第54話 海の唄歌い3
漁港から少し離れた岩場に来ると、波しぶきが当たる岩の上に海を囲むように等間隔で術符を置いていく。
離れたところにいるヴォルクに合図を送ると、一瞬で術符が岩に燃え付き、ぐわんと音が揺れた。
上を見るとシャボン玉のような膜が張られており、陽光にあたってゆぅらりと光が揺れている。
膜の外から心配そうに様子を見ているヴォルクとジズに笑いかけると、シアは借り物の魔導師団のマントを脱いでワンピース一枚と裸足になり、波打ち際に立った。手には大きな2枚貝。
再現したのは昨日訪れた日の出の洞窟だ。
海の力が溜まり漂い帰る場所。
「はじめます」
大きく深呼吸して精霊唄を詠む。唄歌いは喚べずとも、同じ階位の精霊が呼び掛けに応え、手助けしてくれれば心強い。
唄に合わせて、ジズが作ってくれた擬態用術符を添付した貝を海水に浸し、唄を浸透させていく。
手の中の貝が温かみを持ちはじめた頃、足元の波がすっっと引いた。
『森の娘が何用かね』
頭を垂れ敬意を表したが、その首裏にかかる圧が重たい。
・・・・大物釣り上げちゃったかも
シアは自己紹介ののち、唄歌いの件で精霊たちに頼まれ事をしたこと、応急措置として擬態させた唄を渡すことを伝え、貝を捧げ見せると空気が震えた。
『ふっふっふ。面白いことを考え付いたね。紛い物とわかっていても、唄歌いの心の拠り所にはなるだろうから、ありがたいさ』
「本日、日没までには本来の歌声をお返しします。それまでどうかお待ちいただきたいのです」
『これ以上みだりに人死をだしては穢れが溜まるからね、いいよ了承しよう』
ふと頬をくすぐるように湿った風が撫でた。
『ふふふ。また唄を捧げてくれるなら、ひとつ手助けをしてあげよう。高台の地下に海に続く洞がある。そこの淀みを浄化しておいで』
返事をする前に情報を与えられてしまっては条件を呑むしかない。
精霊への最敬礼をすると、唐突に圧が消えた。
ぐにゃりと力の抜けた体が崩れ落ちるより先にヴォルクに抱き上げられ、ジズが顔を覗き込んできた。
「なんでまた上位ばっかり喚ぶんだよ」
「・・・不可抗力です」
「だから適当にやれといったんだ」
・・・そんな無茶な
手の中の貝は精霊が持っていってくれたらしく、いつの間にか消えていた。
「ヴォルク、この辺で高台って」
「領主館だな。あとはうちの団員に任せてもいいぞ?」
「助言を貰った本人が退場するわけいかないもの、あいてっ」
「ったく、損な性格だな」
ジズに弾かれたおでこを押さえていると、赤茶の式鳥が飛んできてジズの指にひらりと留まった。
『ジズさん、トーヤっす。町での聞き込みじゃ、もともとは姉のほうが女神だと言われてたみたいっす。いつからか滅多に人前にでなくなり、かわりに妹が派手に立ち回ってたみたいっすね。ちなみに行方不明になった婚約者は随分足しげく通って来てたらしいっすよ。また連絡します』
トーヤの式鳥は一応声での伝言も出来るようだが、時々不鮮明になる音のサポートとしてか、手紙としても読めるようになっていた。
普段の話し声と大差ないジズや会話の出来るヴォルクの式鳥に慣れてしまっているが、ある程度の魔力持ちでもトーヤの式鳥のような形状が当たり前だ。
トーヤにこれからの予定を式鳥で飛ばしたジズが
「じゃ、俺らは高台の洞とやらにいくか」と歩きだそうとしたのをヴォルクが制した。
「ジズ待て。うちの団員が魔力の淀みが酷い場所として、その洞を調査したようだ」
「なんかあったのか?」
ヴォルクはちらりとシアの顔を見、僅かに思案したが「どんな内容でもちゃんと共有して」とシアに促され話し出した。
「実験のようなものが行われていた形跡があり、木箱に入れられた男の死体が複数体あったそうだ。
どれも折り畳まれて氷付けになっているらしい。今は隔離結界で覆い、洞の入り口に戻って待機中だ」
ヴォルクは式鳥を同時に2羽飛び立たせた。
「死体は唄歌いの声もちかもしれん。シア、俺たちは領主館にいくぞ」
「んじゃ俺は海側の洞の周辺を見てくるか。シア、あんま頑張り過ぎんなよ」
「気を付けてねジズ」
転移でとんだ先は領主館の目の前で、突然現れたシアたち2人に門番が悲鳴をあげてひっくり返った。
「な、な、な、な、どどどこから」
「驚かせてごめんなさい!あ、ちょっとヴォルク」
「まま魔導師団の!!」
何事もないようにシアの手を引いて門の中に入っていくヴォルクを見て、門番は腰が抜けた格好のまま、お疲れ様ですと律儀に頭を下げた。
「領主には訪問のふれを出したから問題ない」
「ついさっきでしょ、むしろ私達のほうが早いんじゃ・・・って、ほら!」
ちょうど館の中に飛んできて入った式鳥を指差してヴォルクを咎めると、ニヤリと笑った。
「逃亡や隠蔽されても面倒だからな。・・来たな」
館のほうに目を向けると艶やかな青いドレスを翻して走ってくる満面な笑顔の女性が見えた。
「あれが派手なほうだな」
「妹さんね。ベルリアナさんだったっけ?」
「知らん」
「・・・・・ヴォルク」
ピタリと身を寄せ小声でやり取りをする2人の親密な様子に、目の前まで来た妹が眉をひそめる。
「ごきげんよう、レーベルガルダ様。そのご様子だと私に会いにきてくれたのではないのですね?・・・・そちらのかたは?」
「うちの協力者だ。シア」
「初めて御目にかかります。シア=カルステッドと申します。魔導師団の協力者として今回の依頼にあたらせていただいております」
「ベルリアナよ。それでレーベルガルダ様どうなさいましたの?」
ヴォルクに媚びを含んだ視線を向けたが、体半分をヴォルクのマントの中に埋めたままのシアに不快そうに鼻をならした。
「ちょっと、あなた・・」
「レーベルガルダ公!!こ、これは一体どういうことですかな!!」
妹の声を遮ったのは、かなり上背のあるガッチリした体に、目付きの悪い中年男性だ。急いで走ってきたのだろう、乱れた前髪をそのままに、娘を押し退けてヴォルクの前に立った。
「お父様!今は大切な会合ではなかったのですか?」
「それどころしゃない!!レーベルガルダ公、調査は随意にとは言ったが、うちの敷地まで無断で調べるなど無礼ではありませんかな。第一、変死体などどういうことです!」
「なにをおっしゃってるの!!お父様!!!」
「式鳥で報告した通りだ。魔導師団では例外なく、全ての探索をしたまでだ。それがたまたま領主の敷地が歪みが酷く、そこで複数の遺体を発見した」
好きに調査しろといったのはそちらだとヴォルクが睨みを効かせると、領主はぐっと押し黙った。
「今回の事件に関係あるかどうかまでは不明だが、遺体をそのままにするわけにはいくまい。海に続く洞の管理者は?」
「わ、わ、わた、わたしです」
妹は先程までの勢いが嘘のように青褪めた顔だ。
「そこでは何を?」
「あ、漁師など海で生活の糧を得る者の安全を祈願する祠があります。供物を捧げたり清めのために姉と交代でほぼ毎日訪れていますけれど、し、した、死体など!死体など知りません!!今朝だってなにもありませんでした!」
「遺体は5体。行方不明事件のこともある。領主も含め関係者として共に来ていただこう」
姉も洞に来させるよう伝えると、控えていた侍従が慌てて屋敷に戻っていった。
魔導師団員の待つ洞の入り口に向かう途中で、ジズからの式鳥が飛んできた。海側の出口辺りに隠すように小舟が停泊してあり、中に積まれた荷から装飾品や金品がでてきたらしい。もう少し辺りを探索してから合流するとのことだった。
さほど屋敷から離れず、洞の入り口はあった。
眼下に海を望む高台に立っている屋敷の側に雑木林があり、そこに入ってすぐぽかりとあいた穴は小さく、子どもでも屈まないと入れない大きさだ。
「入り口は隠してあるんですよ、ほら」
師団員が穴の手前の地面から扉を持ち上げた。
「地下に続くように階段がつくられています。滑りやすいので気を付けて」
岩がむき出しの階段を師団員を先頭に、領主親子を挟むように降りていく。日の出の洞窟とは違い輝鉱石もなく、壁につけられている灯りがなければ真っ暗だ。
「あちこち見てどうした。何かあったのか」
「にょわ!」
背後のヴォルクから耳元に囁きかけられ、思わず声をあげてしまった。
ちょうど階段を降りきり、師団員と領主親子で普段祈願している祠の場所などを話していたので、シアに注目が集まらなかったのがせめてもの救いだ。
「ここは静かすぎるの。海に続く洞なら善くも悪くももっといていいはずなのに」
耳を押さえながらヴォルクを見上げると、唐突にぎゅっと抱え込まれる。
「ヴォルク?」
「ここは神聖な場所ですから、小さきものや力の弱いものはいられないのですよ。あなたたち魔法の遣い手にはわかないのでしょうが、私は精霊の愛し子ですから」
いつからいたのか、ヴォルクのすぐ後ろに立っていたのは藍色の髪の細身の女性だ。
「姉様!」
駆け寄ってきた妹と並ぶと、双子とはいえその色彩も顔形もそっくりだ。ただ纏う雰囲気が光と影のようにまるで違う。
「あの、んむっ」
シアは魔法ではなく、精霊術の遣い手だと訂正しようとしたのだが、ヴォルクに口を塞がれてしまう。
「愛し子とは?」
「まあ。高名な魔導師団のかたでもご存知ないのですね。私は海の高位の精霊の加護をうけているのです。対価は必要ですが願いを叶えたり益をいただけるのです」
・・・この人は何の話をしているのだろう
「対価、な」
「ここにある遺体をご覧になったのでしょう?対価の1つとして町に、ひいては領地に益をもたらすための贄なのです」
「そ、そんな姉様!贄なんて聞いてないわ!!」
「只人であるお前に話しても無意味ですもの」
穏やかに微笑む姿に背筋がすっと冷たくなった。
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