第58話 愛すべき騒がしい日々1
結婚式までの1年間はあっという間だった。
シアはレーベルガルダ邸で週3日の花嫁修行という名のマナーレッスンや、貴族としての振る舞いを勉強したり、時折ひょっこりと現れるハロルディンがシアを街に連れ出してデートだとはしゃくたびに、鬼の形相のジズに連れ戻されていた。
ジズはかわらずクランで講師を続けつつ、ハロルディンからの仕事もうけ始めていた。
シアとは何日間か顔を合わせない日もできていたが、ソーニャには不在の時は話を通しているらしく、仲睦まじい恋人同士だ。
ベイデックのギルドマスターのスドラドが突然クランハウスにやって来て、大勢集めて昔の武勇伝を語り始めてどんちゃん騒ぎを起こし、ネリーに縄で簀巻きにされたりもした。
とはいえ実際に会うのは久々らしく、レーベルガルダ邸でお互い飲み潰れるまで語り尽くしたらしい。
他にもマイク改めマロウ改めな彼の画策で、シアの魔導師団詰所ツアーが開催されたが、あれこれ色々大変なことになった、とだけ言っておこう。
懲りずに第2段も考えているらしい。
「さあこれで支度はお仕舞いよ!」
先ほどまでテキパキと指示を出してシアを飾り付けてくれていたシスレー夫人は、鏡越しにシアににこりと笑いかけた。
「綺麗ねぇ、シアちゃん」
「何から何までありがとうございます、皆さんも」
支度を手伝ってくれたのは、シスレー家とレーベルガルダ家の女中たちだ。
「こちらこそ、こんな綺麗な花嫁のお手伝いができて感激よ!うちのモモリスもシアちゃんみたいな子を捕まえられると良いんだけど、まだまだ無理そうだしねえ」
それにしても、とシスレー夫人が改めて部屋の中をぐるりと見回す。
「まさかここで式を挙げるとはねぇ。まあレーベルガルダ公爵家の挙式ともなれば違和感はないけど」
「私は緊張して吐きそうです・・」
イシェナルには国教はない。
教徒が多いグリデール教ならば教会で挙式を挙げることもあるが、ほとんどの場合、国が管理する祭事用の建物で執り行う。
もちろん庶民用貴族用にわかれており、貴族用には家格ごとにも分かれていた。
当初は貴族用の中でも最高クラスのところでやるはずだった。それでも下見に行った時に煌めく内装に驚いたのに
「アグリアがね、ネリーの娘ならここでやれって」
王命じゃしかたないなー、とにこやかなハロルディンにひと月前に手を引かれてつれてこられたのが、今いる場所。
国家規模の催事や賓客を招いて行う、特別な祭事の時に使用される『深淵の離宮』
魔法大国での魔法の叡智の粋を極めたこの離宮は、その用途に応じて内装が魔術仕掛けでがらりと変わるらしい。
「まるで絵本の中の深い森に来たみたいねぇ。どんな術式が組まれているのか、私にはさっぱりだわ」
シスレー夫人の言葉どおり、シアたちがいる控えの間は、壁や天井のあちこちに蔦や樹木が絡まり合うように生えている。その木々は宝石で出来ているような透明感をもち、窓から差し込む光にきらりきらりと美しい。下見に来たときは只の白い壁の部屋だったのが嘘のようだ。
「昨日、広間を確認したんですけど、あっちはもっとすごかったです」
「残念だけど、昨日より凄い事になってるわよシア」
それまで黙って椅子に座ってみていたネリーが立ち上がると、礼をしてシスレー夫人たちは壁際に下がる。
「私とヴォルクで魔術足したからね。見てのお楽しみってやつね」
「楽しむ余裕なんてないですよー、もぉぉ」
はいこれ、と小さな小箱をシアに渡す。
「私たち魔女からの祝福石よ。小指につける指輪なら邪魔にならないでしょ」
白虹色の石は、光をうけると色々な色に輝いて見える、ネリーの色だ。ぐっと涙が出そうになるのをこらえネリーに顔を向けると、貸しな、とつけてくれる。
「喚べばアタシら誰かに繋がるからね。あいつの嫁に出してやるけど、くれてやった訳じゃないからね。困ったらいつでも喚びな」
「師匠・・・ありがとう」
「ほら、化粧がとれるから泣くんじゃないよ。アタシが怒られるだろ?」
今日は擬態をせず、全身真っ白なネリーに、はじめはシスレー夫人たちもひどく驚いていたが、中身はいつものネリーだと、シアとの様子を微笑ましく見ていた。
コンコンコン、とノックの音が響く。
女中に導かれ入ってきたのは正装したジズだ。
ジズは大きく目を見開いたあと、くしゃりと笑みを浮かべた。
「シア・・・・・すごく、綺麗だ」
光沢のある白地に金糸で繊細な刺繍が施されたドレスは、シアの動きに合わせて刺繍の模様が浮き上がるようになっていた。
ネリーがどうしてもと入れたこの模様は魔女に伝わる、古い祝福の紋様だ。
シンプルなデザインのドレスは余分な装飾がない代わりに、オフショルダーの肩下から肘まで裾がひらくようにふんだんにレースがあしらわれ、ドレスの後ろ裾とウエストから垂らされたリボンが驚くほど長い。
ふわりと片側に寄せた髪で露になった首には今日ばかりはリボンがなく、レーベルガルダ家に伝わる繊細なデザインの美しいネックレスがつけられていた。
「どっかのお姫様みたいだな」
「・・・・ありがとう。ジズも王子様みたいよ。
あのね、えっと・・・っ」
会場までの付き添いをしてくれるジズに、これまでの感謝とか色々と伝えたいことが沢山あったのだ。けれど、言葉を紡いだとたんに泣いてしまいそうで、胸がぐっと詰まる。
「なんて顔してんだよ。今までもこれからも、俺たちはなんも変わんねぇだろ」
椅子に座ったままうつむいたシアの顔を、膝まずいたジズが下から掬い上げる。
「俺らの周りがどんなに変わっても、俺らの関係性の名前が変わっても、今まで積み上げてきたものがなくなるわけじゃねぇだろ」
「・・・うん、うん」
「今日はシアが幸せだって、もっと幸せになるんだってみんなにお披露目する日だろ。こんなに綺麗なんだ、笑ってろって」
「うん、ジズ。ずっと大切でずっと大好きよ」
それでもぽろりと涙を落としたシアを、仕方ねぇなとそっと抱き上げる。
「あー、悪いけど化粧道具もって入り口ぎりぎりまで来て貰ってもいいか?」
唖然としている女中に話しかけると、なんじゃそりゃ!とネリーが怒り始めた。
「アタシよりも感極まってる感じなの、ムカつくんだけど!」
「知るかよ。ほらもう時間だから行くぞ」
アタシが変わる、うるせぇとシアを抱き上げたまま移動していく様子を見ていたひとりが、既に花嫁の取り合いですね、とぽつりと呟いた。
「あらあらあら、本当にモテモテなのね。うちのモモちゃんなんて全然入り込む隙ないじゃない、ねえ?」
シスレー夫人を迎えに来たものの、声を掛けるタイミングを逃したまま固まっていたモモリスが、夫人の呼び掛けに、入り込みませんよ!と焦っている。
「そぉお?さて!私たちも急いで行かなくちゃ」
挙式は両家の代表者が挨拶をし、新郎が参加者を証人として婚姻の誓いを立て、新婦が返答をするのが一連の流れだ。
入り口の扉の前でシアを下ろしたジズは、手早く化粧直しをさせると、もう一度頬に手を添えて上を向かせた。
「笑ってろ、シア」
額に軽く唇を寄せたジズに今度はふわりと笑い掛けると、安心したように笑って手を離した。
ジズが開けてくれた扉をくぐると、白い小さな花びらがほわっと舞った。
広間は圧巻の一言に尽きた。
複雑に絡まり合う樹木に色を添える果樹。どこからやってくるのか、ひらひらと花びらも落ちてくるのだ。
光を灯すのはぽわりと浮いたランタンと、窓から差し込む陽光が宝石質な樹木の間を抜け、色のついた木漏れ日のようにやさしく辺りを包み込んでいた。
シアが立つのは部屋の中から伸びる階段の上だ。階段は途中で左右に分かれており、反対側にはヴォルクがいるはずだ。
だが扉の前から足を踏み出せずにいた。
厳選された招待客だけとはいえ、見下ろす広間には大勢の人。しかも王であるアグリアを筆頭に、国の重鎮たちがほとんどで、今は一様にシアを見上げていた。
緊張で足がすくむ。
(怯まない。これからの私たちに必要な一歩なのだから)
意識して笑顔を作り、お腹に力を入れる。
「シア」
声にはっと下を見ると、ヴォルクが既に階段の合流する踊り場に降りてきており、まだ階段の上にいるシアに手を伸ばした。
艶のある灰白に黒と金の装飾が華やかな衣装は、ヴォルクの秀麗な美貌を引き立てるばかりで、緊張を忘れて思わず見惚れたシアは、階段に踏み出した足が縺れてしまった。
わっ、と声が上がったのは階下からか。
傾いだ体に声を上げる間もなく、気がつけばヴォルクの腕の中だ。
「ヴォ、ヴォルク・・・」
「飛び込んで来てくれるのは大歓迎だが、階段の上からは感心しない」
「ちがっ」
そのまま階下にむけてヴォルクが礼をとると拍手で迎えられ、赤い顔のシアを抱えたまま会場へと降りていった。
「その場にいたかった!!」
「こっちは冷や汗かいたんだぞ、ソーニャ」
「それにしても深淵の離宮に入れるなんて思わなかったわよー、ね?レッカス」
「そうですね、ラナイさん。幹部のみとはいえ、クランメンバーを招いてくれるなんてありがたいことです」
午前中の挙式を終え、昼過ぎからは離宮の庭で挙式には呼べなかった友人を招いている。本来、庭であっても庶民を招くのは難しい場所なのだが、ハロルディンからは余所でやるより安全だからと、むしろここに呼ぶのを勧められたのだ。とはいえ、クランメンバーと魔導師団関係者しかほぼいないのだが。
「今日のシアさんとヴォルクさん、眩しい感じっすよね」
「あははははトーヤ君、シアちゃんはともかく腹黒い副長は気のせいだよー」
「まあまあ。2人とも幸せそうで何よりですな」
少しはなれた場所でカーリング団長とハロルディン、ネリーと話しているシアたちを誰もが微笑ましく見ていた。そして、当然のようにシアの腰にはべったりとヴォルクの腕がまわっている。
「あいつもう、シアを離す気ないぜ」
「名実ともに手に入れたンすから良いんじゃないんすか?」
「首のリボンが首輪になるのではないか?はは、いや冗談だ、冗談」
「・・・・モモリスさん、笑えねぇよ」
「聞かなかったことにしたいっす・・・」
ふと翳った空を見上げると、白い大きな竜と中型の飛竜、魔鳥がくるくると旋回している。
ジズは婚約式でも見ているので2度目だが、魔女の従魔がシアにむけて降らせる花びらの雨に、歓声が上がる。
「また目立つことしやがって。あいつら」
「ん?他にも何か来ましたね」
警備兼、参加者のハーバードがそう呟くと、何か大きな質量のものがずん、と着地をした。
「うげ、犬っころまできやがった」
シアが丁寧に礼をとるのは二つ尾の狼精霊だ。狼は威嚇するヴォルクをものともせず、シアの頬と手首付近に鼻先を寄せた。
何を話しているのかまではここからではわからないが、シアは宝珠を持っている。祝福を与えているのだろう。
「あれは何者ですか?み、見たことない!」
わざわざ皆にも見えるよう実体化しているのは、牽制のためか。面白がってのことか。
「上位精霊でしょう。ジズ君、もしや森の主ですかな?」
興味津々のバースの質問に応えたジョナムにこくりと頷く。
「ここだけの話、海の上位からも宝珠を与えられています」
「なるほどなるほど。ヴォルク君が必死になるわけですね。おや」
今度は何事だとシアを注視すると、ヴォルクに耳打ちをした後、唄を詠みあげはじめた。
「わわ!すっごいすっごい!!」
光の雨が降るようだった。
優しく温かなちいさなひかりがほわりほわりと、参加者に降り注ぐ。
「何か胸がほんわりするわね」
「副長が広範囲に広がるよう調節してるみたいですよ。この場にいる皆に行き届いたんじゃないですかね?」
ラナイはうっとりしながら胸を押さえており、その姿をジョナムがにこやかに見ていた。
「シア嬢から我々へ祝福のおすそわけですかな」
「ジズぅぅぅ。わだっわだじもぅ感激じでぇ」
こちらもこちらで大変なことになっているソーニャをそっと抱き寄せたジズは、シアたちに再び視線を戻す。
苦笑ではあるが、珍しく人前で笑みを浮かべるヴォルクが、晴れやかな笑顔のシアに手を引かれこちらにやってくるようだ。
こちらに手を振りながら、小走りでやってくる途中で案の定つまづき、ヴォルクに横抱きにされてしまったシアを、皆が祝福と共に、にこやかに迎えたのだった。
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