第56話 海の唄歌い5


太陽が傾き始める頃、普段は漁が終わると静かな港には大勢の人が詰めかけていた。

小さな子供から老人まで。皆、詳しいことは分からず、それでも領主の、領主の娘の呼び掛けということで、何が始まるのかとざわめいていた。


その人混みの中で、細長い紙を配っているトーヤは、声を張り上げてもっていない人がいないか確認をしていた。


「お兄ちゃん、これなあに?」

「これから使う、とっても大事なもんだ。なくすなよ」


不思議そうに尋ねてきた小さな子に合わせて屈んでそう言うと、くしゃりと頭を撫でた。


「あ、お船にベルリアナ様が乗ってるよ、まま!」

「まあ、なんてお美しいの!」



大きめの漁船に乗って港に入ってきたベルリアナは 、豊かな藍色の髪をそのままおろし、白いシンプルなドレスに身を包んでいた。


ゆっくりと進んだ船は港の中ほどまでくるとぴたりと止まり、そのまま波に揺蕩った。

いつのまにか静まり返り、食い入るように見ている大勢の人にベルリアナは微笑み、片手を上げた。


「急な申し出にも関わらず、こんなに沢山のかたに来ていただけて嬉しいわ、本当にありがとう。皆が心配していた事件は、イシェナルの魔導師団が無事に解決してくださいました。そこで、姉のアリアナから提案があったのです」


海上の船から岸までは大分離れているが、明瞭に響くベルリアナの言葉を誰も不思議とは思わず聞き入っている。


「残念ながら還らぬ人となった者を悼み、心安らかにと祈りましょうと。そして、全てを包み、見守り、与えてくれる海へ感謝をしましょうと」


ベルリアナが細長い紙を手に持ち、額に当て祈る仕草をするとぽわりと優しい光が灯った。

おおっ、とどよめく岸の町民に見えるように光を掲げる。


「母なる海へと還り、やすらかなれ」

光を海に沈めると、海中で大きく光瞬いた。


「さあ、皆もその手にもつ紙に祈りを込め海へと沈めるのです」


ベルリアナの呼び掛けにひとり、ふたりと恐る恐る額にあてた紙が光をともすと、あちこちから感嘆の声が上がり、いつの間にか港の海は沈められた紙であちこちが光が灯り、ベルリアナの船の先までまるで海の中で星が瞬いているようだった。


夕焼けに赤く染まる海は光輝くようで、誰もがその光景に魅入っていると、夕陽を背負うようにゆらり、と光のベールがたちのぼった。

何処からともなく、うっとりするような歌声が響く。


『清浄なる心を確かに受け取りました。約束を違えず、歪みを正し、健やかでありなさい。いつでも見守っています』


「感謝いたします」

ベルリアナが深く頭を垂れると、ふっと光が消えた。



一拍後わぁ!!っと歓声があがる。

気がつけば夕陽も沈み、あたりは夕闇に包まれ始めていた。






「お疲れっす、シアさん!」

「すごぉくすごぉく綺麗だったわぁ!あんなに綺麗なもの見れるなんて、長生きするものねぇ。それにしても、妹ちゃんはこっちに来ちゃってよかったのお?」


海での祭事のあと、興奮冷めやらぬ民は、お祭り騒ぎとなったようだが、主役であるはずのベルリアナはシアたちと共にパウラの宿に来ていた。


「あのまま質問責めにあったらボロが出ますもの。それより、みなさん本当にありがとうございました」

「ふふ、どういたしまして。でもあそこまでうまくいったのは、ベルリアナさんが堂々と振る舞ってくれたからですよ」


「あの、お体つらそうですけれど大丈夫ですの?」

「問題ない。シア、腕を出せ」


何故か代わりに答えたヴォルクが抱き抱えたシアの腕をとり、それまで加工していたバングルをかちりとはめた。


「あらぁ、綺麗ねぇ」

碧の宝玉の隣に1つ増やされた深い藍色の石。


「森と海からもらっちゃうなんて、シアちゃんてばモテモテねえ」

「・・・・副産物です」


頭上からのため息に、助けを求めるようにジズを見ると、こちらにはびっとおでこを弾かれた。

「そんなになるまで力を使うからだ、アホ」

「ジズまでひどい」


とはいえ、ヴォルクに後ろから抱き抱えられてようやく椅子に座っているシアに言い返す言葉はないのだ。


「あんなに衆目の中だったってのに、シアさんには誰も気づかないのもすごいっすね」

「ヴォルクに遮蔽かけてもらったからだよ、トーヤも色々奔走してくれてありがとね」


実はベリルアナのいた船にシアも乗っていたのだ。ジズと師団員に作ってもらった術符は、額につける、祈りを込めるという条件下で光を灯すようになっており、それに合わせて船では箱の中の氷を溶かして遺体から声を海に返しつつ、シアは港から洞までの全体浄化を行ったのだ。


シアの精霊術に反応してぽわぽわと海中の精霊が光り、あたかも町民たちが沈めた術符が海に広がり光を灯しているように見えたのだ。



高位精霊が皆にも聞こえるように言葉を発したのは予想外だったが、実は内容としてはシアへの語りかけだ。

光が消え、岸からは一見姿を消したようであった精霊はそのままシアの側に近づくと


『久々に面白い余興であったよ。森のに先を越されたのは面白くないが、どれ、私もくれてやろう』

と、ぽい、と渡されたのがバングルに増えた宝玉だ。


大がかりな精霊術をつかったのでヘトヘトだったシアに断る余裕などなく、隣に控えていたヴォルクもちっと舌打ちをしたにとどまっている。




「町民は大興奮だったっす。妹さんはもちろん、発案者のお姉さんのほうも大絶賛してたっすよ」

「みんな、不安そうな暗い顔に笑顔が戻ったのが何よりですわ。けれど、この祭事を次は私ひとりでやれといわれても、出来るかどうか・・・」

「ひとりでは、ないんじゃないかな。ベルリアナさん、確認したいのだけど、以前から船に乗り込んだり町に降りてきてたのも、お姉さんと時々入れ替わっていたでしょう?」


なぜそれを、と目を丸くした妹に苦笑いを返す。

「トーヤが町の人たちから聞いた話だと、ベルリアナさんに不思議な力を使って助けてもらった人がけっこういたの。でも他人に力を行使できる力があるのはアリアナさんでしょう?」

「目の色がちょこっと違うのよーなんつってた人もいたっすよ。公然の秘密ってやつっすか?」


違うわ、みんな知ってたのね、とベルリアナか乾いた笑みをこぼす。

「姉が姉として町に出ていた頃、精霊の加護だ、女神の力だと皆に盛り立てられているのを見て、私が酷く落ち込んでしまったのです。私には特別な力も、姉のような賢さもありませんでしたから」



時々入れ換わりっこしましょう、と提案したのはアリアナだ。見た目がほとんど同じだからこそ、服装を派手にしただけで皆がベルリアナだと信じた。


「あの頃は姉も今日のような精霊への狂信的な態度はなくて、茶目っ気もある優しい姉だったんです。・・いつから、どこから変わってしまったのでしょう」


そして、自分も結局は、姉さえももっていない自分だけの力がほしくて、他人のものに手を伸ばしてしまった。頼んだ男から、唄歌いを本気で好きになったと報告されて初めて、恋心を利用しようとした愚かさを反省したのだ。



顔を覆ってしまった妹の肩をパウラがポンポンと優しく叩く。

「きっと今はお姉さんも悪い夢を見てるのよぉ。大丈夫、そう遠くなく元に戻るわよ。ねぇ、副師団長さま?」


意味ありげにヴォルクを見たパウラに、面倒臭そうにしつつも「ああ」と返す様子をシアはにこにこと見ると

「ね?ここにも協力者がいるでしょう」とパウラを目で示した。


「あらぁ、私が参加してもいいのぉ?」

「魔女であるパウラさんも、ギルドのかたも。元気になったお姉さんも。みんなでやる祭事です」

「あ、あり、ありがとうございます」


最初の気の強い印象はわざとそうしていたのか、ほろほろと涙を流しながら謙虚に頭を下げ、迎えに来た家人に引き取られていった。




「まー、なんだ。ド派手に丸くおさめたなぁ」


疲れてヘロヘロのシアを抱き上げてヴォルクが部屋に戻ったあと、すぐ隣のテーブルで酒を呑んでいた、日に焼けたがたいのいい男がジズに話しかけた。


「スドラドさんも協力ありがとうございました、ってシアからの伝言です。至れり尽くせりありがとう、だと」

「がははは!なんだパウラ、やっぱりあのお嬢ちゃん全部分かってたんじゃねぇの」


ジョッキの発泡酒をぐーっと飲み干すと、パウラに烏賊の足を向けた。


「もう!ギルドマスターの威厳台無しよぉ!シアちゃんには私たちが手助けしてること、すぐにバレちゃうと思って隠す気なかったもの!」

「まぁなぁ。うちのギルドで手付かずの依頼ってのもおかしな話だしな」



初日にギルドで依頼受理をしに行ったときに、わざわざマスターであるスドラドが出て来て手続きをした。その間、きょろきょろとギルド内を見ていたシアが「師匠め、おじ様め」とぼそりと呟いていたので、洞窟の道すがらで確認したのだ。


ギルド内にはパッと見でも事件に対応できる術者がいること。事件の依頼が掲示されておらず、明らかにマスター止まりになっていること。


ものすごく御膳立てされてる気がする、と口を尖らせたシアを宥めたのだが、向かった洞窟で精霊からの依頼も受けた。


「さすがにシアじゃなくても拗ねたくなるって。ヴォルクひとりでも過剰戦力で、ネリーからは初海外を楽しむついでだとは言われてるけどな、こうもカードを提示されちゃ鼻白むって」

「海の精霊からの贈り物も、想定内ってことっすか?」

「アホ。ありゃ立派な想定外だ」



おかわりをしたジョッキを呑み干したスドラドは、いいじゃねえのと満面の笑みだ。


「あのネリーの名継ぎっつうからどんなのがくるかと思ったら、すっげぇ可愛い子だしな。連れてる番犬はおっかねぇけどな!ただよ、あんな祭事をその日の内にやっちまうとは驚きだな。術符用意したお前らもだけど、広域浄化なんて俺でも初めて見たわ」

「内緒にしてあげてねぇ」

「町民への呼び掛けとかは大分ギルドの協力があったからだろ」


「発想力も行動力もあって、実現できる力もあるんだ。おい、ジズっつったか。国に紐付けられないように気ぃつけてやんな」


ぐっと顔をよせたスドラドを両手で押しやる。

「あの狸が溺愛してっからな、問題ねぇよ」

「ハロルが?まじか!」


近々そっちに遊びに行くかな、と嘯くスドラドは真っ赤な顔をして探しに駆け込んできたギルドの事務員に連れ戻されていった。


「君たちもホントにお疲れ様ぁ。今日は私の奢りにしておくから沢山食べてねぇ」

「まじっすか!!」

「パウラさんもありがとうございました。ご馳走になります」

「いいのよぉ、明日から少しは遊んで帰るんでしょぉ?」


席を立ったパウラに曖昧に笑っておく。


「俺らの予定ってか、シアさん次第ってか、ヴォルクさん次第っすよね?」

「わかってても口にすんな」

「へい!今夜は呑みましょう!すいまっせーん!」


予定の日程はあと2日余裕がある。

ジズはソーニャへのお土産を考えつつ、冷えた発泡酒に口をつけた。


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