冷凍保存されて。
その人々を新天地に送り届けるための宇宙飛行士。それがおれだ。
計画史上百一人目の宇宙飛行士であり、この宇宙船に乗る百一人目の人間であり、唯一の『乗員』である者。
……といっても、実のところおれの役目はもう終わっている。
おれの役目は、こうして宇宙まで船が出た段階で終わっている。そもそも、おれも他の百人のように冷凍保存状態に入らなければ、寿命が目的地まで持たないのだから。
あとは、自動航行システムを信じるだけだ。
けれどまだ眠るには時間がある。
おれの寿命にはまだ余裕がある。
だからおれはこうして、航海記録をつけようと思う。例えばキリよく、一〇〇日間くらいのそれを。そうしておれは眠って……きっと体感としては一瞬先の、けれどはるか先の未来で、目を覚まして、この記録を読み返したい。そうなることを祈っている。
祈りながらおれは、引用文に続く文字列を入力する。
《あの日、空は叫ぶ一〇〇人分の顔だった……》
■■
【西暦三〇一八年 十二月 二十四日】
大体三〇〇〇年前に生まれたという神の子の生誕祭の、その前日、おあつらえ向きにも発掘現場から四機目となるロケットが届いたとの報告を受け、おれはその場に向かった。
自分が乗り込むことになる機体の、その一部。興味を惹かれないわけがなかった。先に発掘された三機は、計画に参画したときにはすでに解体されて部品になっていたから、それ以前の姿を資料でしか知らない。それは残念なことだったし、だから今回は、ひと目見ておこうとそう思った。
「君の母国、極東の《遺跡》から届いたものですよ」
到着したおれに開発主任はそう言った。母国などと言われてもこの地下世界に暮らす人間にとっては地下こそが生まれ育った場所であり、地表など数代前の先祖に遡っても直接見たことはない。
けれど開発主任の言うこともわからないわけではない。
放っておいたら消えてしまうもの……国、言葉、文化、歴史、そして何より、人類。
それらを《なんとかしてどこかへつなごう》という意思のもと進められる計画の中枢にいるおれたちには、きっとそういう会話が、感性が、求められていた。
だから返事をする。
ええ、不思議な縁を感じますよ、と。
■■
その時代を知らないおれが無責任にも想像するに、一五〇年前の戦争は人間という種の宿命だったのだろう。そうでなくては説明がつかない。地表の半分を、人の住める土地の殆どを焼いた戦争が、何かの利得や合理性に則っていたとは、流石に信じることができない。人類を地下に追いやり、焼け跡の《遺跡》と地下に残る僅かな資源で生き延びるしかないこの世界を作り上げた戦争に、一体どのような説明が、解釈が、可能なのだろう。
少なくとも、おれはどんな説明をされても受け入れない。
そういう形の、小さなプライドを抱えている。
そしてきっと、いつの時代の誰であれ、多かれ少なかれそんな気持ちを抱えていたのだろう。地下に追いやられた人類は、ただ滅びてやるつもりはなかった。
幽かにだが、まだ希望はあった。
それは戦争に先立つこと、更に一五〇年前。
人類の、火星への移住計画が進められていた。
■■
計画は極めてシンプルだ。
かつて進められていた火星への移住計画、すなわち
その上で、地表に残る《遺跡》から戦争以前の文明のロケットを発掘し、必要な部品を組み合わせて移住用のシャトルを作成する。
そして、載せられる限りの人間や、生存に必要な生物群を冷凍の上積載し、この星を脱出する。
■■
一五〇年。計画は失敗を続けて。
計画史上、一〇一人目の宇宙飛行士が、このおれなのだった。
■■
「二年後です」
届いた四機目のロケットを撫でながら、開発主任が言う。
「このロケットがあれば、二年後、私達のシャトルが飛びます……飛ばすのはあなたです」
「二年後ですか」
「余命みたいだと思いますか?」
「まあ、失敗続きの計画ですからね」
会話の内容とは裏腹に、二人揃ってひどく朗らかに笑う。
生まれたときからそういう風にできているように。
「でも、放っておいても死ぬだけですよ。おれたちは」
「ええ、そのとおりですね……必ず、生きてあなたを空に送りますよ。だから、あなたは、私達をその先へ連れて行ってください」
■■
【西暦三〇二〇年 十二月 二十四日】
「本当に二年ぴったりで仕上げてきましたね」
おれはシャトルの表面を撫でる。
発掘したロケット群をベースに組み上げられたスペースシャトルの側面には、SORAとの四文字がかつてあった。今はコーティングに覆われている……塗りつぶされている。そもそもその四文字もまた、それぞれ別のロケットに刻まれていたものだった。かき集められ、塗りつぶされたそれらは、けれど今、シャトルの名となっている。
空という名の宇宙船に、今夜、おれは乗り込むことになる。
「ええ、もちろん……もう少し欲しかったですか? 余命」
「ここから先は自分で伸ばしますよ」
「そうですか。それは頼もしい……おや、それは?」
「ああ、これですか?」
おれは右手に下げた包みを開いてみせる。
「花ですか」
「ええ、桜桃の花です。好きなんですよ」
「お守りか何かで」
「そうですね。母国の象徴のようなものだった、らしいです。せっかくだから、自分の手で連れてってやりたくて」
そう言って、掌の花に目を落とす。
本当は、この花を好きなのはおれではなくておれの好きな作家だ。いや、実はそれも誤りで、おれの好きな作家が好きなのはこの桜桃の花ではなく、桃の花だ。けれど、おれは桃の花も、そもそも《桃》も、見たことがない。この地下世界には、存在していないからだ。
話すには面倒な事情で、話しても仕方ない感傷だから、おれはそれを説明しなかった。
「なるほど……意外とロマンチストだったんですね」
「はは、そんなことはないです。慣れないことをしていますよ」
でも、
「慣れないことをしなきゃいけないんですよ。おれは」
■■
開発主任との会話からちょうど十二時間が経ち、おれはシャトルの操縦席へと座っていた。開発主任も含めた、おれ以外の乗員たちはすでに冷凍されている。一〇〇人分の命の、すべてがおれに託されている。
エンジンが点火される。
これがこの星に残る最後の火であるかのように、光と熱と音をばらまいて、炎の生む推力は《空》という名のシャトルを地から引き抜く。
空からさえも、引き抜かんとする。
ロケットで引き抜かれる空の断末魔が聞こえる。おれだけがそれを聞いている。
殺しそびれたと言うような、それが口惜しくて仕方ないとでも言うような怨みがましい振動と轟音が金切声のように耳を裂く。
抜かれた空、浮かぶ雲に人の顔を幻視する。
この空を抜けず死んでいった百人の先人の顔、知らないはずの彼らの顔に睨みつけられているような気がする。
そんな目で見ないでくれ。
誓うよ。おれたちは新天地にたどり着く。新天地に根を張り、生きて、やがてまた同じように村や街や国を築き、そして語り継ぐ。
空を抜いた、この日のことを。
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