第25話 今の私になるまでに1


シアが師匠に会ったのは8歳の時。

白く輝くような姿に女神が助けに来てくれたのだと思った。





シアが住んでいた家は村外れにある大きな家だったが、村の子供たちからお化け屋敷だとからかわれるほどにはボロボロだった。



「これはかあ様のご先祖様から受け継いだ大切な本なのよ」という、書斎にある大量の本を、毎日少しずつ制覇していくのが楽しくて、読み書きは意欲的に覚えた。



結界士の母は時々長期の仕事に出るため、自然と家事をするようになり、6歳の頃からは食事のほとんどを作っていた。


母の不在時はエルフで薬師の父が、妖精や精霊との関わりかたを教えながら森でキャンプをしたり、本で得た知識を活かした体験をあれこれとさせてくれたので、寂しさを感じたことはない。



とてもとても和やかで幸せな毎日だったのだ。





変化は仕事に出た母の死からだ。



突然の母の死に、父と2人で支え合いようやく前を向き始めた頃、産まれてからずっと持たされているお守り石が粉々に砕けている事に気がついた。


「どこかにぶつけちゃったかな」


悲しく呟いたシアと、顔色を蒼白に変えた父。


ちょうどその時は森に採取に出ていたのだが、シアを小脇に抱えるようにして慌てて家に連れ帰ると

「家の中から出てはいけないよ」と窓を全て閉じた。



「とう様どうしたの?なんか怖いわ」


豹変した父の様子に恐怖を感じたが、本当の恐怖はこの後やってきたのだ。



「シア、シア。僕たちのかわいいお姫様。いいかい、これからいろんな生き物がこの家の中に入ろうとするだろう。でも決して開けてはいけないよ。彼らはみんな、シアを食べたくて仕方がないんだ」

「わたし・・・食べられちゃうの?」

「キレイなもの、ワクワクするようなもの、シアが大好きなもの。いろんな姿に化けて彼らはやって来るよ。でも決して家の中に入れちゃだめだよ」



シアを家の中に閉じ込める癖に、なぜ父は出掛けようとしているのだ。


「どうして、どうして!とう様はどこへいくの!」

「助けを呼ばなきゃいけない。でも家の中はかあ様たちがはった結界があるから呼べないんだ。外に行かなくちゃ」



父はシアをぎゅっと腕の中に抱き締めると頬擦りをした。


「シア、シア。僕たちの大切な宝物、どうか泣かないで」

「いや、いや、とう様!」

「約束の言葉を覚えているかい?」


「・・・精霊には感謝を忘れず、魔法は加減を忘れず。いつも笑顔で上を向く」


「ああ。・・・・大好きだよシア」


シアを抱き締める腕に力がこもる。



父は『帰ってくるよ』とも『待っていてくれ』とも言ってくれない。


「とう様、とう様!」


外で何が起こっているのか、これから何が起こるのか、そんなことよりも何とか父に帰りを約束してほしくて呼び掛けるが、とうとうそのまま、口付けを額に残して出で行ってしまった。





怖くて怖くて、カーテンも全て閉めた。

一番安心できる小さな書斎にこもって、毛布を被る。


唯一ある窓をひっきりなしに誰かがノックしたり、引っ掻くような音が聞こえる。


時々雷が落ちたような眩しさを感じたが、被った毛布から顔を出すのが怖くて、そのまま小さく踞って震えていた。


どどーん、と家全体が震えたあと、それまで聞こえていた一切の音がなくなり、うるさいほどだった気配がなくなった。




額から伝わった汗をぬぐおうとした腕がひどく震えている。


父が出ていってから数分か、数時間か。

どれほど時間が経ったのかよくわからなかったが、毛布の隙間から覗いた部屋が暗闇に包まれていたので、多分夜になっているのだと気付く。



父はどうしただろうか。

無事に助けを呼べたのだろうか。



ガチガチに固まって、あちこち痛みを訴えてくる体に、踞っていた姿勢から身を起そうとした時。



階下からドンドン、と音がなった。



飛び上がったシアは後ろにひっくり返り、後頭部をひどく打ち付けたが、緊張からか痛みは感じない。


音は玄関からだ。



「とう様?」


帰って来たならシアに呼び掛けるはずだ。


「とう様?」


震える足を叱咤し、書斎を出て恐々歩いていく。

シアの足音しか響かないほど静かだ。


「とう様なの?」


玄関に向かって声を掛けるが返答がない。

扉に手を伸ばしかけ『家に入れちゃいけない』と言った父の言葉を思い出し、寸前で止める。

と、扉のむこうから声が響いた。



「私のかわいい娘。ここをあけて頂戴」



「・・・・・・・かあ様」



母のはずがない。

母は死んだのだ。


「中に入れて頂戴。外は怖いものでいっぱいなの。中に入れて頂戴」


母は凄腕の結界士なんだと父が嬉しそうに教えてくれた。だから魔物討伐の依頼も良く受けたのだ。



「かあ様は怖いなんて言わないわ!!どっかへ行って!!!」




「良く言ったね」


返ってきたのは先程とは違う、知らない女の人の声。


おおーん、と地響きと共に空気が震えた後、再度静まり返った。


と、ガチャリと扉のノブが回る。



「!!!!」


誰かが入ってくる。



逃げようと思うのに、足は張り付いたように動かず、視線が玄関の扉からそらせない。



シアの前でゆっくりと開いていく扉。

そこにいたのは、髪も目も白い 、美しい女性だ。




「女神さま?シアたちを助けに来てくれたの?」



呆然としているシアの前に屈むと、女性はその白い目を伏せた。


「助けに来た。でも間に合わなかったんだよ、ごめんなさい」

「え?」

「あなたしか、助けられなかったの」

「え」



「お父様は間に合わなかった、ごめんなさい」






飛竜を乗り継ぎ、ネリーに手を引かれて蔦まみれの家まで連れてこられたのはその次の日だ。


もはや家の形をした蔦の山なのではないか、と思うほど緑のもさもさした家は、その中は衝撃の汚さで

「どしたの?早く入っておいで」と声を掛けられても、足を踏み入れるまで随分躊躇したものだ。


散乱した物で床は見えず、なにやら異臭がする。窓を開けようとしても張り付いて動かず、さわった指が黒くべたりとした。


「ちょっと散らかってるけどね~。その辺座ってよ」


およそ人が生活しているとは思えないこの部屋の何処に座ればいいのだ。


足元をカササッと走り抜けていった黒い悪魔の虫を見て、この人を女神だと思っていた認識を捨てた。





ネリーは魔女と呼ばれる人で、魔法や魔術を息を吸うように使う。


なかでも魔力を練り上げて作る式鳥は本物の鳥と区別がつかないほどで、かわいいかわいいと喜んだシアのために、家に慣れるまでの案内役として始終シアの頭にとまらせてくれていた。


食事や掃除など、生活に係わる面はすべてシアの担当となった。

2日目に出したありふれたシチューで「うちに嫁においで」と涙ぐんでいたネリーは、むしろこれまでどうやって生きていたのか心配になったほど、生活力はまるで無い人だ。



あの日の事のあらましをちゃんと理解できたのは、ネリーと暮らし始めて半年すぎてからだ。


そして、自分の抱える厄介なものについても、ちゃんと知っておいた方がいいと、随分言葉を砕いて教えてくれた。



凄腕結界士の母親は、建国に携わった賢者の子孫に当たる人で、書斎にあった本のほとんどは、代々受け継いできた貴重な書物だったこと。


エルフの父は末端ではあるが氏族の長の家系で、

エルフ狩りの際に逃げ延び、母に助けられたこと。

そのときにネリーと両親は知り合ったのだと言う。


二人の子供であるシアに、エルフの族長の血の特性が先祖返りか、濃く出てしまったこと。



エルフの族長たちは香気高いマナで、精霊や妖精を魅了し、分け与えることで祝福や助力をうける。

もちろんそれには制御が必要となるが、族長の一家であれば当たり前のように制御のためのちからも有しており、その力がない者は族長一家とは認められず、香気に魅せられ群がる精霊や妖精たちに、好き勝手にマナを食い荒らされることになる。



産まれてすぐに、ネリーに相談した結界士の母がお守り石で封じ、シアの中から香気が漏れ出ていかないようにしていたのだ。


だが、成長と共に濃くなっていく香気が閉じ込め続けたために密度が増し、母の死によって弛んだ結界が耐えきれず弾けとんだのだ。

もとより、母の死で家の周囲を覆う結界には皹が入っており、安全な場所は家の中だけだった。



集まっていたのは、精霊や妖精ばかりでなく、それを狙う魔物など、家の周囲は阿鼻叫喚だったという。



「あの家の結界は私も力を貸してはいるけど、それは見事な出来でね。シアはお母様に守られ、お父様が身を呈して私を呼んでくれたからこそ、今があるの。その身を大事になさい」



制御するにはエルフとしての自分の力は及ばず、母にかわり、今度は師匠が蓋をしてくれることになった。


それでも自分でも何とかしたくて、精霊術に関することはありとあらゆることを学び、身に付けていった。



シアより背の高い草が生い茂っていた庭を、薬草と野菜の畑に変えたり、雨の日はシアの家から持ち込んだ何倍もの書物に囲まれて書斎で本を読みふけった。


ネリーは決して面倒見のいい人ではないが、シアからお願いすれば歴史の話を面白おかしく話してくれたり、魔術や精霊術なども教えてくれ、魔女とは何て博識なのだと驚いたのだが、「長生きしてるだけさね」と笑われるのが常だった。



そんな風に、毎日何かに没頭することができたのは僥倖だったのだろう。



夜の暗闇に時々怯えることはあっても、ほとんどの日を倒れこむように寝入ってしまうことができたからだ。

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