引き抜かれた空が叫びを上げる

君足巳足@kimiterary

百頭草


《百頭国 桜桃紀 九八七年 十二の月 二十四の日》


空とは百頭草マンドラゴラであると神は言った。そのような神話がある国で生まれ、司祭を目指す僕は、齢一六、今のところその言葉の意味がわからずにいる。


マンドラゴラとは下記のような特徴を持つとされる植物だが実在しない。


・茎はなく、釣鐘状の花弁と赤い果実をつける。その根は人の形をしている

・引き抜くと、その根は悲鳴を上げる。

・その悲鳴を聞いたものは死亡、ないし発狂する、とされる。

・様々な薬効を持つ。精力剤、媚薬、または不老不死の薬の原料とさえ言われる。


繰り返すがそんな植物は実在しない。実在しないのだが、この国の神話においては空がこの植物に喩えられる。また、より旧い神話においては美の女神に献上されたとさえ言われる。


「……わからない」


教会裏手の木陰で聖書と睨み合いながらつぶやく。すると、背後から誰かが近づいてくる足音がした。


「あ、こんなとこにいたの。相変わらず隅っこと日陰が好きね」


失礼な台詞を吐く幼馴染の次の言葉を聞かずに、僕は立ち上がる。


「お父さんが呼んでたわよ」

「先生が呼んでるんだろ?」


言葉が重なり、へへ、と笑う彼女の顔に、見とれないよう目をそらす。

目線を合わせないまま、ありがとう、と言って、日陰を出た僕は教会に向かった。



■■



地面からなにかの根が逆さに生えているような姿の《百頭国教会》は、地理的にも、生活の上でも、この国のシンボルであり、中心だ。教会の入口に向かう道には桜桃の並木が続き、今は寒々しい道ではあるが、やがて春になればとてもきれいな花が咲き誇る。僕も毎年、それを楽しみにしている。


そしてここで働く人をまとめ上げる《司祭》たちの一人が、僕の先生だった。


先生といっても、学校の先生ではない。どちらかといえば役人と言うのが近いのだろう。忙しいはずなのに、無理な弟子入りのような形で押しかけた僕は、なぜか先生から様々な教えを直接受けている。


呼び出された理由はいつもの通り、殆ど雑用のようなものだった。言ってしまえば先生の部屋の掃除だ。けれど、その合間合間で、職務の書類と向かい合いながら先生は僕にいろいろなことを教えてくれる。歴史について。政治について。哲学について。数学や科学について。僕が学校で教わったことを伝えると、先生はそれを一〇倍にも一〇〇倍にもして返してくれる。


「君が来てくれて助かっているよ」


「それ、いつも聞いてますよ」


「はは、君はやる気があるから。いつもありがとうな」


なんでこんなに良くしてくれるのだろう、と僕が思うたび、おそらくそれが顔に出ているのか、先生はこんなことばかりを言う。


「娘にも見習ってほしいような……いや、あの子はあの子で、別に好きなものがちゃんとあるから、うん、これはわたしのわがままだな。だから君がいてくれて、私は嬉しいよ」


どうだろうか。僕より優秀な誰かを、先生ならいくらでも教えられそうだと思うのだけれど。


「ひとは好きなことをやるべきなんだよ」


そう言って笑う先生の顔は娘とよく似ているのだけど、しかし、先生から目をそらすつもりには、ぼくはならない。


「そういえば、あまり君をいいように使うなと娘に叱られたよ」


「はあ。あいつ、そんなこと言うんですか」


「そう。だからね、そろそろ君にちゃんと話しておこうかな。じつはね、君に掃除をさせているのは……言い訳なんだなあ」


「言い訳?」


「そう。言い訳はね、大事なんだよ。よその子供をなぜ部屋に入れるんですか? と聞かれたとする。君がなにもしていなかったら、どうかな」


「ああ、掃除人として呼んでいるんだ、って、言い訳するんですか」


「そう、そのとおり……だけれど、それだけじゃないんだ」


「え?」


「実は今した話はね、娘にした言い訳なんだな」


自分で面白くなってしまったらしく、先生は笑う。

今度の笑い方は、さほど娘に似てはいなかった。

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