第46話 それはもう存在意義
違和感に気が付いたのはいつからだったろう。
こんなはずじゃなかった、と癇癪を起こして、手当たり次第に物を投げている憐れな女が母だと知っていたが、母の愛を感じたことはなかった。
自分に向けられる愛情は歪んだものばかりで、酷くなると首を絞められ、身体を痛め付けられ、本能的な恐怖心から魔力が暴発し、さらに女の癇癪が酷くなるのだった。
女は魔女だと言っていた。
莫大な知識や魔力と引き換えに、血脈で縛られ自由に生きられない魔女は、初めて魔女としての力を行使したときから、歳を取ることをやめるらしい。
魔導士に恋をした魔女は、魔導士が年老いてくると自分だけが取り残されることに恐怖し、魔導士の延命に魔女としての力を全て注ぎ、研究に没頭した。
結果、行き合ったのが魔血石だ。
失われ再現不可のはずの生成法を、隠し持っていた者から奪うと魔導士を魔血石に変え、腹の中の赤子に埋め込んで憑代にした。
数年を腹の中で過ごし産まれてきたのだという。
「ねえ、本当は覚えているのでしょう?その目も髪も、魔力波だって貴方と同じだわ。ねえ、前のように名前を呼んで頂戴な」
自我が芽生える年齢になると、まるで呪いの呪文のように思い出せ、思い出せと迫られた。
鎖に繋がれ、毎日のように投薬され、魔力を搾り取っては石に変え、再び自分に戻された。
次こそは思い出すはずだと、淀んだ目の魔女が怖かった。
魔力の総量が増してきたせいだろう。
感情の起伏と共に魔力の暴発を繰り返すようになると、堅牢な檻に閉じ込められるようになった。
ある日、食事を運んできた新人らしい使用人の目を盗んで檻を脱走した。逃げた先は天井まで届く書架が並ぶ部屋で、そこで初めて自分が難なく字を読め、その本の中身を理解できることを知った。
そして違和感の正体をようやく悟ったのだ。
自分には記憶はないが、魔導士のものらしい知識があると。
それからは情報収集と、暴発に見せ掛けた魔法の発動練習を繰り返した。だが、如何せん体も体力も幼子のそれで、魔女からの逃亡は絶望的だった。
歪だった魔女の精神状態は、産まれて4年になる頃には限界にきていた。
月のない夜だった。
気配を感じて寝台に身を起こすと、目の前にいたのは全裸の魔女で、情事を為せば思い出すかもしれないなどとトチ狂ったことを口走った。
自分の腹から産んだ、まだ4つのこどもの服を千切るように剥ぎ取り、覆い被さってくる体温に吐き気と嫌悪感でいっぱいで、下肢に伸びてきた手の感触に魔力が爆発した。
閃光と轟音に気を失っていたのか、目を開けると所々火の残りがあるだけで、何も残っていない荒野にぽつりと自分だけが倒れこんでいた。
「あー、間に合わなかったか」
上から降ってきた声に顔をあげる。
(白い竜?・・・いや、人が乗っているのか)
いつでも魔法を放てるように警戒しながら見ていると、降りてきたのはこれまた白い人だった。
「・・・魔女か」
「そうだよ。アンタの母親と同じ。報告を受けて処分にきたんだけど、遅かったみたいだね」
辺りを見渡す白い魔女は一見儚げだが、纏う魔力が母親とは桁違いだ。
「アンタのことも少し報告をうけてるよ。この先どうしたいかは自分で決めな」
「この身ひとつで幼い俺に生きていけと?」
「ビックリするくらい口調とナリがちぐはぐだねぇ。うちにくればいいさ、私はネリー。アンタ名前は」
「自分のものはない」
あるのは魔導士の名前で、それは俺じゃない
名前名前とぶつぶつと呟いたネリーは
「んじゃ、今日からヴォルクで」とあっけらかんと告げると、白竜の上に引っ張りあげた。
「傷つけたらタダじゃおかない」と釘を刺された先住人であるシアは、ぽわぽわと小さな光を纏った、無垢を絵に描いたような子だった。
世話好きの癖に踏み込み過ぎず、適度に放っておいてもくれた。目を向ければ心からの笑顔をくれるのに、目を背ける自分に嫌な顔ひとつせず、自分との関わりが深まることがあると、その都度とても喜んだ。
小さな怪我は日常茶飯事で、なにもない場所でよくつまづき転ぶ。8つも年上だと言うのに危なっかしくて仕方がなかった。
「シアはハーフエルフでね。マナと魔力の両方を持ってるんだけど、そのバランスが酷く不恰好なのさ。どうしてもそれがからだの動きに影響しちゃうらしくてね」
困った困ったとネリーはそう言ったが、それだけでもないのだろう。
同じようにネリーに引き取られてきたというシアが、それまでに何があったのかはわからない。だが、こんな自分を正面から丸ごと受け止めてくれる包容力があり、惜しみなく愛情を注いでくれるのに、シア自身はいつもどこか欠けてしまっているのだ。
星が眩しいほど瞬く夜は、新緑の瞳がじっと空を見上げているのを知っていた。
「すごいね!ヴォルクの部屋から屋根の上に出られるなんて!」
連れ出した屋根の上でひとしきりはしゃいだ後、
「夜空はヴォルクにぴったりね」と呟いた。
「古語でヴォルク、は闇に瞬く光のことよ。つまり夜空のお星さま。ね、ぴったりでしょ?」
ごろりと寝転んだシアが両手を上に伸ばす。
何も言わず遠くを見るような瞳に、何処かへ行ってしまう気がして、思わずその手を掴んだ。
「どうしたの?」
「いや、そろそろ戻ろう。冷えてきた」
「そうだね。ねぇ、またここに来てもいい?」
「いいが、1人で登るなよ」
梯子を降りながら、心配しなくても1人でも登れると言いかけたシアが足を踏み外し、ヴォルクの上に落ちてきた。
「いいか、絶対に1人で登るな」
「・・・・ごめん、重かったでしょ」
魔導士から受け継いだらしい知識の話は誰にも話していない。ネリーは薄々感づいているようだが、この先も自分からは言うまい。
いつからかは自分でもはっきりしないが、ただ1人と決めたシアがこの手の内にあり、守れるのなら、このバカみたいな魔力と魔術の知識も有り難かった。
そのせいで傷つけたことも、彼女とより深く関係を結ぶきっかけになったと、仄暗い悦びを心の内に宿した程だ。
気紛れで連れ帰ったジズが、無邪気にシアに懐く姿にイライラもしたが、自分以外の誰かの存在がなければ、雁字絡めにして冗談でなく監禁してしまったかもしれない。
「アンタのはもう病気だね」
純粋な思慕などではなく、執着に近いのだと分かっている。ハロルディンやネリーに散々思い込みだ刷り込みだと言われても、どうしてもシアが欲しかった。
強引にことを運んでも、シアはもう自分を本気で拒否しないとわかっていたが、一度口付けると今度は心が欲しくなった。
「大好きよ」
こんな一言で、こんなに満ち足りる気持ちになるのかと驚き、自然と綻ぶ口元が不思議だった。
自分にもこんな感情がちゃんとあったのかと。
守れるように、より知識を深め、身体を鍛え、術を研鑽し、地位を手に入れた。
屈託なく笑ってくれるように、ある程度の余分を赦し、外へ自由に放した。
今は当たり前のように、自分の腕の中で眠るシアに微笑み、そっと口付ける。
目蓋が震え微かに目を開くと、ヴォルクの頬にそっと手を伸ばしてきた。
「だいじょうぶよヴォルク、どこへもいかないわ」
思わず息を詰めたヴォルクに、まだ寝惚けているのだろうシアがほわり、と笑う。
再び聞こえてきた静かな寝息に、そっと息を吐き、頬に伸ばされたままの手を取って、指輪に唇を寄せた。
16年前、いつものように空に伸ばす手を自分に向けたくて、星の代わりにペンダントを贈った。
今は自分だけに伸ばされる、特別な感情を乗せた手に指輪を贈り、自分へと紐付く証にした。
・・・違う。造られた存在である自分が、確かにここにあるのだと、これからも在っていいのだと思える証としてなのだ。
シアはそれさえも解ったうえで受け入れ、気持ちを返してくれたのだ。
だからこそ。
時間をかけ、ようやく身も心もこの手に入ったシアを揺らす、エルンストという存在をそのままにしておくわけにはいかない。
「無駄な余分は全力で払わせてもらう」
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